だから、ここに来た!

いらっしゃいませ! 英国旅行記の他、映画や音楽、テレビドラマ、演劇のレビューを中心にお贈りしております!

5月に観た映画

2006-05-31 | movie/劇場公開作品
今月は順調に映画を観ることが出来たので、
メモがてら報告。

■プロデューサーズ
■RENT
■闇打つ心臓
■ピンク・パンサー(二回見た)
■ポセイドン(試写@国際フォーラム)
■アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶

割と当たりが多かった気がします。

■プロデューサーズ
非常に楽しかった。
ただ、これは舞台を映画化したんだなーということを意識した上で、
受け止めた結果ですが。
舞台の演出をそのまま映画のスクリーンに持ってきた感じ。
ネイサン・レインとマシュー・ブロデリックの息がピッタリあってて素晴らしかった。
それと、今回爆笑だったのはウィル・フェレルのドイツ人。
『奥様は魔女』のときは、評判ほど面白い人なんだろうか?
と思ってたけど、
いかれナチ野郎に扮した今回は痛快だった。
ストーリーは最後の方で尻つぼみになる。おしい。

■RENT

初めに観た時は、あんまり心に響いてこなかった。
ミュージカル嫌いがよく言う「突然歌いだす」部分とか、
『プロデューサーズ』のように、そのまま舞台を持ち込んだような映画とは違って
自分には違和感があったのかもしれない。
だが! 数日経ってサントラを購入して聴いてみたら、
捨て曲なしで驚いた。いい音楽じゃないか!
聴き込んでいくほどに、このミュージカル自体が愛しく思えてくる。
11月の来日公演も友人に予約してもらった。

■闇打つ心臓

80年代に撮られた自分の子供を殺害した夫婦を描いた、
8mm映画のリメイク…というか続編。
オリジナルに出演した内藤剛志と室井滋が、
続編にも出ることになった作品の裏側が、
映画の中でもドキュメンタリータッチで挿入されている。
ただ、それがいい結果を生んだのかは正直疑問。
あくまでドキュメンタリータッチなので、そこには演技が入っている。
内藤さんは、昔の自分を、年を取った自分が殴りたいと主張し、
設定に疑問を持つ若い役者の意見も無視したりする。室井さんもなんとなく傍観。
嫌ぁな感じの映画でしたが、映像は好きでした。

■ピンク・パンサー
オリジナルのファンであるだけに、
リメイクには不満が出てきてしまうのではないかと思ってたんですが、
いやー面白かった!!
確かにオリジナルとまったく同じスタイルとは言いがたいですが、
私の大好きな地球儀ネタやフランス訛りネタ、
下宿人のケイトーはいないけど、
代わりにジャン・レノが襲撃の相手役になってあげてたりして、
昔からのファンとしてでも、(Pセラーズとは別物として)好感触でした。
バカさ加減がハンパないです。そして愛おしい。
始めのアニメも昔ながらで嬉しい。

■ポセイドン
これを観て思った。
決して船には乗るまい。
どうやってもあの状況で生き残れる自信、ないもん。
この映画は『ポセイドン・アドベンチャー』のリメイクということですが、
オリジナルの方が面白いらしいですよ。
映画というよりアトラクションという感じ。
水に潜っている場面では、つい息をとめちゃうよね。

■アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶
ロバート・キャパとともに写真家集団マグナムを設立したメンバー。
数々の歴史的瞬間や、人々の影を写してきたフォトグラファーが、
重い口を開き、生前に自らの作品を語ったドキュメンタリー。
私は彼の写真を観たとき、風景が記憶の中に焼きつくように残りました。
その作品が彼のものであると知ったのはこの映画の予告編です。
映画というより、写真家と一緒に作品を観る時間を過ごすという方がふさわしいかも。
彼は、ゆっくりと写真を捲りながら、
カメラに写真を見せて「これは好きな写真だ」とつぶやき、
大好きな絵画の前にじっと立ち「絵画を模写するのが好きだった」と語るブレッソン氏。
彼の見事な構図の理由がなんとなく分かる気がするのでした。
音楽(おそらく氏が好きなクラシック)も、静かに彼の部屋の中に響いて美しかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『白夜の女騎士(ワルキューレ)』

