さじかげんだと思うわけッ!

日々思うことあれこれ。
風のようにそよそよと。
雲のようにのんびりと。

笛吹権三郎(2)

2007-10-20 00:02:35 | 民話ものがたり
権三郎親子がやってきて、最初の梅雨でした。
毎年、子酉川はこのころになると氾濫をします。それは、秩父の山々の切り立った南側の斜面を雨水が急に駆け下るからで、その勢いのせいでせっかく築いた堤も破れ、そこらが泥に埋まります。
そして、丹精込めて作ったぶどうや米をだめにし、家々を押し流し、さらに身分よりも尊い、人の命まで奪ってしまうのです。
その年の梅雨も、例年通りの長雨が続いていました。かれこれ、三日は降り続いているでしょうか。
権三郎は、わらじ造りの手も落ち着かず、一目編むごとに窓から雨の様子を見ていました。雨はこの三日で一番強く降っています。
わらじを一足編み終えたときでした。
突然、小屋の戸を激しく叩く人がありました。
権三郎は驚いて戸を開けますと、笠と蓑を被った最寄りの家の者がいました。
「おお、権三郎。済まぬ、手伝ってくれ。南の三つ目の土手が切れそうでの」
といいました。
「もちろんです。すぐ行きましょう」
というと、すはやく戸の脇にかけてある、笠と蓑を身につけました。
「母上、ではいってまいります」
と向き直ると、母上は大変心配そうな顔で、じっと権三郎をみています。
「そう心配いたしますな。大丈夫、無事に戻ってきますよ。わたしのことよりも、この小屋は川のすぐ近く。万が一、川が溢れましたら、ここもただでは済まぬでしょう。その方が心配です」
「心配いらんぞ、権三郎。せがれの義助に、高台の庄屋さまの屋敷まで送っていかせる」
庄屋の屋敷は、川からだいぶ離れた小高い丘の上にあった。あそこなら例え堤が破れても、水に浸る心配はありません。この時期、洪水が起きそうなときには、女子どもは庄屋の家に避難していました。
「そうですか。そういうことですので、母上。行って参ります。また後ほど会いましょう」
といって、村人の後を追って、家を出て行きました。
しばらくして、母親も義助に手を引かれて、家を出ました。

笛吹権三郎(1)

2007-10-13 20:30:23 | 民話ものがたり
正中の変といえば、 辺境の地である甲斐国にも伝わるほど大きな事件でした。
何しろ、時の幕府を転覆させようとした一派が、一斉に粛正されたというのですから、京の町は大騒ぎだったことでしょう。

その事件が、芹沢村(今の山梨市三富区芹沢)に伝わってきたかどうかぐらいの時期に、どこからともなくやってきた母子二人が、子酉川ほとりの小屋に住み始めました。
耳の早い村人の話によると、その母子は正中の変で首をはねられた尊い方のご遺族で、危険が多い京を脱出し、この地に落ち延びてきたといいます。
しかし、母子はとても尊い出自とは思えぬほど気さくで、よく働きました。
特に息子の権三郎は、毎日朝早くから夜遅くまで野良仕事をして、村人とも積極的に交わりを持ちました。
だけども、夜遅くに権三郎とその母の小屋の前を通りかかると、やはり突然の田舎暮らしがつらいようで、母親がすすり泣く声が聞こえてきました。
権三郎は、そんな母を優しく慰めておりました。そして、月が明るい晩には母親を川岸まで連れ出し、母と死んだ父親の魂のために高麗笛を吹きました。
笛の音は風に乗り、芹沢村の家々にも響き渡りました。村人たちはそのあまりにも高貴な笛の音に聞き惚れ、仕事の手もしばし休めて聞き入りました。
しばらくして、権三郎は「笛吹権三郎」と呼ばれるようになりました。祭りや祝い事の席でも出し惜しみすることなく笛を吹き、喜ばれました。
しかし、やはり月夜の晩の笛の音は格段で、泣いていた赤子もまた眠ってしまうほど、清かなものでした。

富士と八ヶ岳(5)

