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世界の彼方此方へ行きたい

気ままな旅の様子を綴っていきます

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小田原城(2025東海道no2)

2025-06-08 | 東海道

 日本橋を出てすぐに首都高そして東名高速は海老名SAで小休止、小田原厚木道路を走って小田原にやって来た。この間宿場は八つあるのですが、どこも宿場の影も形もないのでしょう、全部飛ばして小田原宿。といっても宿ではなく小田原城だ。

 小田原では老舗料亭だという「だるま」に到着したのがちょうど12時。名物だという天丼を含めた会席料理をいただき小田原城に向かいます。

 お城ではガイド協会さんによる説明を聞きながら小田原城見学。

 

 門の名前は分かりませんが、写真では遠くに見えている門を潜って中に入ります。門に入る前にはお堀があり、そこにはちょっとした太鼓になった住吉橋を渡るのでした。

 銅門、「あかがねもん」と読ませる。この門が有名らしい。次の写真で説明。

 平成9年 (1997) に復元したと説明している。

 赤線のとおり歩いたのかどうか分かりませんが、天守閣と印されているところまでは間違いなく歩いているのです。

 3代当主北条氏康時代には難攻不落、無敵の城といわれ、上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐えた。この小田原城は、関東支配の中心拠点とされていた。しかし、天正18年(1590)、石垣山(一夜城)の築城をはじめとする秀吉の小田原攻めにより北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えたとのこと。左隅に秀吉の陣がある。図面のように秀吉勢にぐるりと囲まれたのではいかんともしがたかったでしょうね。

 姫と殿に扮したお客さんが記念撮影。でも観光客は私たちの集団を除けばパラパラ。

 天守が再建されたのは宝永3年(1706)だといい、この再建天守は明治に解体されるまで存続した。明治政府が発した「廃城令」この命令に抗したお城もあるのですが、多くのお城は解体の憂き目、残っていれば日本国中に世界遺産ありなのに。小田原城は1960年 (昭和35年)天守の再建工事が完成したという。 ただし、再建した天守は残念ながら鉄筋コンクリート構造。

 お城を案内いただいたガイドさんが観光案内所前でお見送りをしてくださった。

 ところで、こんなものを見つけた。24年版「全国行ってよかった日本のお城ランキングTOP20」どうやら「じゃらん」による調査らしい。1位は言わずと知れた姫路城、続いて松本城・五稜郭・熊本城・大阪城と続いて、小田原城は12番目にランクされていた。

  お城の公園を出るところにありました。「報徳二宮神社」二宮尊徳さんは、ここ小田原が出生地だそうです。この神社のご祭神が尊徳翁だと言います。

 広重さんはちゃんとここ小田原の浮世絵も残している。小田原は酒匂川との画題が書き込まれている。現在この川は小田原の街中をふたつに切りさくように流れている。この絵は江戸時代の川渡しの画だ。

 ところでこの goo blog

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