だから、ここに来た!

いらっしゃいませ! 英国旅行記の他、映画や音楽、テレビドラマ、演劇のレビューを中心にお贈りしております!

【ネタバレ】「シン・エヴァンゲリオン劇場版」個人的感想

2021-03-12 | movie/劇場公開作品

3月9日(火)に「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を見てまいりました。

このブログでは触れたことはありませんが、
1990年中頃、劇中に登場するリツコさんみたいな同級生から薦められて、
「新世紀エヴァンゲリオン」の一挙放送を見た時から現在まで、
なんだかんだでシリーズをずっと追いかけて見てしまいました。
「Air/まごころを、君に」を見た時の衝撃は、昨日のことのように覚えています。

そんなエヴァンゲリオン新劇場版も今回で終幕。シリーズ自体のエンディングになります。
公開日が延期、延期…となり、気長に待っている間に、
自粛生活と言うこともあり、アニメ版、旧劇場版・新劇場版3作、
それに原作漫画のエンディングを復習し、考察動画も色々見ることに。
10代の頃よりはるかにエヴァについて理解出来ている仕上がった状態(当人比)で、
この日を迎えることが出来たのです。

「Air/まごころを、君に」でただただ呆然と映画館から出てきた時とは違い、
今回は、映画館を出て談笑しながら歩く人たちとすれ違いながら、
みんなが生きている幸せを感じたり、
公園で手入れしてある樹木を見て、誰かが丁寧に面倒を見てくれてるんだなと気づいたり、
なんだかとても優しい気持ちになれる作品でした。

本当いうと、もっと動員数が少なくなってから見るつもりだったのですが、
早く見て、振り返ったり考察したりするのが楽しみですからね。
そんなわけで、(前もって公開されていたパリ作戦より後の部分で)
私なりに気になったところをまとめておこうと思います。
一回寝たら今日の気分を忘れてしまいそうなので…

※考察ではなく、あくまで感想の覚えがきです。思い出したところは後から書き足すかもしれません。

 

■トウジが生きてた!
「Q」でネルフに戻ったシンジに支給された服がトウジのシャツだったので
死んだのでは?と思われていたけど、生きてた!第三村の医師?になって。
よかったー。この時点で涙ポロポロ。
委員長もすっかりお母さんになって…。
そっくりさん(綾波タイプの初期ロット)にたくさんの「おまじない」を教えてあげる姿が特にお母さんらしくて温かい。

■委員長のお父さん
初めて見る委員長のお父さん。
アニメ版だとネルフの関係者だった可能性もありそうだけれど、新劇ではどうなのだろう?
出されたものを食べないシンジ君に怒る様子から、村での食糧事情が察せられる。
まるで現実の戦中・戦後みたいだ。おそらく、意識的だろう。
フォース?インパクト発動時にガタガタと振動する窓の向こうで、
お父さんが一人悟ったように部屋でお茶を飲んでいる姿が印象に残った。

■アスカとケンケン
これは唯一ネタバレを踏み掛けた。
(「アスケンのカップリングが納得出来ない!」と言うツイートをちらり見かけたため)
風呂上がり?で全裸のアスカにタオルをかぶせるケンスケを見て、
ああ、このことなんだなと理解。
「破」ではアスカがケンスケたちを完全にガキっぽいと見下していたけれど、
ニアサー後に心を開くようなきっかけがあったんでしょう。
ケンスケたちは昔の加持さんとそう変わりない歳で、
アスカが見下していたあの頃のケンスケではない。
どこまでの関係なのか?というのが気になるところですが、
最後にシンジの手でアスカが地球に戻っていく時、慰めてくれる存在=大きな人形からケンスケが出てきて
頭を撫でながら「アスカはアスカだ」と告げるシーンを見て、
あくまであの時点まではアスカにとってケンスケは恋人や家族ほど大きな存在をして存在していなかったように思います。
そうでなきゃ、あのシーンでケンスケが求めていた人物だったと「やっと」気づいたことにならないような。
それにしても、あれだけエヴァに乗ることに固執していたケンスケが、
村のために技術屋として活躍している姿に胸が熱くなりました。
エヴァに乗らなくても世界を守ることは出来ると気づいたんだろうな。嬉しい。

■そっくりさんと農作業と猫
人としての生き方を知らない綾波そっくりさんが、
挨拶や田植えやお風呂や読書を一歩一歩学んでいく姿にまたボロ泣き。
新しい名前のヒントを得ようと車内図書館に足を運んだ彼女が、
「Q」で本を置いてくれていたシンジ君の姿を思い出すところで、
シンジのあの努力も無駄じゃなかったんだ!と救われる気持ちに。
みんなに制服着せられて可愛い可愛い言われながら恥ずかしがっている姿も可愛かった。
あれは委員長が大事にとっておいた制服かな?