2007-09-28 21:43:20 | 民話ものがたり
そのころだった。
富士の麓の樹海では、富士のただならぬ気配に動物や鳥たちが、一斉に逃げ出していた。普段は蒼く静かな富士なのだが、ごごごという凄まじい地響きと揺れによって斜面からは岩石が転がり落ち、地は大きくひび割れて木や草を飲み込んだ。
富士を見あげれば、頂上に据えられた竹の樋から水が流れだしている。あたかも、額から血が伝っているかのように、富士の斜面を流れていく。
この流れ出した水が、どういう結果を導いているのかは、富士にも分かっていた。
富士は、八ヶ岳よりも低いということだった。

一方、八ヶ岳の方では、そろそろ流れる水が届く頃ではないのかとやきもきしていた。
いまかいまかと待ちかまえていた。
当然なのだが、樋の水の行方を八ヶ岳は見ることができないのである。たかだか背くらべなのだが、しかし挑戦してしまったというメンツがある。
どきどきしながら待っていると、甲府盆地の方から一羽のかわせみが飛んできた。
何かを騒ぎながら、飛んでくる。なんだなんだと、八ヶ岳と周囲のものたちは耳を傾けた。
「八ヶ岳さまー! 八ヶ岳さまの勝ちでーす」
それは、八ヶ岳の勝利を告げる伝令であった。
一同から、「おお」とどよめきが起こった。
「勝ちじゃ。八ヶ岳どのの勝ちじゃ」
「はは、富士のやろうめ。ざまぁみやがれだ」
と歓喜と富士への怒号、八ヶ岳への賞賛の声が入り乱れ、富士の麓の様子とは大きく違った騒ぎとなった。
当の八ヶ岳も、思いがけない勝利に我を忘れて喜んでいた。
しかし。そんな中でも、妹の蓼科だけはまだ緊張を保ったままだった。

と、そのときだった。
突然、富士の方から「おおおーっ」と雄叫びが聞こえたかと思うと、八ヶ岳の頂きに乗っていた竹の樋がはるか上空に持ち上がり、がつんと振り下ろされた。
みな突然のことに驚き、声を出すこともできない。
八ヶ岳の悲鳴だけがこだまする。
それまできれいだった八ヶ岳の頭頂部は砕け、かけらや岩石が周囲に飛び散る。
怒りに我を忘れた富士が、竹の樋を振り回して、八ヶ岳を叩きつけ始めたのだ。
再び雄叫びが上がり、樋が振り上げられ、今度は八ヶ岳の横っ面をしこたまに打ち付けた。
八ヶ岳はこの時点で気を失なってしまった。
三回目の雄叫びが聞こえたときに、ようやく我に返った周囲の山や川が大騒ぎして、鳳凰山に異常を知らせた。
驚いた鳳凰山だったが、どうしようもなかった。とにかく富士に落ち着くようにいうしかなく、しかし富士は落ち着く素振りをみせなかった。
甲斐の山々は、ただ恐ろしい光景を、固唾を呑んで見ているしかなかった。誰にも止めることはできなかった。

結局、ばきばきと4、5回叩きつけて、竹の樋が折れるまで、富士の制裁は続いた。
八ヶ岳はぼろぼろに叩かれ、蓼科はその有様に「ああ…あんまりです…」と顔を覆って、足下に涙溜まりができるほど泣いたのだった。
時が経って、富士も我に返ると、自分がしたことの重大さに気が付き、ただただ平謝りに謝った。それっきり、富士はすっかりおとなしくなり、今のように黙り込んでしまった。
一方、八ヶ岳は自分の頭が八つに割れてしまったこと、そして叩かれたせいでその背丈が富士よりも低くなってしまったことに気が付くと、愕然としてしまった。
そして、ようやく両親の涙のわけを理解したのだった。
「えらい目にあった。もう下手なことには口を出さんでいよう…かなわん」
と肝に銘じた。
それから、蓼科の流した涙溜まりはいつまで経っても干上がることなく、今でも残っている。人が「諏訪湖」と呼ぶ湖が、それだ。

<終>

富士と八ヶ岳(4)

