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にしみの鉄道情報局付属ブログ

寝台特急を引いた機関車たち・45 EF65F形後編

2013-01-03 | ブルートレイン
EF65F形は東海道山陽本線の特急貨物列車のけん引をEF66に譲りましたが、1968年10月改正で、東京(隅田川貨物駅)~札幌間に特急貨物列車が新設されることになり、そのけん引機として新鶴見機関区へ転属することになりました。
この運用は隅田川~黒磯間の東北本線直流区間を重連でけん引するもので、F形の性能を遺憾なく発揮しましたが、使用両数はわずか2両でした。
これ以外の運用はEF15では対応しきれない東北本線や高崎上越線の最高速度85km/hの急行貨物列車がメインで、EF60やEF65一般型で十分通用する内容でした。ちなみに上越線の運用はEF65形が寒冷地の勾配区間に初めて進出した記録的な運用でした。


creative commons3.0 Author:Rs1421

こうして新鶴見機関区で運用を開始しましたが、ここでF形の不都合点が一気に表面化しました。まずバーニア制御機が改良された518号機以降と517号機以前では、重連総括制御が不可能で、運用が2群に分かれる結果になりました。このような問題は吹田機関区時代からあったようで、重連のペアはつねに同じバーニア制御機を積むグループにしていたようです。
さらに、重連用のジャンパ連結器と、釣合空気管が片側にしかなく、機関車の向きが変わる運用には不向きでした。車体も元々非貫通構造のため、重連時の折り返しでは車外に出る必要があり、乗務員からも不評でした。首都圏の運用では方向転換するケースが多くエンド統一は面倒だったと考えられます。
冬季の上越線に入線する運用には、518~522・526の6両がつらら切りの取り付けなどの耐寒耐雪改造を受け、限定運用されました。しかし、この改造も応急措置にしか過ぎず、冬の新潟にはあまりに無力でした。
こうして、冬季は運用が3群にも別れ、使い勝手の悪さばかりが目立ったので、後継機の開発が進められ、翌年の1969年には後継のEF65PF形が登場しています。
この後はEF65の一般型と共通運用されるはずでした。

ところが1973年に度重なるブルートレインの増発で、EF65P形が不足する事態が起きました。このころからEF58形に余剰が出始め、増発した関西ブルートレインけん引をする予定でしたが、20系客車けん引対応工事を行う必要があり、その工事が完了するまで当時広島機関区と下関運転所に所属していたEF65F形が、EF65PF形と共通運用で担当することになりました。夏場の貨物列車が減少する時期に合わせて、ブルートレインをけん引しています。
この運用では、あかつきと彗星、大阪での間合いを利用して日本海のけん引もしています。このときF形は半年ほどブルートレインをけん引して、EF58に引き継いでいます。

この後F形は貨物列車のけん引に専念し、JR化後は全車高崎機関区に集結して首都圏の貨物列車に使われました。

 参考文献
鉄道ファン1993年10月号 ヨン・サン・トウ25周年記念特集 JNR/JR25年の大アルバム
鉄道ファン1999年4月号 特集:新形直流電気機関車 EF65形ブルトレ伝説
直流電気機関車 EF65 イカロス出版刊
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