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ベルリンの壁(2013ドイツno2)

2013-09-18 | ヨーロッパ

 

  ドイツでの一夜が明けて朝食。レストランに集まったお客さんは77名。私は名古屋から15名で、成田と大阪からは各30名位だったらしい。成田と大阪組は、それぞれKLMオランダ航空でアムステルダムで乗り継いでベルリンに入っていらっしゃった。

  今日は終日ベルリン市内観光。まずベルリンの壁です。「ここに壁があったのですよ」とラインが引いてありました。

  1961年(昭和36年)に東ドイツ政府によって建設されたという壁。1945年に第2次世界大戦は終わり、東西ドイツに分断されたというのに、壁の建設は1961年だったとは、驚いてしまった。ベルリンは東ドイツに囲まれた中に位置する存在。そしてそのベルリンも東西に分かれ、方や資本主義を一方では共産主義を唱えるという数奇な運命をたどった町。朝鮮半島は、1948年に韓国と北朝鮮に分断されたと言うのか、自らがその政治手法の基に国境をつくってしまったのか。いやいや、後ろには世界をつかみ取ってしまうような大きな手の存在があったでしょうが。この半島にしてもドイツにしても右と左の思想が国民を隔ててしまう。悲しい歴史です。

  東西ドイツに片足ずつ、どちらが東でどちらが西だったのか、皆さんこんな姿で記念撮影です、ここに存在した155kmに及ぶ壁。何でも東ドイツの住民が西ドイツに流出するのを防ぐためだったという。

  鉄枠の間から撮影しました。ここにあのゲシュタポの本部があったとの説明を受けました。壁に沿って何か展示されているようですが近寄れません。私たちの見学コースには、この中に入っての見学は含まれていなかったようです。残念。

  壁に沿って建つ歴史物の建物、何だったのか説明を受けたんですが忘れました。そして、この建物が東なのか西なのかこれも分からない。何とも情けない観光をしていたものだ。その何も分からない建物の壁面に次の画が掲げられていました。イタリアと共に日本は、かの三国同盟でドイツとはお友達だったんだから、うなずけるものがあります。

 

  この壁が崩壊し東ドイツに平和が訪れたのが1989年(平成元年)。テレビで壁を壊す市民の姿を見たのは、ついこの間だったような気がする。でも、テレビで見た破壊される壁はもっと厚かったと思うんだけど・・・・・厚いところもあったのかな?

  チェックポイント・チャーリー。東西を隔てる境界線上に置かれた国境検問所。どういう人たちならこの検問所を通って西に出られたのでしょうか。そのポイントの前、アメリカ国旗を持ったお二人に挟まれて、懐かしいあの赤いソビエト連邦国旗を手にした方が見えます(この写真では定かでありませんが)。まさかドイツのお役人さんではないでしょうね。  余談ですが、若い人の中には「ソビエト」という国があったことを知らない人たちがいると聞いたことがあります。時は随分流れてきていますが、まさかね。

  ベルリンの新都心といわれるポツダム広場近くのベルリンフィル・フィルハーモニー楽団が本拠とする建物を車窓に眺め、絵画館でブリューゲル、フェルメール、レンブラント(いずれも私は知りませんが)とおっしゃる方などの画を鑑賞して帰船。隣に僚船が横付けされていました。船でランチをいただいて午後の観光に出かけます。

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