さじかげんだと思うわけッ!

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飯と雪のはなし

2007-12-15 23:22:48 | 民話ものがたり

調べても見たんですけど、どうにもタイトルを失念してしまいまして、思い出そうと思っていろいろ調べてみたんですけどね。
まさしく失念。とうとう思い出すことができませんでした。
わたしがそれを見たのはいく年前だったでしょうかね、放送が終了して13年たった今でも、依然として人気が高い『まんが日本昔ばなし』(毎日放送)で見たことは間違いないんです。
とにかく、作者も題名もわからぬままですが、語ってみたいと思います。


それは、まだ神様が人間という生き物を作って間もないころの話です。
神様は、何も人間を作ろうと思って作ったわけではありませんでした。ただ、何となく粘土を捏ねていくうちにいい感じの造形になってきて、納得のいくまでこね続けてできたのが人間という、実に風変わりな生き物だったのです。
神様の手で長年の間こねられたので、人間はとてつもない潜在的な何かを持っていましたが、今はまだ作られたばかりで、どうやって生きるべきかということを知りませんでした。
つまり、極めて受動的な生き物でした。
自然から与えられたものを食べることでしか、その命を繋げる術を知らなかったのです。ある年の冬のことでした。
その年はことに寒さが厳しく、木になる実も葉も根もすべて枯れ落ち、またほかの動物たちはすっかり地上から姿を消してしまいました。
食べるものを手に入れる術を失ってしまった人間たちは、すっかり途方に暮れ、命が尽きるのを待つのみでした。
それを見て気の毒に思ったのが、当の神様でした。
気まぐれで作ったとはいえ、自身が生み出したものたちがこのまま滅んでいくのを見ているのは忍びないと考え、なんとか救ってやりたいと考えました。

人間たちは、相変わらず命の火が尽きるのをただ待つのみでした。みな顔が鬱々として、なぜこの世に生きてきたのかわからぬというような表情をしています。
そのときでした。
突然、空からほかほかとした白いものが降ってきたのです。
人間たちは、どうしたことかと空を見上げていましたが、やがて無数に降るその白いものがふと口に入りました。
むぐりとかむと、これがうまい。
一人がうまいと叫ぶと、みなこぞってその白いものを口に運びます。ほかほかと暖かく、柔らかくほんのりと甘いそれは、米の飯でした。
神様はとりあえずこれだけ降らせれば冬は越せるであろうという分の飯を降らせて、しばらく人間たちを放っておくことにしました。

神様は、人間たちの潜在的能力を信じて、いつか己が生きる道を見つけてくれるであろうと期待しておりました。
しかし、次に人間たちの様子を見に来た神様は、その愚かさに愕然としてしまいました。
なんと彼らは、あまりある米の飯を丸めて玉遊びに興じたり、食べることに困らないことに安心しきって、ぐうたらとした日々を送っていたのです。
神様はすっかり頭に血が上ってしまいましたが、しかしこういう結果になったのも、自分が甘やかしたためだと悔やんで、とりあえずその冬は人間たちの思うように過ごさせました。
それから、また暖かい春が来て、育ちの夏、実りの秋を迎え、寒さの冬がやってきたのでした。
結局、この一年も自然の恵みによって生かされてきた人間たちは、再び冬の寒さの前に為す術なく、命を落とすのが先か、それとも神様が救いの手を差しのばしてくれるのを待つだけでした。
その様子を遠く天上から見ていた神様は、やはり前と同じように彼らに対して不憫と思う気持ちと、すっかり期待を裏切られたという絶望と怒りの感情の板挟みとなっていました。
何とかしてやりたいとは思いつつも、しかしそう簡単に手を差し延べてしまっては、人間たちのためにならぬと思い、前にも増してその対応をどうしたものかと頭をひねりました。
そして、ちと残酷かも知れぬと思いつつ、ぬしらのためじゃと意を決しました。

人間たちは、前の冬とまったく変わってはいませんでした。
顔が鬱々として絶望感に満ちあふれ、しかし心の中では、また前のように神様が何とかしてくださらぬものかと、そんなことばかりを考えていました。
そのときでした。一人が、
「見ろ、飯じゃ。飯が降ってきおる」
と叫びました。
みな、はっと顔を上げますと、確かに前の冬と同じように空から白いものが降ってきます。
しかし、それはほかほかしていませんでした。口に入れてもただ冷たく、すぐに溶けて水になってしまいます。甘くも柔らかくもありませんでした。
それは、ただの雪だったのです。
人間たちの一人は、
「なんじゃー、こんなもん。食っても腹一杯になぞなりゃせんわい」
といって、どかりと地面に寝転がってしまいました。
別の一人は、
「前に神様が飯を降らせてくれたとき、その好意を踏みにじったからかの。それで神様がお怒りになったのかの」
といいました。
何にせよ、神様に見捨てられたと考えた人間たちはすっかり落ち込み、その場にへたり込んでしまいました。
しかし、神様は見捨てたわけではありませんでした。
やがて、白い雪に混じって、ぽつぽつと黒い種が降ってきたのです。
それは、米のもみでした。
それを拾い上げた人間の一人が、
「…これを育てろということか」
と、天に向かって手のひらを広げました。

その冬は幾人かの人間が命を落としましたが、無事に生き残った人間たちは、暖かくなってから籾をまき米を育て始めました。
どうやって育てるかはわかりませんでしたが、その時期になるとちゃんと神様が雨を降らせたり、太陽を照らしたりして、天上からそっと教えてくれました。
そうして人間たちは米作りを通して、はたらくと言うことを学び、生きるとはどういうことかを知ることになったのです。


と、こんな話です。
話自体を聞いたのもけっこう前の話ですからね。覚えているのはプロットぐらいのもので、一部はわたしの創作だったりします。
結局、このあとは人間は争いの歴史に足を踏み入れるわけですが、何にせよ、人間ってのは変わらない生き物だと思いませんか。
人間の本質が、見事に現された話だと思いますね。
しかし、同時に、「便利」だということと「楽する」ということは違うことだとも言える気がします。
結局、悪いことをした人は、その概念をはき違えたということが言える気がします。

まぁわたしなんかも稀代のめんどくさがりやですから、いつ人の道を踏み外すかわかりませんが。


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