さじかげんだと思うわけッ!

日々思うことあれこれ。
風のようにそよそよと。
雲のようにのんびりと。

三十七

2007-02-23 23:50:14 | 『おなら小説家』
旅行から戻った草田男は、推理小説にとどまらず、引き続き歴史小説も発表していた。
じょじょに調子を取り戻し、それぞれの分野で評価を受けていた。
また、「ひげの探偵・球磨熊太郎」の一連の作品は相変わらず人気で、「球磨」連作はとうとう映像化許可の依頼が来るまでになった。
テレビでの映像化は草田男の意向によって却下されたが、映画化は許可され、来年の年末に公開されることが決まった。
まさしく、「ひげの探偵」連作は、燃圓の代表作となったのである。
草田男が指導に赴いている高校では、これを記念してささやかな祝いの席を用意していくれた。
燃圓の存在が世に認知されるほど、世間は燃圓の素顔を知りたがったが、やはり世に出る気にはなれず、未だに謎多き作家だった。
そういった謎に満ちたところや、特異な経歴もあって、小奈良燃圓は時の人になりつつあった。
しかし、それはあくまでも外界でのことであって、当の夫妻にとっては変わらぬ毎日であった。
変わらぬながらも、充実した日々であった。
時は、流れた。

二年後。
上映された「ひげの探偵・球磨熊太郎 殺意のひげ」はなかなかの好評を博し、次回作が決定した。
同時に、テレビでの制作依頼も以前にも増して多くなった。
結局、押し切られる形で許可を下ろし、「球磨」連作も本格的に情報露出がはじまった。

その頃、東京ではある文学賞の受賞の報せに、大騒ぎとなっていた。
芍田川賞といえば、泣く子も黙る日本では最高位の文学新人賞である。
その賞を受けたということは、将来を約束されたとまではいわないが、嘱望された存在であった。
それが、まだ年若き大学生の青年が受けたと言えば、話題になるのも道理であった。
その男の名は、「斧小根立起」。
つい1年前まで草田男にもっとも期待され、しかももっとも失望された男であった。

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