荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『Larry Crowne』 トム・ハンクス

2011-12-15 03:17:34 | 映画
 長時間フライトを癒すものは、渡航先で待っている仕事内容の予習をすること、そして機内上映の映画を見ることである。予習は、小心者である私にとっては往路前半での必須事項であるが、往路後半および復路では、休憩なしの映画マラソンが待っている。一週間の出張から帰ってきたばかりなのだけれど、今回の旅でも、機内で『猿の惑星 創世記』『ツレがウツになりまして。』『アンフェア the answer』『探偵はBARにいる』『Larry Crowne(原題)』『日輪の遺産』『モテキ』と見ていった。さすがに再見の『モテキ』では疲労のため、漫然と画面を眺めるのみとなってしまった。ところで、『ツレがウツ~』は評判ほど悪い映画じゃなかったが、『日輪の遺産』ははっきりと今年のワースト候補ですな。

 『Larry Crowne』というのは、今年の夏に全米で公開されたらしいトム・ハンクスの新作(日本公開予定は不明)。製作・脚本・監督・主演の4役を買って出た野心作、と言いたいところだが、これがいかにも普通のロム・コム・ムービーである。
 では、こういうものを張りきって撮ってしまう野心があるとすればどこにあるのか考えると、1980年代にたしか畑中佳樹や斎藤英治がさかんに唱えていた〈普通の映画〉なるテーゼのライン上に位置するハワード・ドイッチであるとか、ジョン・ヒューズ、アイヴァン・ライトマンといった監督たちがその全盛期に作ったいくつかの作品系列に対する、ムクムクと起き出してきた郷愁なのだとしか思いつかない。これらの監督たちはいずれも悪い作り手では(少なくとも当時は)なかったが、スター俳優が満を持して手ずからメガホンを取って依拠すべき存在かというと、本人の勝手とはいえ、私にはその気持ちは理解しがたいものがある。ようするに『ビッグ』の頃のままでいつづけたいということか。

 『Larry Crowne』を見ると、今さらながらにスピルバーグとロン・ハワードの偉さが反証されてしまうし、なぜトム・ハンクスは、このふたりの〈普通じゃない映画〉を作る恩師を超えてみせようという大志を抱かないのだろうか(必ずしもSFやファンタジー大作で辣腕をふるえ、という意味ではありません)。また、エイブラハム・リンカーンの遠縁にあたるというこの二枚目俳優の、おそらく生来のコンサバさも、脚本を手がけたことで見え隠れする。主人公(トム・ハンクス)は物語の最初で、学がないことで会社でリストラの対象となってしまい、ドライブインのコックに転職するが、実利的・経験主義的なタフネスさは失わない。そして、一念発起して通い始めた大学で、彼は有望なルーキーへと変貌し、美人だがすこし自暴自棄ぎみの女性教授(ジュリア・ロバーツ)の心を、ついに射止めるのである。
 射止めるための最終兵器は、ずばりベテランであること。弁論の授業内でさりげなくつまびらかにされる、ベテランつまり退役軍人であることの経験談と〈静かなる男〉の自負が、クライマックスでこれほどまでに恋のアシストとして機能するとは。こういうのは正視に耐えない。ジョン・フォードもクリント・イーストウッドも軍人を敬う映画を作りはしたが、少なくとも恋愛成就の方便に使うというハシタナイ真似はしなかった。