■なんでみんなこんなに優しいんだよ!
シンジ君の言葉。昔の彼ならアスカの突き放すような態度も優しさだとは気付けなかったと思う。

■シン・加持リョウジくん
名前を聞いた時に一瞬、加持さんもクローンになったのかを思ってしまった(笑)。
両親の正体を明かさず、父親の名前をそのまま子供につけたミサトさん。
せめて子供に父(恋人)の証を名前として残しておきたかったのかもしれない。

■ニアサーも悪いことばかりじゃない
ちょうど東日本大震災が10周年を迎える3月に見たために、
第三村の生活を戦後や震災後の町と重ね合わせて思い出してしまいます。
10年前から自分も、よくも悪くも変わったなと振り返るのです。
やっぱり(自助の前に)公助・共助は必要だと思うし。
村へ帰る車の中でケンスケがシンジを慰めるように言う一言は、
本人にとっては口にするにはとてつもなく重いことだと思うけれど、そう伝えられる強い優しさを感じます。

■ミサトさんの真意
「Q」の「あなたはもう、何もしないで」のセリフで、
当時は私もシンジのように動揺したけれど、
「ミサトさん最低」とか「お前『破』で言ったこと忘れたのか?」などというコメントを見て
「お前らミサトさんの気持ちも考えてみろよ!?」と憤ってたので、
ミサトさんのシンジを守りたい気持ちが明らかになって、
彼女を責めてた連中は「ちったぁー反省しろ!」と思いました(笑)。
シンジはミサトにとって初めての、守りきれなかった息子で、
リョウジはもう失いたくない息子なんだろうと、2人の写真を見て感じるのでした。

■SDAT
拾ったものは返すのだと学んだそっくりさんがシンジに渡すご存知、SDAT。
新劇場版ではとりわけ重要な意味を持つものとして注目されていました。
つまり、SDATを持っている人を中心に物語が展開していくという説。
そっくりさんはシンジが引きこもっている間に村の生活に馴染み、
今まで知らなかったことを学んだ後、シンジに感謝の言葉を伝えSDATを渡し、溶解。
そしてシンジは、最後に父であるゲンドウにSDATを渡します。
まるで、アニメ版もしくは「まごころを君に」のシンジの自問自答と対になるように、
ゲンドウ目線のセラピーを見ているよう。
旧劇場版がシンジ自身の答えを探す話だったのに対して、
新劇場版は、シンジが周りの人たちの答えを見つけてあげるような物語でしたね。

■涙で救えるのは自分だけ、涙を流しても他人は救えない
胸に刺さるセリフ。マジで。
→追記。映画「カメ止め」の上田監督がアニメ版から劇場版まで全部見て最終的にシンエヴァを見る企画をやっていたのですが、
 この動画に登場する、友人の松本くん(動画の時点で6回シンエヴァ鑑賞)が語っていた考察になるほど!と納得しました。
 松本くんは塞ぎこんでいるところから一気に迷いなくヴンダーに乗り込んだシンジの気持ちの変化がどこにあるのかがわからず、
 注意して何度も鑑賞した結果、
 「シンジは土の匂いを感じて、加持さんとの約束(葛城を守ってくれ)を思い出したためにヴンダーに乗る決意をし、
  初号機に乗る決意をした時にリョウジくんと会ったことや、土の匂いがしたことをミサトに告げた」んだと理解したそう。

■無茶いうわね…
ミサトさんが発進命令でリツコに「25分で現作業中止、30分後に発進する」
と伝えると、リツコが「20分で現作業中止、25分後に発進する」と言い換えてるところに、
出来るナンバー2だと感じた。

■加持さんの計画とミサトさんの計画
植物の栽培を愛した加持さんは、生き物を残すための箱舟として、
ミサトさんはネルフに対抗するための戦艦としてヴンダーに乗っていた。
予告編でミサトが向き合っているマギのような六面体の箱は、
加持さんが残そうとした生命の種なんですね。

■ピンクの髪の子
話し方といい、態度といい、あの子は最後まで苦手だった。
怪我したミサトさんを運ぶ時にもタメ口きいてたし。お前艦長にタメ口かよ!?
でも彼女もあんな時代に生きて親もなくしろくに教育を受けなかったのかもしれんし、仕方ないか。

■ヤマト作戦
カッチョ良すぎる!「タイマン上等!!」

津島利章 - 惑星大戦争 (1977)

■式波シリーズ
こっちは本当にクローンだった。と言うことは惣流がオリジナルと言うことか。
親の愛を求めていたオリジナルに比べて、式波シリーズの方は、
ひとりぼっちで孤独であることに囚われていた気がします。