2006-05-11 | stage
○5月8日(月)

転職の面接で、すっかり前売予約を忘れていた『白夜の女騎士』。
もう見ることはないだろう…と思っていたのですが、
ラッキーなことに観劇できました!
最近、演劇に関しては本当に幸運続き。
これからサッパリ運が尽きてくるんじゃないかと思って怖いくらいだー。


※自分の頭の整理のためにも、激しくネタバレします。ご了承を。


参考:読売新聞5月10日劇評




会場に入ると、役者が劇場内の通路を衣装で歩いていたりします。
舞台の奥の搬入用扉が開いていて(駐車場につながってるんですが)、
外の世界とつながっていることを感じさせる始まりになっています。
どちらもコクーンでは蜷川さん演出でよくあることだけど、
始めっから搬入口が開いてるっていうのは珍しいですね。

舞台上では、上演に使う飛行機やら部屋やらを出演者が動かしていたりして、
まるで客入れ前のような雰囲気。

舞台の両脇にスクリーンがついていて、
注訳や、場面の転換を説明するト書きなどが映し出されます。

野田さん特有のコトバ&文字遊びも、抽象的な場所の設定も、
このスクリーンに説明が映し出されるようになっているんですが、
説明してくれるのはうれしいけど、舞台と両方把握するのが正直大変でした。

遊眠社時代ではこんな解説はついていなかったわけで、
もし分かりやすさという点でこの方法を採用したとしたら、
ちょっと逆効果だったのでは?と思っちゃった。

だいたい「分からないけど、面白い」って言われてる分かりにくさの部分って、
ト書きで説明しているような場面転換じゃなくて、
その奥にある、それぞれの登場人物の存在の意味や、
無関係なように見えて、実はつながっている彼らの関係ではないのだろうか。

そこの意味を知りたくて、面白がる。どれが野田戯曲の楽しみでもある。
用語の説明はパンフでいいと思うんだよな。



いろんなところで書いてありますが、『白夜の女騎士(ワルキューレ)』は
『彗星の使者(ジークフリート)』『宇宙(ワルハラ)蒸発』とともに
ワーグナー作の「ニーベルングの指輪」を元にした、
「石舞台星変化(ストーンヘンジ)三部作」と呼ばれる作品のひとつ。
劇団・夢の遊眠社がよりメジャーになるきっかけでもある作品で、
1986年に代々木競技場第一体育館で一挙上演した時は、
上演時間6時間、1日で26,400名の観客を動員したことが有名だったりします。

遊眠社作品で再演された最近作は、
野田さん自身の演出による野田地図の『走れメルス』が記憶に新しいですが、
演出も衣装も装置も、いい意味で遊民社以上に
野田地図ver.の重みのない軽快さを感じました。

その意味では、今回の蜷川さんの手による遊民社作品は、
具体的な装置を出してくることで意味を明確に押し出し、
遊眠社時代を思い起こさせる(そのまんまだけど)見た目の重厚さによって、
糸を紡ぐようなコトバの変化の後ろにある
考え抜かれた物語の深さを同時に感じさせられます。

あからさまに武装警官隊を出してきたり、
赤い旗をたなびかせた民衆を飛行シーンに繰り返し出現させたり、
周りの意思によって動かされ闘争に巻き込まれていく主人公を、
神話の世界をベースにした作品ながらも、明確に現代に置き換えてました。



しっかし、観た後も、netで色々調べてみたりしてみたものの、
ちゃんと理解するのはやっぱり難しいわ。
戯曲が欲しかったけど、売っておらず…。
なんで新潮オンデマンドで売ってくれないんだ!!
メルスのときはあったのに。
仕方なく、自分でメモを取ろうと思ったのですが、始まって20分程度で断念。
メモとって下見てたら、舞台上を観ない時間がもったいない。

記憶に残る部分が、自分にとっては重要な瞬間のはず…
ということで、印象に残っている(記憶に残っている)ところは、


・百枚の夜のうち一枚は反転して白い
=百から上の一を引いて白夜

・ライト兄弟
=ライト(照明)・フライト
=RIGHT(右)=右脳=空を飛ぶ本能

・踏み切り=棒高跳びor列車の?

