そう、いかに南紀の山が、海が一時心を虜にしたとしてもそれは旅先のこと、見慣れた変哲もないこの風景こそが帰るべき心地良い家であり、懐かしい寝屋である。いや、ある人たちには「古女房」とか、譬えは変えてもいいが、牛番には入笠こそが、そういう地である。
それにしても旅はいい。、できればあの人のように、僧衣をまとい地下足袋を履き、あの人が辿ったとは逆に、秋葉街道を遠州灘を目指して下っていきたいものだ。若いころから幾度そういうことを夢想したことか。
季節は、できたら秋がいい。あの辺りの峠道は、秋にはススキが白い穂をなびかせ、日の暮れかけた山道を行く風変りな旅人のために、急げいそげと夕風に揺れながらやさしく背中を押してくれるだろう。土ぼこりをまとい、うらぶれた僧の、品行方正を曲げず続ける当てのない一笠一鉢(いちりゅういちばつ)の旅・・・。
「お前、旅で頭がおかしくなったのではないか」
「それでござる。確かに」
「そんなことを今のご時世にやれば、狂人と思われるぞ」
「いや、いや、装束は別にしても、秋葉街道は熊野古道にも増して歩いてみたい長年の夢の街道でござる」
「あの”歴史と街道の人”は、秋葉街道については書いていないだろう」
「だと思いますが、この辺りは火伏の神・秋葉信仰がことのほか篤かったのでござる。講を組んで、代表が直線でも160キロ以上の遠路を幾日もかけ、目指す秋葉神社まで行ったのだそうでござる。また平家の落ち武者も、宗良親王も通った古の道でござる」
「それと入笠がどう関係するのだ。まあ別に関係しなくても構わないが」
「入笠を通る法華道も、それより古い石堂越えも、どれも秋葉街道(=国道152号線)と繋がるのでござる」
「なるほど。しかし前から思っていたが、お前のその”僻村と古道症候群”とは一体何なんだ」
「自分でもよく分からぬのでござる。虫けらのように草莽に死に、忘れられていく人たちとか、その生き方に共感するのかもしれませぬ」
「それはまあ、お前のように生きたればこその思いだろうよ」
「・・・」
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