■人を捨てたゲンドウ
「忌まわしき花嫁」のモリアーティ以来に後頭部吹っ飛んだ人を見たw
旧劇と違い、リツコがゲンドウにガンガン発砲しててすっきりしました。

■葛城隊長の提唱する人類補完計画?!
新劇において人類補完計画ってミサトさんのお父さんが出どころだったのか。
そう設定することで、ゲンドウに立ち向かうシンジ、
父に立ち向かうミサトを並べて見せようとしてるのかもしれない。

■子供が父親にできることは肩を叩くか、殺すかだけ
初号機と13号機の対決は、マイナス宇宙で、シンジの記憶の風景の中で行われますが、
第3新東京市の街並みが、特撮のスタジオのように模型のように描かれていたのが印象的でした。
ミサトさんの散らかった家で戦闘が始まった時はさすがに笑っちゃいましたが、
背景が倒れて撮影現場を見せる演出は「屋台崩し」ですね。演劇的。
考えてみると、庵野監督は旧劇場版でも、客席をスクリーンに移して鏡で見ているような感覚にさせたり、
虚構に現実を取り込む演出に拘っていたように思います。
「父殺し」に挑むシンジの頭にミサトさんの言葉が蘇り、殺すのではなく、肩を叩く方を選ぶシンジ。
ますます「スター・ウォーズ」的。

■知恵の実と生命の実
本編の中で説明がされたのは初めて?
どちらかが残らないといけない戦いだと明確に触れてますね。

■知識とピアノ
だからシンジもピアノのセンスがあったんだね。テレビ版ではチェロだったけど。
ところでゲンドウが一人が好きで、親戚に会っても云々…と話すところで、
わかるー!法事とかなー!って共感してしまった私がいます。
ゲンドウは嫌いだけど、彼の気持ち自体は、わからなくもないのであります。

■渚司令
なぜにカヲルが司令に…。
加持さんが傍にいるということは「破」までのことなのか、それともカヲルの想像の中の風景に過ぎないのか。
見終わった後に考察を探しに行きましたが、
ゲンドウの後釜としてカヲルが座った、とか、ユーロネルフの司令がカヲル、とか、
まだ咀嚼しきれていません。渚司令…。

■冬月とマリア
やっぱりマリは漫画の通り、冬月先生の教え子でゲンドウやユイと同じ生徒だったんですね。
そしてみんなユイに好意を持っている。
「イスカリオテのマリア」と呼ばれたマリは、「久しぶりに呼ばれた」と言ってたけれど、
昔から「イスカリオテ(のユダのような裏切り者)」と言われていたのだろうか?
それともマリアだけ?
ゲンドウ(と冬月)はユイとの再会を目標にしていたけど、
マリはユイが残したシンジの救出と保護を選んだ。
それゆえに仲間だったけれど相対する立場になった、ってことですかね。

■ガイウスの槍
船内で槍が船の脊椎から短時間で作れるなんですごすぎないか?
どういう仕組みなのか全然わからん!

■髪を下ろしたミサトさん
僕らの知っているミサトさんが戻ってきた(涙)!

■僕も好きだった
そうか、アスカはシンジのことが好きだったのか、と今更理解した。
どうもアニメ版の印象の方が強いので、
未だにアスカはシンジを子供として見ていて、加持さんのような大人に相手にされないから
子供のシンジで手を打ってるイメージがあって。
シンジはレイに惹かれてるだろうし、なんとなくお互い妥協しているような印象(笑)。
でも新劇ではレイに張り合って料理作ったりしてましたもんね。
今回はそんな「なんとなく好きかも」な幼い恋から成長して別れを告げた感じかもしれませんね。

■宇部新川
監督の出身地らしいです。
冒頭の、3人がL結界の中を歩くシーンでも宇部新川が出てくるみたいだけど、
ケンスケが迎えに来たとしても宇部新川からネルフ旧本部近くの第三村まで簡単にいけるものかね?

■シンジとマリ
エンディングは漫画版のラストを思い出させる希望に満ちたものでした。
シンジとマリがカップルなんてイヤ!と言う意見もあるそうですが、
一緒にいるからと言ってカップルだとは限らないし、
これは何度も繰り返してきた物語の1パターンだと考えると、
それほどカップリングにこだわらなくてもいいんじゃないかと思えます。
「なんで電車に乗らずに駅の外にでていくのか?」という意見を見たのですが、
今まで物語の中で、電車に乗り込むのはいつも別れのシーンだったし、
乗り込まないことでこれからも2人が一緒にいられることを表しているのではないでしょうかね。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ウエストエンド版ミュージカ... | トップ | 「キリング・イヴ」第1シリ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

movie/劇場公開作品」カテゴリの最新記事