入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

    ’16年「夏」 (50)

2016年06月28日 | 入笠にまつわる歴史


 「十一月八日 晴   午前六時半、荊口を発し栗ノ木立組より施業。道路も峻険。積雪尺余。上がるに随て積雪愈深く、三里許、頂に至る。これを御所平嶺と称す。下れば平原。水は尚三峰川に落ちるの源流なり。復上る、半里、仏平嶺に達す。之を伊那・諏訪両郡界とす。嶺北に一高山あり。雨請岳と称す。近傍の地形を視るに便ならんことを期し、雪中を侵し頂に達る。連脈中の高嶺なり。以下略」

 大澤さんは、地形学の世界ではその名も知られた神足勝記(こうたりかつき)の膨大な第1資料を調べ、それを長年かけて書き起こし、さらには実際に著者の足跡を求めて多くの地を訪れている研究者だ。今回もその資料を参考に現地にやって来た。ところが、その記述には納得できない箇所があり当惑された。無理もない、高遠から乗ったタクシーが氏を連れていった所は「御所平峠」ではなく、入笠山の登山口である。この駐車場がいつの間にか、「御所平峠駐車場」として案内図にも載るようになったからだが、以前にも書いた通り、「御所平峠」はこの場所ではない。「嶺北に一高山」はない。
 マナスル山荘新館の女将に尋ねたら、牧場の管理人なら何か分かるかも知れないと言われ、ちょうど牧区の見回りを終えて走っていくトラックを見て、調査のため携行していた自転車で後を追いかけた、ということらしい。
 大澤さんの専門は財政学である。戦前の皇室の財産などを調査、研究する過程で”明治の伊能忠敬”と呼んでも差し支えない、神足勝記に行き当たったのだ。明治の初期、皇室財産、主に山林が急激に増大したが、彼の調査はそれと関係したものだったようだ。
 神足の資料にある入笠周辺の記述は正確である。経路は、法華道の赤坂口(法華道には別に諏訪神社口がある)を出発して、御所平、仏平、雨請岳(入笠山)を経て、富士見の若宮に下ったと読める。
 神足勝記については、インターネットでも検索できる。興味があればそちらに目を通すことをお勧めし、今日のブログでは、取り敢えず二つのことを強調しておきたい。一つは「御所平」と呼ばれている場所が、明治の初期の神足勝記の調査でも、現在の場所と一致し、従って当然「御所平峠」もこの場所であるということ。もう一つは、これこそが新事実の発見であり驚きだが、入笠山にはもう一つの名前、「雨請岳」という山名があったということである。(つづく)

 山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の営業に関しましては、カテゴリー別の「H28年度の営業案内」をご覧ください。
 
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«     ’16年「夏」 (4... | トップ |     ’16年「夏」 (5... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

入笠にまつわる歴史」カテゴリの最新記事