当時は国鉄と呼んでいたのかどうか知りませんが、昭和9年(1934)に国鉄奈良駅舎として建てられたという。寺院風のこの駅が平成15年(2003)まで利用されていたようですが現在は観光案内所になっていて、観光の名所ともなっている。この姿を見て国鉄長野駅を思い出した。善光寺を控えている長野駅は昭和11年(1936)に完成した仏閣調のかっこいい駅舎だった。青春のときを過ごしたことが記憶に残る。我が家からの時間はどのくらいだったのか覚えてはいませんが、飯田線を辰野までは電車。辰野駅からは中央線を蒸気機関車、汽笛の叫びとトンネルで煙に襲われた記憶は懐かしい。しかし時は動くのでした。反対の声もだいぶあったようですが1996年 (平成8 ) に仏閣型駅舎が消えてコンクリートの味のない駅になってしまうのでした。古を伝える奈良駅がうらやましいし、奈良市民は幸せだ。
懐かしの長野駅。探してみるとあるものです。昭和11年改装長野駅と印字された写真をあしらった入場券30円。1970年と言えば昭和45年、50年前に発行された入場券が見つかったのです。とうにこの駅舎はなくなっていた。でも、その遠い思い出がこうしてよみがえったのでしょう。
今日は終日自由行動の日。でもこの日もみな一緒。乗り降り自由の市内バス1日券を買ってもらって「ならまち」にやってきた。江戸時代末期から明治にかけて軒を連ねた伝統的な町家を再現したというこの家。
ならまち「格子の家」には修学旅行の中学生が資料を片手に数人やってきた。班別行動で選択したのであろう勉強の場だ。
このあと訪ねる元興寺の伽藍の配置図。今日のひと時をガイドいただいた「奈良まほろばソムリエ」の多分ボランティアさんであろうおじさんから説明を受けます。
そうか。大和の国が「和州」になり奈良県と変身していったのか。間に和州という名前が挟まっていたのは知らなかった。天保15年(1844)に奈良大仏前の絵図屋が描いたもの。〇印が興福寺、△東大寺、◇春日大社がこんな位置関係にある。
奈良町とは云々と書いてある。歴史のある町と聞いてきたつもりだったけど、普通の街並みだった。中山道の馬籠や妻籠を思い浮かべてここに来るとガッカリですよ。
そして近くにある元興寺塔跡にやってきた。
昭和7年に「塔跡」として指定されたここに五重塔があったのだ。昭和15年建設と彫ってある石柱。うれしくなってしまった。私と同じ時間をここで過ごしてきたんだと。
塔の基礎石となっただろう石が並んでいた。
もいちど「格子の家」の格子から中を覗いてみた。もう誰もいなかった。
このお家が前の写真の登録有形文化財。瓦屋根の棟に飾られているものの説明を受けています。
これがそれ。鍾馗(しょうき)さん。中国から伝わったという魔除けの飾り物らしい。