10月16日の改正を持って、JR西日本網干総合車両所の113系が東海道山陽本線の運用から撤退した。昭和39年に宮原電車区に投入されて以来、長年東海道山陽本線快速の運用に入ってきた113系がついに撤退した。JR化後は会社間の乗務員訓練の関係から生き長らえてきたが、車両の老朽化やスピードアップによりついに置き換えとなった。
最後まで網干区に残った7両編成の1本に初期車を中心としたK8編成があった。

K8編成 撮影 大垣(2004年9月14日)
←大垣・米原 Tc-5021 MM'-5001 T-7018 MM'-5002 Tc-5311 姫路・網干→
この中で中間のサハ111-7018を除く6両は全て最初期車である。(サハ111の初期車の製造はわずか4両で稀少車)
中間ユニットのモハ112・113-5001・5002は、いずれも高速化改造によって5000番台化されており、原番号はモハ112・113-1・2で、昭和38年製造のトップナンバー車である。

モハ113-5001 撮影 大垣
両端のクハ111-5021・5311は原番号21・311(113系0番台先頭車の偶数向きは300番台)でこちらも古く、製造は昭和37年である。同期のモハは111系で、113系の現役車両の中でもっとも古い車両であった。(先頭車に限って言えば111系はJR西日本では健在であった)


クハ111-5021と5311

車内に残る昭和37年近畿車輛製造のプレート

大垣区で停泊する113系 この光景も過去の物に
(2004年9月4日)

余談だが113系更新車も大垣に姿を現していた

余談だが113系更新車も大垣に姿を現していた
(2004年7月7日)
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