白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

白洲正子文学逍遥記-0007

2013-08-16 | 日本の伝統芸術

 

白洲正子文学逍遥記

 & 能面・仏像・日本人形・・etc

 

 

臨時公開

 

以前別のブログで掲載しておりました「能面と能楽」を8/20迄、数回程、再公開します。ご覧になっていない方はどうぞ参考にしてください。

 

 能面能楽 
  
                        

           能楽の歴史と能面-007


      浅井能楽資料館
(アザイノウガクシリョウカン)
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 連日20℃以上の乾燥した日が続いております。もうそろそろ一雨ほしいのですが、気象衛星の写真は、無常にも中国大陸も含んで快晴の天気、当分お湿りはない模様です。

                                                               晴れ

 さて、先回は浅井能楽資料館をご紹介しました。ここら辺りは時の武将・浅井長政の所領であった所で、近くには織田信長、羽柴秀吉に攻められ落城した小谷城跡が今も有る、歴史のある土地柄です。

                                 小谷山おだにやま

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 筆者も2年ほどこの地に住んだことが有ります。 自宅の住居の傍に、浅井長政の産湯の水を使った地として、神社があり、玄関から右手のほうに小谷山の山塊がまじかに見えました。神社の中に博物館クラスの観音菩薩座像が小さな祠のような中に祀ってあり、近在の爺様がお使いしておりました。
多少、仏像の目利きが出来るものですから、二度吃驚!
さすが、近江は凄いと感じたものです。 府県でしたら間違いなく、博物館や大寺に安置されるでしょうが。鎌倉か室町時代の作の仏像でしたでしょう。・・・

歴史に詳しい方でしたら・・小谷=オダニ 、 浅井=アザイ と呼称するのはお分かりのことと思います。これが長野に行きますと 小谷=オタリとも呼んでおります。 浅井でもオタリも有ったようですが。いずれにしても安土・桃山時代は大変な文化の高い所であったと言うことでしょう。 今は昔ということになりましたが・・・
彦根城の城の一角には、小谷城の一部分が実際使われております。


          彦根城・西の丸櫓(元、小谷城遺構

 

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 余談ですが、この西の丸の櫓の下が濠になっており、地続きに国立・滋賀大のキャンバスがあり、筆者も濠の傍の学生食堂で安くて旨い学食に舌鼓を打って居りました。(その節はお世話になりました・・(^-^))
彦根キャンバスは旧制第八高等商業が前身で、なかなか趣きある落ち着いた風景で、阪大や京大、神戸大にはない、歴史を感じさせるキャンバス風景でした。春は濠に桜が咲き、譜代大名・井伊家の静かな雰囲気が漂って居りました。
授業の前後によく濠沿いに歩いて、彦根城博物館によく行ったものでした。

 先回は浅井能楽資料館についてご案内しました・・・
資料館の館長は能装束の研究の過程で、東京神田にある能楽専門の書店・「わんや書房」の社長といろいろなご縁を持たれたようです。筆者も東京の茗荷谷に住まいしていた時は、毎週日曜日ともなると神田の書店通いをしておりました。目的は能面関係の資料でした。未だパソコンなどこの世にないころでしたから、HPで書籍の検索などは夢のまた夢の世界で、兎に角足を使って一軒一軒古書店を見て回るという、人海戦術に明け暮れておりました。

能の謡関係は沢山有るのですが、能面の本というとまったく手にするということは有りませんでした。ある日、神田の横丁で一軒の能楽関係の専門店「わんや書房」を偶然見つけて、内心小躍りしたものでした。
この書籍が筆者が始めて手に入れた能面の本でした。


                  

         わんや-02.bmp   わんや-01.bmp


以後、六十数歳に至るまで各種の能面の書籍を蒐集し続けて来ました。
この本は東京美術学校(東京芸大)の教授・高村光雲(詩人・高村 光太郎の父親)の弟子、鈴木慶雲氏が書かれたものです。この方はもともと仏師でしたが、その後宝生流の宗家に出入りするようになり、その関係で能面を打たれるようになりました。嵯峨人形の研究者でもあります。現役の能面師が著したものなので、実務関係の記述が多く、学者先生の書籍とは一線を画しておりました。今でも素晴らしい研究書として読まれております。


                  鈴木 慶雲 師
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全体で正・続2冊の構成で、能面史の段階から掘り起こし、各時代の名人の紹介、能面の紹介、実際の面打ちの際の細かな技術的な注意点など、実作者ならではの内容となっております。能面集を出す能面師は居られるのですが、なかなか文章の面まで手がけられる方は、なかなか居られません。その点この方は正に二刀流使いでした。

ご存知の方も多いと思いますが、能面の面打ちの過程は大きく分けると、二つに分けることが出来ます。
一つは彫刻の段階、二つは絵画の段階です。彫刻と絵画の技法の集合体が能面になります。仏像もこの範疇に入りますが、白木の仏像も可也有りますので、能面のそれとは比較になりません。

                     彩色

 

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実際に面打ちをしてみますと、彫りの部分は全体の40%程度の作業であり、時間を掛ければ何とかこなす事が出来ます。しかし、次の絵画の部分・・彩色になると俄然レベルが上がってしまいます。秘伝の部分が多く、本や能面の木型を見ながら作業をするのとは、まったく違うのです。素人はこの段階でGive upしてしまいます。

師匠の仕事の様子を盗んで観ながら仕事を覚えたり、あるいは古面を師匠に技を磨く方も居られます。彩色の際、どのような岩絵の具をどの程度の濃さの膠で溶き、どのような調子で塗るかということは、自ら学ばなくてはいけないからです。師匠や古面に縁のない方は、美術館、博物館、展覧会、宗家の虫干しの際に名面の古面を師匠とするしかないのです。そして、能面集を揃えるということになります。 筆者は専門家にも付きましたが、能面集も師匠にしました。
それが上記の神田本屋街を散策することになった訳です。


                 研ぎは大変重要!
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 筆者が読者の皆様に、古面鑑賞を強く薦めるのは、このような背景があるからです。骨董屋の丁稚に本物を徹底的に見せるという教育は絶対に必要なのです。そのうちに自然に審美眼が出来て来ます。これは焼き物、絵画、その他の美術品の鑑定にも応用できます。これは筆者の経過から自信を持って言うことが出来ます。

筆者は当初、仏像から入りました。自ら足を使って、数十kmも歩いてまでも、たった一体の仏像を観る為に、美濃の山中の山道を歩いたことがありました。都合3~4回も同じ仏像を観る為に歩きました。それだけの価値が有ったのです。


                 完成した面。
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鈴木慶雲師はその点でも、素晴らしい能面師であったと考えております。
筆者が浅井能楽資料館で鈴木慶雲の面を20~30分も見続けていた為に、館長がモニターで呆れられたのも、それだけの筆者の執念を感じたのでしょう。それで、後日、奥さんが<まじかで、能面を見せましょう>と言ってくださったのでしょう。

本日は余談のような記述になりましたが、筆者の昔の思い出を披露させて貰いました。

 


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