荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『イースタン・プロミス』 デヴィッド・クローネンバーグ

2009-03-11 07:06:00 | 映画
 見逃していた『イースタン・プロミス』(2007)を、吉祥寺バウスシアターで開催されていた〈爆音 2008〉の中でようやく見ることができた(最近こういう書き出しが多い)。

 今やニューヨークを凌ぐとまで評される経済金融都市として生まれ変わったロンドンが舞台だ。ロシアン・マフィアの人身売買コミュニティを通じて、世界のたがが外れたようにボーダーレスに開かれた相貌が通奏低音として響き続ける。トルコ人が経営する床屋で、ひとりのロシアン・マフィアがノドを掻き切られて暗殺されるファーストシーンの言語的な混乱からして、それを如実に物語る。
 クローネンバーグは、床屋では何か禍々しいことが起きるという古典的映画テーゼに対してはこれを律儀に墨守しながら、この暗殺事件を口火として、都市という相貌の方は容赦なくメスで切り裂いてみせる。

 けれども同時に、これがクローネンバーグ的な逆説というものなのか、ロンドンという大都市と〈トランスシベリアン〉なるロシア料理店とが等価に結ばれ、出口なき空間としてひたすら自閉してもいく。
 唯一、この映画の中のロンドンが外部との接点を持ち得ているかに見えるのは、テムズ川の凹字型をした小さな目立たない船着場であり、レンガのドックに囲まれ、太陽光線から遮られたこの暗い空間は、パックリと外部へと向けて開かれて、屍という屍が静かに流されていく。あるマフィアは言う。「ここは最高の場所だ。潮の関係で死体は浮かばずにそのままテムズを通って、海へと流されていくのだ。」