2007-09-22 21:27:35 | 民話ものがたり
勝負を決する日となった。
図らずも、背くらべの主催となってしまった鳳凰山は、富士と八ヶ岳の頭に竹でこしらえた樋を渡した。
富士は「これは何?」と短く問うて、八ヶ岳も不思議そうに樋の先を眺めている。
そこで、うほんと鳳凰山が説明を始めた。
「お二方の頭に乗せたのは、竹でこしらえた長い樋です」
「そんなのは、見れば分かります。この竹の樋を使って、どうやって背の高い低いを決めるのかを聞いているのです」
鳳凰山は、ちょっと富士を見て、やはり嫌なやつだなと思った。それでも平静を装って、話を続けた。
「勝負の方法は簡単。この樋に水を流すのです。そうすれば、水は高い方から低い方へと流れるのが理なので、どちらが高いかは一目瞭然というわけです」
勝負を見守る山々や川や森から、「なるほど、なるほど」とか「うまいことを考えたものだ」という感嘆の声があがった。
一部からは「鳳凰山がそんなうまいこと考えるはずはねぇ。きっと釜無川の入れ知恵に決まっとる」などと、的を射た感想も聞かれた。
鳳凰山はそんな意見は流しつつ、勝負を進める。
「では、双方ともにいんちきはありませんか」
と尋ねると、
「ありません」と八ヶ岳が言えば、
「いんちきなど、必要ありません」と富士が答える。
鳳凰山はまた富士の顔をちらりとにらんで、声を張り上げた。
「では、さっそく水を流したいと思います」
すると、もくもくと雲が湧き、間に位置する盆地に雨を降らせた。みなの耳目が竹の樋に注がれる。激しい雨の中でも、ちゃんと水は高い方から低い方へと流れていっているようだ。
雲の中には稲妻が走り、ばりばりと音を立て、今にも地上に落ちそうになっている。
そんな激しい雷雨の中、どちらに水が流れているかを確認するために、鳳凰山頂に巣を作っている大きなとびが飛んでいく。
単純明快な合図を決めておいてある。
どちらの方向に流れているのかを確認できたら、その合図を送ってくる手はずになっている。
もし、八ヶ岳から富士の方に流れていたら、右回りを。
逆に、富士から八ヶ岳の方に流れていたら、左回りを。
鳳凰山は、固唾を呑んでとびの行方を追っている。とびは、ふらふらとあおられながらも跳び続ける。
雨が激しさを増すにつれて、風も吹いてきた。やがて、ごうごうとうなりを上げるほどになり、雨のしずくが鳳凰山の方にまで飛んでくる。
そのときだった。
「ピーヒョロロロ~」と、雨と雷の轟音にも負けない甲高い鳴き声が聞こえてきた。
みなが、盆地の上空を飛ぶとびを見る。
すると、とびがくるりと輪を描いた。くるりくるりと、右に回って輪を描いた。
「おお」と、一堂が声を上げた。「右だ。右回りだ…」
「ということは…」と鳳凰山はしばし慎重に考え込んでから、「八ヶ岳から富士の方へと流れていると言うことだ」と結論を下した。

富士と八ヶ岳(3)

2007-09-17 21:01:22 | 民話ものがたり
どこぞの若造が、富士に背くらべを挑むというので、大した騒ぎとなった。
富士を知る山はもちろん、富士を知らぬ山も、彼女に対しては少なからずよい印象を持っていなかったので、八ヶ岳を応援する山は多かった。
「少しの遊びのつもりが、やっかいなことになったものだ」
と話を持ちかけた鳳凰山は呟いた。
「まさか、これほど早くに噂が流れることになろうとは」
鳳凰山の真下を流れる釜無川の神に、愚痴をこぼした。
「はっはっは。致し方あるまい。おぬしがまいた種じゃ」
「まぁ愚痴を吐いていてもしょうがあるまい。さて、近い近いとはいえ、駿河から信濃。甲斐の端と端だ。どうやって背くらべをしようかの」
一部の山々が、恨みを晴らすために仕組んだこととはいえ、日本が注目する大勝負…大背くらべとなってしまったものだから、公平を期さなければならなくなった。
そこで、よい方法はないかと賢人として名高い、釜無川の神に尋ねることにしたのだった。
「ふむ」
相談を受けた釜無川は、しばらくサラサラと流れ、考えにふけった。
鳳凰山は、じっとしてその流れを見ているしかなかった。
「ふむ。思案を巡らして、一つの妙案を思いついた」
ようやっと考えがまとまり、釜無川が声を上げた。
「ほう、それは?」
「それはの…」
「ふむふむ、おお、それは名案だ。さすが、釜無川の叔父御だ」
それはこの世の理を利用したものなので、いんちきすることはできない。まさしく公平無比の名案であった。

