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坂道の山を駆ける(2021小笠原no6)

2021-05-02 | 関東甲信越

 

 ① が船着き場の二見港。ここを出て順番に見学してきて、現在 ⑤ 夜明山にいます。以下順を追って ⑦ のお宿に向かうのでした。

 近くに地下壕があった。真っ暗闇の中に入ってみた。ずいぶん広く感じられたがスマホの光が頼りだった。この島には「戦跡ツアー」というのもあるけれど、ここにも寄るのでしょうか。

 戦争遺跡のつぎには、超現代的なこの施設 JAXA 小笠原追跡所が見えた。種子島宇宙センターから打ち上げられたロケットの飛行経路や飛行状況の確認のため、種子島で見えなくなって以降のロケットを電波で追尾する施設だそうです。それを種子島へはリアルタイムで伝送されるとのことです。

 私たちを見学に導いてくれる車は運転席を入れて10席しかない小さな車。狭い山道、みな同じこの大きさの車しか走れないようだ。その運転手兼ガイドさんがちょっと停車してくれた。生物多様性を守るため「ノヤギとノネコの侵入を防ぐため柵を設置しています」と書いてある。2mほどの柵が 5.7㎞ も張り巡らされているという。これは環境省のお仕事だ。まだまだ紹介する事項もあるのですが、それぞれの組織が一生懸命だ。知床や白神山地も訪ねてみたのですが、たまたまそんなところへ行かなかったのかどうか知りませんが、小笠原での取り組みのすごさは驚くばかりでした。

 この色がボニンブルーというのかな。少々青い色が見える穏やかなコペペ海岸に立ち寄りました。

    早い時間にホテルに着いた。この「ホテル  ホライズン」は由緒ありのホテルでした。

 ホテルロビーには、次に紹介する写真が飾ってありました。

 平成になって6年目のことでした。天皇皇后両陛下がお泊りになったのです。ホテルの方に聞いてみました。その方は次のように話された。・・・小笠原には天皇陛下がとまられるような宿がなかった。このホテルが日本返還25周年の年、平成5年(1993) に開業して、ようやく陛下がおいでになることができたのです。以後ホテルの前に観光の車がよく停まるようになりました・・・と。しかし、今でも観光ツアーバスがとまって紹介されているのかどうかは知りません。

 小笠原諸島がアメリカから返還されて25周年を迎えたのを期に、陛下は12日から3日間小笠原に滞在された。12日に戦没者慰霊のため自衛隊機で東京から硫黄島にお入りになられたという。悲惨を極めたこの島での戦いでは、日本人戦死者は2万人を超えるといい、いまだに1万余人の遺骨が未収用となっているそうです。陛下は慰霊碑に礼拝され、この地で「精魂を込めて戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき」と詠まれたといいます。

 この硫黄島には自衛隊が駐留しており、一般民間人は島に立ち入ることはできないという。しかし村では年一回おがさわら丸をチャーターし中学2年生と村民が「ゆとりある墓参と里帰り」として訪問しているそうです。

 三泊したお部屋は2Fのここ。陛下御夫妻の泊られたお部屋は三階ののスイートルームだったそうです。

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