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入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

      ’24年「冬」(35)

2024年12月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

  頭上の倒木はいずれ道路に落下する、次回はチェーンソーを持っていく
 
 歩いていれば、人は1分間に6,70㍍は進む。遠くに見えている畑中の道も、考え事でもしていれば思いがけずに通り過ぎていることもある。散歩をしていると、よくそういうことがあって、以前には歳を取る早さに譬えたことがあった。まだまだ先だと思っていたら、いつの間にかその歳になっていた、と言う経験は誰にもあるだろう。
 
 その一方、「座る」と、1分は結構長い。5分ならもっと長い。その間は鼻でする呼吸に集中することになっていて、一応その指導に従うべく努力している。すなわち、そんなことができるか否かはまた別の話だが、雑念、妄念はご法度ということになっている。
 にもかかわらず座っていると、今夜は何を食べようかという愚にもつかぬことが、耳のそばで囁く。情けない話であるが、それが実情である。

 こんなふうに歩いていれば時の経過の早さを、座っていればその遅さを意識する。これでは普段から混乱している頭の中が、よりひどくなるのではと案じながらも続けている。
 それでも散歩はまだいい。暇をつぶすには炬燵の囚われ人だけではいられないからだし、散歩コースの見慣れた風景でも微妙に表情を変えてくれるから飽きない。小屋から眺める権兵衛山がそうだった。

 それではなぜ座るのか、となるとこれは自分でもよく説明ができないでいる。最初は、時の過ぎていくのに少しでも抗おうとして始めたつもりだった。
 今でもその気持ちはあるが、稀にだが結構集中できる時があって、スキーで納得のいく滑りができた時のように、その体験を再現させたいと思っているのではないかとこのごろは考えている。以前に「心のラジオ体操」と言ったりしたが、いまさら精神的な面ではあまり期待していない。
 もう少し続けていけば、もっと上手い説明ができるようになるかも知れないが、さてそれも果たしてどうだか。

 今朝は寒かった。7時半過ぎでも外の気温は零下4度、上ならさらに6度ばかり低いだろうから零下10度か。そのくらいにはなっていただろう。
 一昨日上に行った時、いつものように取水場へ行ってみたら、放出している水が危うく氷の塊で塞がれそうになっていた。氷柱を割り、加減していた水量をさらに増やしてきた。
 本日はこの辺で、明日は沈黙します。


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      ’24年「冬」(34)

2024年12月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 急に思い立って上に行ってきた。心配していた雪の状態は、きょうの写真からも分かるようにそれほどのことはなく、道中何事もなく小屋に着くことができた。
 荊口を過ぎてから目に付き始めた道路に残る雪は多分昨夜降ったのだと思うが、芝平を過ぎ第1堰堤から先は車の通った跡はなく、峠に出ても変わらず、ついに上までずっと新雪の続く道に新しい轍を残してきた。
 最も雪が深かった場所は牧場内の初の沢の大曲りを過ぎ、日の当たらない緩やかな登りとなる場所で、古い雪の上にさらに積雪を増やしたらしく15センチほどはあっただろうか。このまま大雪が降らなければ越年は車で行けそうだったが、こればかりはあまり楽観しないことにした。
 
 やはり上に行くと冬の山の冷気に触れ、あるいは久しぶりの雪の山々や剣呑な雪空を眺め、気合が入る。緊張感が湧いてきて、それが快い。
 人気はもちろん、鹿の姿すら目にしない。雪の上に残る足跡といったらせいぜいウサギぐらいで、他の動物たちは雪を避けもっと標高の低い場所へ移動したか、それとも穴倉の中でおとなしくしているのだろう。
 
 雪の上に残るそんな足跡を目にすると、決まって思い出すことがある。あれは2匹の犬を連れて、第1堰堤から夜の雪道を歩いて登ろうとした時のことだった。
 ド日蔭の少し手前、犬が目敏く鹿の死体を見付け、そうなったらそのうちの1頭キクはそこで後続することを止めてしまった。獲物のそばから離れようとしないのだ。そのうちに追いかけてくると思ったが、それがお転婆な彼女の姿を目にした最後となった。
 いろいろな事情が重なって、本格的に犬の捜索を始めたのは翌々日になったが、今でも雪の上に残る動物の足跡を見ると、他の動物との判別に苦労しながらキクの足跡を探し歩いたことを思い出す。北原のお師匠が、「戻ってきたら肉を持って行ってやる」と言ってくれたその声も一緒に。