一方、八ヶ岳が富士と背比べをするという噂は、正式に話が届く前に、富士の耳に入ってしまった。
しかも、相手が新参者で己の目の前に現れた八ヶ岳だと聞いて、富士は驚いた。
富士は高飛車の高慢ちきで、しかもかんしゃく持ちだったのでみなに嫌われてはいたが、頭が悪いわけではなかった。
目の前…とはいっても、片や駿河と甲斐の国境、片や信濃と甲斐の国境である。それなりに距離がある。この距離であれだけ見えていれば、富士と互角か、それ以上の高さではないかと判断していた。
とはいっても、挑戦を受けなければ名折れだし、勝負に負けたらこけんに関わる。
しかし、「今までわらわよりも高い山などなかったし、きっとこれからもそんな山が現れることはないだろう」と高をくくり、軽い気持ちで勝負を引き受けることを決めたのだった。

富士と八ヶ岳(2)

2007-09-14 22:34:46 | 民話ものがたり
ある日のこと、八ヶ岳はある山に声をかけられた。
「なぁ、そこの…背ぇが高いの」
「は、わたしのことですか?」
「そう、お主だ。すまんが、少し話をせぬか。お主と見込んでの話だ」
別段あやしい素振りを見せていたわけでもなく、何か悪いことをしようとしている目つきにも見えない。話をしたいという相手の申し出を断る理由もなかったので、八ヶ岳は話を聞くことにした。
その山は、鳳凰山と名乗った。鳳凰山といえば、この辺りでは非常な有力者であったし、ここらでは新参者の八ヶ岳にとっては、とても喜ばしいことであった。
ところが、話というのは、何ではなかった。駿河の富士のことだったのだ。
八ヶ岳は、ひどく退屈に感じたが、ここは後先のことを考え、おとなしく耳を傾けることにした。
富士の悪い噂は聞いていたが、どうやら聞く以上にひどい山らしい。散々、富士への愚痴をこぼした後、鳳凰山は八ヶ岳にささやいた。
「どうだい、八ヶ岳とやら。富士にがつんと食らわせてやってくれないか」
もともと正義感が強い八ヶ岳であったし、そんな気にくわない富士に低く見られていることも鼻持ちならなかった。
「しかし、がつんとといっても。実際にぶん殴るわけにもいきますまい。」
腕組みをし、良の目をつぶって深く考え込んでいた鳳凰山は、右の目をうっすらと開けて、八ヶ岳をにらんだ。
身体の大きさの割に気が小さいところがある八ヶ岳は、刺すような視線に息を呑んだ。
「見たところ、お主の背は富士と同等か、それよりも高い。そこで、背ェくらべをしてみてはどうか」
「背ェくらべねぇ。そんなことで富士の鼻をへし折ることはできるですかい?」
「できる。やつぁそれほど、自分の背ぇの大きさに鼻を長くしているのさ」
ふむ…と、今度は八ヶ岳が考え込む番だった。

その晩のこと。
昼間のことを蓼科に話すと、蓼科は不安そうな顔をした。
「兄上、あんまり危ないことをしないで下さいな」
八ヶ岳は笑った言った。
「危ないとはいっても、ただの背くらべじゃぞ」
「危ないと申したのは、背くらべではございません。お相手のことです」
蓼科はぷんぷんしながら、飯びつから飯をよそって、八ヶ岳に投げるように渡した。
「聞くところに寄れば、富士とやらはたいそうなかんしゃく持ちだそうではありませんか。もし、兄上が勝とうものなら、どんなかんしゃくが出るかわかりません」
「はっはっは。心配いらぬ。わたしは男じゃぞ。女なぞに後れはとらぬ」
この話を受けるべきかどうか、不安に感じて返事を保留にして帰ってきた八ヶ岳であったが、いもうと相手に大口を叩いていると自信が湧いてきた。
「しかし…」とまだ熟慮を促す蓼科を制し、八ヶ岳は
「やってみる」
と宣言してしまった。
次の日の朝早くには、さっそく鳳凰山に受けて立つ旨を伝えてしまった。

