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にしみの鉄道情報局付属ブログ

寝台特急を引いた機関車たち・24 DD54

2009-03-02 | ブルートレイン


DD54は1966年に登場したディーゼル機関車で、エンジンや変速機は西ドイツからの技術導入によって製造されました。DD54の原型は1961年に登場したDD91で、当時世界一の技術を持っていたと言われる、西ドイツ製のディーゼル機関車そのままのエンジンと変速機を輸入し、三菱重工にて製作されました。
このDD91の評判が良かったため、その量産型としてDD54が製造され福知山地区などに配属されました。
エンジンはマイバッハ製の1820PS、変速機はメキドロ式で西ドイツ国鉄V160(1968年以降は216形)に搭載されたものと同系のものです。車体もこの西ドイツ国鉄のV160形を意識したのか、箱形車体が採用されています。

1966年に試作1号機が福知山機関区に投入され、試験の後、1968年から量産が開始されました。山陰本線と福知山線で快調に走り出すかと思われたのですが、この直後の1968年6月に推進軸の脱落が発生し、脱線事故を起こします。緊急点検を行い、それなりに走れるようになり、10月にはお召し列車のけん引も行っています。
1969年にも続いてDD54は生産されましたが、11月に再び推進軸の脱落が連続して発生しています。この推進軸の設計は完全な設計ミスで、その後克服されましたが、噂では西ドイツ製の部品と国産の部品の相性の悪さが言われています。同時期の三菱自動車の乗用車の車軸折れによるリコールがあり、それとの関連が噂されています。
これだけトラブルが多発していますが、国鉄はDD54の生産を打ち切らず、1970年には6両、71年には実に17両も製造し、40両が出そろいました。その後、設計変更もあって推進軸周りのトラブルは無くなりました。

DD54は福知山機関区以外にも米子機関区にも配属され、1972年3月に設定された寝台特急出雲を32~37号機が限定運用でけん引しています。これら6両は20系客車けん引に必要な元ダメ引通管を装備していたためで、ヘッドマークを掲げて京都~浜田間のけん引をするようになりました。

ようやく安定期に入ったかのあるDD54ですが、このころから変速機の故障が多発するようになりました。変速機はドイツからのライセンスによるもので、メキドロ式の精密なものですが、整備に手間がかかり、故障の際には、国鉄の手に負えず鷹取工場まで回送して、常駐しているメーカー担当者の修理となったそうです。結局変速機の故障は致命的で修理不能と判断されて、そのまま休車になった車両が多かったそうです。肝心の出雲のけん引も米子機関区にDD51を投入し、1974年頃から出雲のけん引はDD51が担当することになりました。米子機関区のDD54はすべて福知山機関区に転属し、40両のDD54がすべて福知山機関区に集結しました。

一説では、推進軸の強化で衝撃が直接変速機に伝わるようになったといわれています。エンジンを車体に納めるため、無理矢理小型化しエンジンブロックを切りつめたため、それがエンジンのトラブルの原因になったともいわれています。

40両のDD54が集結した福知山機関区ですが、それらがすべて稼働していたわけではなく、この後福知山機関区に置き換えのため投入されたDD51が16両、つまりDD54のうち運転可能な車両はわずか16両だったとも言われています。
運転不能になった車両は、播但線の生野駅構内や、東舞鶴駅構内にまとめて留置されていましたが、ついに1976年にはDD54の廃車が始まり、1978年には全車引退しました。


DD54は78年には全車が廃車になりましたが、この33号機だけは福知山運転所でそのまま保管されていました。33号機が残ったのは一説では労働組合による欠陥機関車の証拠を残す抗議行動、解体阻止にあったといわれています。
そのDD54はそのスタイルから廃車後も人気が高く、1985年にはその33号機が交通科学博物館に納められました。


 参考文献
国鉄形車両 事故の謎とゆくえ 池口英司・梅原淳著 東京堂出版刊
DD51物語 - 国鉄ディーゼル機関車2400両の開発と活躍の足跡 石井幸孝著 JTBパブリッシング刊

 

撮影 2008年1月12日 弁天町

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3 コメント

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Unknown (Mujon)
2009-03-03 01:12:28
箱型のディーゼル機ということで、子供の頃から図鑑で親しみ一度見てみたいと思っていました。

ある日、一人で京都周辺まで出かけた時に、京都駅の山陰ホームに止まる青色や茶色の米子行き客車の先頭に立つ機関車は、あらら関西本線(名古屋口)でも見かける凸型のDD51で、がっかりした覚えがあります。

後に知ったことでは、既に廃車がはじまった頃で、殆どすれ違いな状況であったようです。

DD54は他に福知山線でも走っており、現車は見たことがないものの、丹波・丹後方面の機関車というイメージがありました。
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Unknown (stakenaka)
2009-03-08 10:15:16
ディーゼル機関車というと凸型という固定観念が出来ているのか、DF200の写真を初めて見たとき、逆に違和感を感じました。もっともDF50とDD54の存在は昔から知ってみましたが。
世界的にはDD51のような大型機(出力的にDD51はどちらかというと中型に近いが)で凸型は珍しいようです。
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Unknown (ニッシー)
2019-01-23 23:04:01
大阪~天橋立行の急行でローカル客車を何本か抜き、久しぶりに見るDF50と初めてDD54見た。福知山に田舎を持つ友達から聞き、舞鶴へ行き大阪へ帰るときDD54の普通列車探した。
昭和50年代の福知山管内で、DF50の老朽化と欠陥の多いDD54に替わって、各地で電化に追われたDD51が回されて、播但線の普通列車が最後になった。
京都始発の普通列車で故障のニュースを最初に聞き、この機関車のニュースが絶えなくて蒸気機関車が使用されて、関東人からよく写真を分けてくれといった言われた。エンジンの出力に動輪のシャフトが耐えられない結果になり、当時東舞鶴駅の構内に休車で並んでいたこと痛々しかった。
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