 いろいろなことがあった。里と比較して上には良いことの方が多かった。帰りかけて、そんなことを車を停めて振り返っていると、起伏に富んだ雪の丘陵に、初の沢の流れるダケカンバの林に、そして視界に入る遠い吹雪の山々にも感謝の念が湧いてきた。
 もし車で行くのが無理になったなら、法華道を歩いていくことも厭わないと思っていた。
 本日はこの辺で。

  
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      ’24年「冬」(33)

2024年12月18日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 昨日も似たようなことを呟いたが、12月もいつの間にか半分以上が過ぎてしまった。本当に「いつの間にか」という気がしている。同時にまた、山を下りて約1か月が経ち、7か月間の上の暮らしの方は遠い記憶の中に片付いたのか、まるで他人事のようになってしまった。
 越年のため、荷揚げを兼ねて上の様子を見に行きたいと思いながらも勝手に日ばかりが過ぎゆくから、こんなことでは年末がすぐに来てしまいそうだ。(12月17日記)

 午前6時半、室内気温が6度に対し外は零度、まだ空腹感はない。部屋の中が暖まるまではじっとしていて、風呂の湧くのを待つことにする。
 昨夜はおかしな夢を見た。引っ越しの夢で、住所は新宿区でありながら近くに諏訪湖があって、街はそれなりの落ち着きを見せていた。目指す家は古い共同住宅で、急な階段を上った2階の6畳間の入り口に急ごしらえの流し台とガスコンロがあり、部屋の中には知らない人の古いベットと、その上に布団が山積みされたままになっていた。果たしてこんな所で夫婦二人が暮らせるのかと茫然としているところで夢から覚めた。
 
 で、実際はどこに寝ているのか分からず、しばし薄暗い部屋の中を見回し、ようやく現実に還り安堵した。まだわが陋屋の方が広いだけでもマシだった。
 夢の中に連れ合いがいたのも意外と言うしかなく、人生の半分以上を一人で暮らしてきたのに、ちゃんと夢にはいた。それも、長年一緒に暮らしていたらしく、何か疲れたような動作で引っ越しの続きをやっていた。
 口は利かなかった。亡くなった人は夢の中に出てきても、言葉を口にしないという話を聞いたような気がする。その上明らかにやつれていた。夢の中でも苦労させていたようだ。

 この意味深な夢を反芻しながら風呂に入っていると、その間もずっとオートバイの暖機運転の音がしていた。すぐ走り出していれば、4キロぐらい先まで行けただろうに、まだ動く気配がない。
 バイパスができたら、田んぼの中にアパートができ、近くにはいろいろな店舗も出店してきて便利になった。しかしその分騒々しくなった。
 都会で喧騒には散々鍛えられたはずながら、もしもあの音を入笠の子鳥の声のように聞くことができたなら、わが人生もかなり違っていただろう。
 本日はこの辺で。
 

 

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      ’24年「冬」(32)

2024年12月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 月日の流れるのは早いが、一日は長い。明日だと思っていた時間がようやく来て、夜の更けるのに心身が慣れてきた。午前零時を回ったが、もっとこのままこの時間の中にいたいと思い始めた。遠い昔にあって、今はない懐かしい時間のような気がする。
 ここでまたビールを飲めば、何時間後にははばかりに行くため起きなければならない。それでも、もっとこの時間に深くはまりたいと思うから、アルコールにも出番を与えようかと迷っている。さて。

 空の半分以上が陰鬱な雪雲に覆われた朝が来た。今朝も、西の経ヶ岳の雪の状況を見ながら、ここからは見えない反対側の入笠も含めた東の山のことを気にしている。
 あの人たちはこんな天気の日でも、身の丈を超えるクマササや新雪に足を取られながら仕事をしているのだろうか。日の射さない、北側の急な斜面で。
「あの人たち」とは樵(きこり)のことである。

 この時季、伐採の仕事は危険で寒く、大変な労力を要する。伐った木材を搬出するため山腹にキャタピラ付きの重機、フォワーダーが通れる道をえぐるように造ることから始めなければならない。これにもバックフォーだかユンボだか、はたまたシャベルカーと言うのか、重機が必要である。
 作業道ができれば、いよいよ伐採が始まり、それが連日続く。伐り倒した木材はフォワーダーからワイヤーを引き出し、それで結んで引っ張り上げるのであるが、作業員はそのために下り、そして登り、を繰り返さなければならない。
 雪が深ければ根元まで除雪できず、ずいぶん中途半端な所から伐採したなと思ったりする木も目にするが、逆にそれが樵の苦労を伝えているのだと分かる人は少ない。