富士と八ヶ岳(1)

2007-09-08 21:28:23 | 民話ものがたり
むかしの話。昔、といっても尋常ではない。
何せ、山や川の神さまが、平然と会話をやってのけるほどの昔だから、相当である。
そんな昔の話。

駿河の富士といえば、その形の美しさから、近所でも評判の美人だった。全国の山の神々から求婚を受けたが、どの山々も富士よりは低くかったし、富士自身もお高い性格だったから、実らずにあった。
やがて、その高飛車ぶりからみなに「富士の大女」といわれ、嫌われるようになってしまった。富士に足蹴にされた山の神々は何とか、あのお高くとまった富士に一泡吹かせてやりたいと思っていた。

そんなときだった。
富士よりも高いのではないかという山が現れたのだ。
富士のちょうど向かいに立つその山は、まだ日本にやってきたばかりで名前を、八ヶ岳と名乗っていた。
なぜ、八ヶ岳と名付けられたのか。それは本人にすら分からなかった。生まれたときから八ヶ岳という名前なのだ。
父母に尋ねても、答えをはぐらかされるだけで、納得のいく答えをもらうことはできなかった。
ただ、そのことを尋ねると、父母はこの上なく悲しげで、淋しげな顔をした。母などは、ときにうつむき、涙を流すこともあった。
そんな父母を見るに堪えず、そのうち八ヶ岳という名前について聞くことはなくなり、いつしか二人は父母の元を離れ、甲斐と信濃の境にどっかりと腰を下ろすことになった。
足下には妹もおり、そちらの方は「蓼科」というきれいな名前をつけられていた。
二人は世事には疎かったが、仲睦まじく暮らしていた。

新企画・民話ものがたりについて

2007-08-30 22:28:50 | 民話ものがたり

えー、わたしのブログを読んで見てもらえればわかるのですが、けっこう民話とか伝説などを私的に解釈して、再構築して、妄想などを織り交ぜつつ、書き表している回がけっこうあります。
例えば、「早太郎温泉の由来」や「なぜ彦根で招き猫なのか?」の回ですね。
読んでいるみなさんにはさぞかし苦痛であったろうと思うのですが、書いている本人は実に楽しんで書いていたりしました。
そして、書いていて思ったんですよ。

民話というと、あまりよい印象がないという人も多いのではないでしょうか。
…悪いというのは、古めかしいとか子どもじみているとか。そういう印象です。
民話っていえば、昔話ですよね。簡単に言えば。
就学前児童を中心に読まれる昔話は、子どもにも理解が容易なように、極めて簡素に面白いところだけをとって、時には話の筋さえ変えて再構築されたものだと思います。
しかし、民話は子ども向けに作られたわけではありません。
その土地の古来の風習・名の由来・道徳観などを、興味深く伝えていくためのものなのです。
それを、子どものためだけのものにしておくのは、実にもったいないことだなぁと。
 
古今、民話を題材にとって作られた小説は、たくさんあります。
有名なところですと、小泉八雲(1850~1904)の『怪談』(1904)や芥川龍之介(1892~1927)の『杜子春』(1920)などでしょうか。
それほどの作品を書こうとは、当然思っていませんし、そんな力もありません。
目安としては、小学校高学年以降でも読書に耐えられる作品作りです。
作品には、原案の民話とワタクシの考えが入ります。
まぁ、わたしの屁タレな頭で考えた文章ですので、大したものではありません。
そこらへんを、なにとぞ、ご了承ください。
 
では時間はそれなりに必要になりますが、ぷりぷりと書いていきたいと思います。