・しめすへんにサル(申)で神

・絡めとる=カメラ撮る

・「非行」=「飛行」
(ここあたりの台詞がよかったんだか…失念)

・「国境を超える時、ダレもが見つける花、エーデルワイス」
(この言い回し、すげー野田さんぽい。)

・ハム(アマチュア無線家)と卵(“サスケ”は卵から生まれる)

・QRA、QRM、NIL、QRT

・73=Best regards.
 88=Love and kisses.
(他に、33=女性同士で“さようなら” 、72=Peace and friendship.
 99=Go out.があるらしいよ。)


大して覚えてねー!!

それと、“その後の信長”の「ユーモアもあるだろう」という台詞が二回出てくるんですが、
一回目は実際笑いどころなんだけれど、二回目はすごく切なく聞こえるのが素晴らしい。
『贋作・罪と罰』の「たまらん」もそうだけれど、この台詞のもってき方は、たまらん。



出演者に関しては、松本潤君が上演二日目にして喉が嗄れてしまっていて
「これから大丈夫だろうか?」と心配になっちゃいました。
ワイヤーでの飛行シーンばかりが報道されていますが、
演技もクセが感じられなくて好感持てましたよ。スローモーションが上手かったな。
カーテンコールで、お辞儀の順番を間違えて、周りの出演者に突っ込まれてました。
(六平さんも間違ってたけど。)
挨拶が終わって、他の出演者が戻った後も、
名残惜しそうに改めてお辞儀する姿が印象に残りました。

お相手役の鈴木杏ちゃん、この春大学生になったんですね。しかも和光大。
彼女は、どの芝居を見ても「杏ちゃんだなー」と思えてしまうのが惜しい。
私だけかもしれません。
“おまけ”(役名)の“サスケ”に対する突っ込み加減も勢いあってよかったです。

そして、どこのブログを見ても絶賛されている勝村さん。
初々しい松潤を支える安定した演技に釘付けになります。
でも、釘付けになるのは、演技って言うより…ノリの方かも。
常にアドリブのような奔放な動きっぷり。
このままほっといても大丈夫なのか?と思わされるくらいですが、
クライマックスの真摯な演技とのギャップが、また魅力的です。
ただ、松潤との命綱のくだりは長すぎ!と思いました。

他に気になった方は、高橋洋さん、六角慎司さん。
ふたりとも声が通るし、脇役なのに存在感がありました。

そもそも、この作品は劇団に作られてる芝居だから、
登場人物も劇団員に当てはめられるように出来ているように思えます。
だから、役によってはキャストが贅沢に見えてしまいますね。杉本哲太さんとか。
ワル、キュー、レ?の三人娘も。
山口沙弥加のワルっぷりは結構イメージをはみ出してたなー。


5月11日(木)の朝日新聞の夕刊の扇田さんの劇評によると、
愛しい眠り姫(=ブリュンヒルデ)を、自分のせいで失くしてしまった
「その後の信長」を中心に描くことは、
60年代過激派闘争真っ只中に青春を過ごした蜷川さんの
闘争の行方を失った若者たちへの鎮魂歌なんだと書いてあった。

つまり、ワーグナー・ミーツ・「いちご白書を“もう一度”」ということなのか。

この二つを結びつけるために、すごく集中してみると、
一瞬、分かった!と思い、次の瞬間は見失ってしまう。
その危うさがこの作品に対する愛情になり、同時にハラハラさせる。
考えてると、あまりの深さに気が遠くなりそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする