真実一路くんのひとり言

だれがやっても同じやとあきらめず、一歩ずつ
長いものには巻かれず、真実を大切にして。

新型新幹線にE5系デザイン発表に想うこと

2009-02-04 | Weblog
時代は変わる。夢は夢を呼ぶというのだろうか。
東北新幹線に平成23年春からデビューという。白とピンクでスピード感を表現、時速300キロを超すという。

という我が輩は、東北地方に足を踏み入れたことがない。一度は行ってみたい奥の細道。多喜二や啄木や、宮沢賢治の輩出の地に。

はたらけど 

はたらけど猶わが生活楽にならざり

ぢつと手を見る.

啄木の歌集「一握の砂」の、この一首は余りにも有名です。時代は夢のごとく変われども、「蟹工船」のごとし、この国の様は。我が輩はぢつと天を仰ぐ。

石川啄木が生まれたのは1886年(明治19年)2月20日のことです(亡くなったのは1912年4月13日)。小林多喜二が虐殺されたのは、1933年2月20日(生まれたのは1903年10月13日)です。啄木が「はたらけど…」と詠った時代から100年にもなります。

夢のようなスピード感あふれる時代にはなったが、今なお低賃金で、人間をモノのように働かせ、不要になったら使い捨てる「派遣切り」の横行の今の世の中。

大企業に、体力はある、社会的責任を果たせと鋭く迫った本日(2月4日)の衆院予算委員会での日本共産党の志位委員長。人間が人間らしく働ける、人間の尊厳を守るたたかいである。そこに阻むものがある限り、たたかいは続けねばならない。

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 石川啄木の歌碑です。「東海の小島の磯の白浜にわれ泣きぬれて蟹とたわむる」啄木のこの歌は、大間では弁天島のことを.詠んだものといわれており、有志によりここに歌碑が建立されました。…一度は行ってみたいと真実一路くん。
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明暗わけた北九州市議選のこと

2009-02-04 | 政治
 自民党支援の現職が破れた山形知事選挙に続いて、自民現職3人が落選するという北九州市議選では、麻生首相のおひざ元でも政権の不人気ぶりが浮き彫りになった。支持率が20%を割った麻生内閣。ポスターから「自民」の党名を外す候補が7人も出るという。次期衆院選も麻生首相との「ツーショットは逆効果」と嫌がる政治家も。
 雇用問題、後期高齢者医療制度、定額給付金など麻生・自公政権に対する怒りは強い。
 消費税増税の挑戦状をハッキリと国民に投げつけた麻生・自公政権。相手にとって不足はない。次期総選挙、国民が包囲するチャンスだ。

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北九州市議選 揺らぐ首相の足元 (asahi.com)


図拡大  



 麻生政権発足後、初めての政令指定市議選となる北九州市議選(定数61)は1日投開票された。秋までに必ず行われる総選挙の行方を占う前哨戦。前回は公認全員当選を果たした自民は、公認18人のうち3人が落選。低支持率にあえぐ麻生内閣の逆風が影響した形だ。麻生首相にとっておひざ元で苦戦を強いられたことは痛手となりそうだ。〈全文はコチラ

自民、議席減らす 首相のおひざ元でも苦戦 (毎日JP)

北九州市議選(定数61)は1日投開票され、自民は公認18人のうち3人が落選して議席を減らし、民主、共産は公認全員が当選したうえ得票率を前回より伸ばした。民主のてこ入れで新人が現職を破った山形県知事選に続いて、麻生太郎首相のおひざ元でも政権の不人気ぶりが浮き彫りになった。公明は候補全員が当選、社民は1人が落選した。投票率は50.33%で、過去最低だった前回05年の49.35%を上回った。〈
全文はコチラ
 
雇用守る党に共感 派遣切り青年“居場所あった” (しんぶん赤旗)
日本共産党が7選挙区10人全員当選

各党が総選挙の前哨戦として大激戦を展開した北九州市議選(総定数61、立候補79人)で、日本共産党は7選挙区10人の全員当選を果たしました。一般紙も「自民現職3議席失う 民主・共産全員当選」(「朝日」2日付)、「自民退潮3人落選 民・共は全勝 得票率伸ばす」(「毎日」同)などと書きました。この勝利を実現した力に、草の根からの活動、“縁の下の力持ち”の奮闘がありました。(北九州市議選取材団)
 

 定数12に16候補が立候補した小倉南区。午前0時30分すぎ。日本共産党の藤沢加代候補の事務所は、自民現職候補をきん差でやぶり当確が出ると、集まった支持者、党員の拍手に包まれました。
 その輪のなかに、昨年末、契約途中に大分キヤノンを派遣切りされた男性(26)の姿がありました。候補者カーのアナウンサー、電話での支持の訴え、ビラ配布にフル活動しました。男性は「僕はここにいていいんだと思える場所が見つかった。政策では派遣切りを批判して、雇用を守るということに共感した」と今回の活動に加わった胸の内を明かします。
 八幡西区(定数15)で原田里美候補とともに複数議席を確保した石田康高候補(党市議団長)の選挙事務所。宣伝カーの運転手として活躍した男性(40)は「当選は本当にうれしい」と満面に笑みを浮かべました。
 男性は元陸上自衛隊員。五年前に除隊し、実家の北九州市に戻ってきました。このとき母親は生活保護を受けていました。当時の市政は生活保護の受給を抑制していました。
 「息子の私が戻ってきたので、母の生活保護費は打ち切ると市役所からいわれた」と男性。「自衛隊をやめ、すぐに仕事も見つからない私は困りました」
 そのとき、親身になって相談にのったのが石田市議でした。「なんとか生活保護費がつづき、石田さんは私の仕事探しも手伝ってくれました」
 そんな石田さんの力になりたいと思い、宣伝カーの運転手を務めることにしました。そして昨年12月29日に入党しました。
 「大企業に対し、派遣切りやめよ、雇用を守れと堂々とものをいえる日本共産党はすばらしいと思った」。今回の市議選でも雇用問題は大きな争点でした。「国が働く人たちの雇用に責任を持たなければいけない。それをさせる国会にしたい」。〈
全文はこちら

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