スマホは8時46分を示しています。クルーズ船(矢印)は、いよいよやって来ましたローレライ。
ローレライの手前ラインフェルス城の対岸にはカッツ城(ネコ城)が見えています。何故ネコなのと聞いてみました。 築城者がカッツェネルン・ボーゲン伯。その「カッツェ」の部分がドイツ語の猫(Katze)と似ていること。またご本人の顔が猫に似ていた。あるいは二つの塔が並んでいるあたりが猫の顔に似ている。など諸説あるようです。
ネコ城のズーム画。立派なお城です。なんでも現在の所有者は日本人だと聞きました。おいくらで購入したのでしょうか、プライベートな高級ホテルとして現世を生きているようです。残念ながら一般の旅行者は泊まることが出来ないらしい。
ローレライの乙女は矢印のところですが、なんとしても遠すぎます。河川の交通法の決まりでしょうか、あちら側は下っていく船の通り道らしい。
ズームいっぱいに引き寄せてみました。不実な恋人に絶望してライン川に身を投げたといわれる乙女は、その豊かな髪をお尻まで流し、なんとも豊満な乙女でした。水の精となった乙女が、その美しい容姿できれいな歌声を聞かせられれば、船頭さんもその誘惑に惑わされてしまうわけだ。
ローレライの岩山が近づいてきました。岩山の頭にはドイツ国旗とEU旗が揺れていました。通り過ぎてみれば何でもない岩山なんですが、ローレライ伝説の威力が観光地という言葉を運んで来てくれたのでしょう。
日曜日。対岸の広場にはご覧のとおりのキャンピングカー。さすが観光名所。船内には、あの歌「なじかは知らねど心わびて、昔の伝説(つたえ)はそぞろ身にしむ。さびしく暮れゆくラインの流れ、入日に山々あかくはゆる」が流れます。歌詞をよく読んでみると2番3番の方が味があると思うのですが、紙面をそんなにはさけません。
この岩山は、スイスと北海をつなぐライン川の中で、一番狭いところにあるため、流れが速く、また、水面下に多くの岩が潜んでいることもあって、かつては航行中の多くの舟が事故を起こした。 この「ローレライ付近は航行の難所である」ことが、「岩山にたたずむ美しい少女が船頭を魅惑し、舟が川の渦の中に飲み込まれてしまう」という伝説に転じ、ローレライ伝説が生まれた。(ウィキペディアより抜粋)
川の両側の斜面には芽吹き始めたぶどう畑があちこちに。
ウィキペディアからいただいた写真です。(若干寄付もさせてもらっていますから許されるでしょう)上空から見たローレライはこんな感じ。私たちは、写真奥下流からやって来ました。さて、乙女の像はどこにあったのでしょう。