奈良時代の駅路、その道幅は狭いところで6m、広いところで30mの道幅がったと言われています。
自分は数年前のブラタモリの国分寺編で、駅路の東山道の発掘結果が紹介されていましたが、その道幅が長い直線で12mもあることに驚いた記憶があります。その総延長は東北から四国、九州に至る6500kmもあります。
文献等で古くから駅路の存在は知られていましたが、このような広大な規模とは予想されていませんでした。
江戸幕府が整備した近世の五街道の道幅が3.6m程度の曲がりくねった道なので、にわかには信じがたい事実ですが、発掘調査によって裏付けられています。
その駅路について扱ったのが古代道路の謎―-奈良時代の巨大国家プロジェクトで、筆者の近江俊秀氏は、文化庁の文化調査官です。
筆者は大化の改新による律令国家、中央政権が国の末端まで管理する時代に、駅路はその国家の権威で地方支配のため、建設された道路と推理しています。地方の実情などお構いなしに建設されたため、低湿地などにも無理やり直線で道路作っています。そのため道路の維持管理はかなりの手間がかかったと言われています。さらに建設や維持は中央政権からの援助はなく地方が行っています。
そのためこの方法は中央政権に権威が有った時代のみこの方法は成立し、律令制度が崩壊すると、道路の維持管理ができなくなり、駅路は廃絶されています。
筆者は駅路は律令国家と運命を共にする事に定められていたと推理しています。
古代史は発掘調査によって一般常識が塗り替えられる事があり、駅路もその一つだと感じました。
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