モッチリ遅いコメの距離感

オーディオルーム、シアター、注文住宅などに関してのblog。

聴き取れる音の深層

2016-05-16 23:12:05 | オーディオ
新宅の視聴覚室(オーディオルーム以外の用途での活用が結果的には意外に多かったのでこの表現が一番妥当になっている。)でいろいろな曲を聞いてみて、
旧システムでは知ることの出来なかった定位感や、スケール感、迫力、実体感を感じ取れることに感心して、ポップスやソロ楽器を聴くことが最近までは多かったが、
今はまたメインをオーケストラに戻しつつある。

新しいシステムで交響曲を何度か聴いて、現在までで一番心に刺激を受けた点は、
低音楽器が鳴らすピアニッシモの表現の細かいニュアンスが明確に表現できている点である。

バイオリンとかトランペットが派手に目立つ音を出している影で
コンバスとかチェロとかが弱い音で弾いたり弾かなかったり、ピチカートを叩いてみたり、
ティンパニが小さくトントンやったりやらなかったり、叩き方変えてみたり、
そういう目立たない音の中の細かい芸が明瞭に表現されているのを知覚出来る環境になったと実感した。

実際にシステムのステップアップを何度もしている中で
こういった地味ーな部分がオーディオ再生にとって一番難しい部分なんだなと感じている。
(あくまで現時点での実感であり、よりリファインせねば表現できない部分に気付くかもしれないが)

何と言っても上で述べたオーケストラの地味な音の再現は、
①他の目立つ音に紛れている(分解能が無いと表現できない。)
②音が低い(低音をクリアに再生できないと表現できない。)
③音が小さい(多少の生活騒音が存在する室空間では騒音に紛れる)
という解決が難しいポイントを複数含んでいるからだ。
かつてのシステムでは少なくとも③が十分に解決できてはいなかった。

オーディオシステムの評価に
やれガン付きやらハルサイやらの派手な部分の迫力を再現できるかなどを
従来まで気にしていたが、オーディオの楽しみはそれだけではないんだなと感じている。
かつてヘッドホンオーディオやっていた時期にも、演奏者や指揮者のうめき声や、
ペダルの軋む音など細かい音を拾うことを楽しんでいたこともあったが、
そういうのとは楽しみ方が異なる。
紛れがちな地味な音の中の込められた表現に心を動かされる。従来の環境ではそれが困難であった。

観劇で例えるなら
主役の見せ場をより美しく楽しみたいという欲求は、当然の感情であるが、
それだけに血道を上げるのはややミーハーなところがある。
作品の裏話や出演者の経歴を知りたいというのは、楽しみが増える可能性はあるが根本の理解が深まることに直結しない。
主役の派手な立ち回りの影で脇役の見せる細かい芸を楽しむことができるとか、そういった類のものである。

システムをアップグレードすることで開けてくる新たな世界は
オーディオの醍醐味であるし、さらに新たな世界を求めたくなってしまうものだが、
自分にとって、これより上はエベレストだ。無酸素登山の自分では上れない(資産が無い)。
今後は自分はマイナーアップデートに終始せざるを得ない。
800D3も発表され、さらに進歩した音が市場に出現するのだろう、
他のハイエンドメーカーの卓越した音も世界には存在している。
そういったものに気軽に挑戦できる状況では無いので
今のシステムの表現力にじっくり付き合って、
その表現力を十二分に理解することに年月を費やそうと思う。
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