 そうやって、終日奮闘し、今度は伐った木材をトラックに積み込み、積載量オーバーを気にしながら里に運ぶ。この丸太、4メートルが標準だが、一体いくらすると思うだろうか。落葉松でもいいし、ヒノキでもいい。貯木場で皮付きのヒノキを買ったことがあるが、驚くなかれナント1本の値段が千円しないのだ。
 ということは、仮に一人の樵が日に30本伐れたとしても、その額はたったの3万円にもならないことになる。あの苦労と労力の対価としてはあまりにも少な過ぎる。さらに伐採した丸太を20トンの大型トラックが待つ場所までフォワーダーで運び、積み込みをやって、さてどれほどの量の材木を貯木場まで運べるか。金額にしたら、恐らく良くても10数万円程度にしかならないだろう。

 わが国の7割が山岳地帯だと知っている人はいても、その大半は戦後に植林された人工林で、すでに伐採期を迎えているにもかかわらず、それができずにいる現状を知る人がどれだけいるだろうか。国有林内には放棄され、朽ちかけた作業小屋が今もそこらに残っている。
 吹雪の中、遠くから聞こえてくるチェーンソーの音は、そうした山や林の現状に対する訴えでもあるかのようだ。
 本日はこの辺で。
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      ’24年「冬」(31)

2024年12月14日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨夜、里にも雪が舞ったらしく、掃き集めた落ち葉の上に白い物が残っている。いつもの癖で垣根の間から経ヶ岳を覗くと、中腹というよりもっと下方の山裾、仲仙寺辺りまでも積もるような雪が降ったようだ。
 天気予報もコロコロと変わり、昨日の予報ではきょうは雪だったが、今見れば晴れになっている。ところが安堵してもう一度外の気温を見に出たら、わずかの間に雪が舞い始めている。気温は4度、それほど寒さは感じない。

 きょうは土曜日、何の予定もない。何もする気がないからそれでいいし、朝風呂に入ったら、ビールまで頂きたくなってきた。
 断っておくが、アル中というわけではない。煙草を吸っていたころは、あれは明らかに中毒で、山に熱中していなかったらまだ吸っていたと思う。しかし酒は、止めようと思えばそれほど苦労しなくてもできるつもりでいるから、いつかこの独り言に、「酒を止めた」と呟く日が来るかも知れない。

 それはさておき、昨夜仕込んでおいたおでんの中から、大根とちくわを取り出し、それを肴に乾いた喉にビール流し込んだ。「ウマい!」とここで呟きたいところだが、格別そうでもない。無論、「不味い」とは言わないが、むしろおでんサマの方が美味かった。
 おでんは、ビールではなく日本酒の方がいいと分かっているが、さすがに朝から重たく酔うのは憚られたから、ビールにした。
 そのおでんについてだが、本当はそれほどの好物ではない。酒のつまみなら、むしろ焼き鳥の方に軍配を挙げたいが、外で飲むことはあまりないからそれは叶わない。

 ではなぜか、ということになるが、作り置きしておけばこれが食事の度に副菜を作る手間が省けるということと、やはり美味いおでんを作ろうとする過程が面白い。味にこだわりたいのだ。
 特に大根は演劇の主役ほどにも重要で、普段はそれほど栄養価も高くないし、煮えるまでにも時間がかかるから、レタスやセロリーのように食材としてはそれほど相手にはしてない。すぐに柔らかくなり、保存にも困る。

 それが、何年かぶりに会ったらすっかりいい娘さんになっていたと言う話があるように、大根がすっかりあまたの食材の中で頭角を現すようになってきた。
 大根を細切りにして、アサリと一緒に炊く、そして七味唐辛子を振って食べる。この辛味が大事で、さすが池波正太郎だが、この人の原作をテレビドラマ化したあの作品で教わったばかりだ。それに加えて、昨夜は残りのアサリもきちんと下処理して、酒蒸しで美味しく日本酒を頂いた。

「あはれ秋風よ情(こころ)あらば傳へてよ・・・(佐藤春夫『秋刀魚の歌』)は、いつの間にか秋風でなく、冬の風だ。
 本日はこの辺で、明日は沈黙します。
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