白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

能面と能楽・仏像と仏像彫刻ー001

2012-05-03 | 日本の伝統芸術

日本の伝統芸術と芸能 

         能面と能楽佛像と佛像彫刻 

 <その001

 

* 野草・薔薇の写真には<花咲おまさ>さんの著作権が付いております。

奄美群島は早々と入梅してしまい、猛烈に蒸し暑くなったり、雨が降り終わると急に風が中国方面から吹き渡ってきて、乾燥しはじめ肌寒くなります。空はどんよりして折角の帰省してきた人達も、さぞがっかりのことと思います。

5/5辺りから大潮ですので、<浜遊び>という潮干狩りが楽しめるのですが、さて今年は如何な事になるやら、運を天に任せることしか・・・・

先回までは、能面と仏像を分けて書いておりましたが、この際一緒くたにして書き進めた方が、自由度が増しますので、今回からは上記のような表題にさせて頂きます。 瘋癲老人はどうも勝手気ままな性質な者で・・・・

 

 

 先回は<九面観音菩薩>のお写真をお見せしたところで、エディターがストライキを起こしましたので、遭えなく終わりになりました。失礼しました。

九面観音菩薩の像の彫刻技法は壇像佛といいまして、全体のプロポーションが一般の仏像(立像)と比較して、佛頭の全体に占める割合が大きいのが特徴であるのと、お身体に付けられるお飾りも全て、木から彫りだされているのが大きな特徴です。彫刻技法の面からも格段に難しいと考えてよろしいと思います。

特に香木である白檀は大変な硬い原木ですので、プロでも悲鳴を上げるくらいの堅物だそうです。一般的には<樟>を使うそうですが・・・価格も安く且つ、匂いが宜しいので。

 

 

 能面の面打ちの際の原木は<檜>ですが、樟も使う作例もあります。しかし、樟は重いので能面には適しません。桐の方が宜しいかも。 とにかく軽く虫が付かない。でも、木の香りからすれば尾州檜が最高ですね。香りが部屋に篭もると、何かしら良い気分になります。仏像もこれまたしかり。

 昔は材料が思うように手に入りませんので、小さな原木を張り合わせて一木にして、それから能面なり仏像を彫刻していたそうです。その為接着剤の効き目が弱くなると破損するという事故が起こりやすくなります。

能面、仏像で後に修復しなければならない事が結構あるようです。そのようなことから、原木の調達には苦労していた言うことになります。ですから、多少重いとかしても使うということも有った訳で、現在とは考えられない状態でした。

 

 

 原木を調達しても即使用は出来ません 自然乾燥しなければ役に立ちません。家の裏に店晒しにして20~30年も置いて、木の中の脂を取らなければ物の役に立たないのです。この脂というのが難物でして、彩色を汚したりすので製作者泣かせという事になります。特に面打ちの場合は脂は即アウトでね。

 

木曽檜の原木の1/4部分

         木取り

 

それで、焼き鏝で焼いたり、脂の部分を取り去って、木の粉と膠を練った<こくそ>というものを詰めてから、掘り進むことになります。にも拘らず、数年のすると他の部分から脂が染み出して来ることもあります。木は生きているのですね。木曽檜の尾州材を使う理由の一つに、香りのほかに脂の多少があるのです。

 

北澤 三次郎氏 製作の能面 「泣増」・・・名人が打つと白木のままでも、匂い立つほど美しい。 これから胡粉の下塗りが始まる

* 北澤 三次郎 名人 澤 耕雲 師の子息。 長男 一念氏も能面師。いずれも越前の片田舎で面打ちを行っている。瘋癲老人は一念氏には京都の画廊で一度お会いしている。 図らずも同年輩。我が身の情けなや身に染みる。

 

 仏像彫刻の場合は白木のままで彩色もしない場合は、能面と同じ事が起きます。木の使用量も各段に能面より多いので、原木の調達と調整には苦労したと思います。仏像の場合は、通常は彫刻が終了すると、漆を木肌に塗り、彩色を始めますので、脂が染み出すことを防ぐことが出来ます。虫除けにもなります。問題は価格でしょうね。日本漆の調達は現在でも可也高価な事もあり難しいのです。

 

                 

名品 紹介コーナー

 

 さて、先回はPCの思わぬサボタージュで、能面の名品が紹介出来ませんでした。今回は今のところ順調なので、大盤振る舞い! 鬼の寝てる間にそろそろと参りましょう。

猩々-001

猩々は中国古来の妖精のことで、水中から浮かび上がったことで、髪が真っ直ぐ額に付き、酒を飲んで赤く顔を紅潮させている面を打ったもの。

この作品は鐘紡コレクションの中の一品。江戸末期のさく。作者は不明。下の作品とは趣が違っていますね。刃物の切れ味が鋭いので、きりっとした感じ。 

 

 

 

猩々-002

名人 出目 洞白 の作。 柔らかな線が出ており、如何にも酒を飲んで酔いしれている感じが出ております。目元の切り方が素晴らしいですね。焦点が合わない酔っ払いの眼ですね。流石ですね。額の罫書きも上手いですね。

左頬の唇の傍に先ほどご紹介した<>が浸み出ております。知らないで選んでおりました。偶然でしたね。能面の場合これが厄介な傷になるのです。 額でなくて良かったです。

 

   

 

喝食(カッシキ)-001

喝食には大・中・小の3形型があり、これは大喝食。喝食とは禅寺で食事を告げる半僧半俗の少年。「自然居士」・・大喝職 、「東岸居士」・・中喝職 、「花月」・・小喝食に当てられます。 喝食は僧だけでなく、高級武家の愛玩の対象になったらしい(両性具有の美というやつですな~・・ムニャムニャ)。

この面は池田藩の池田家伝来の名品で林原美術館所蔵の能面です。生気が感じられ、キリットした面立ちになっております。作者は不詳。江戸時代の作。 恐らく出目家一族に所属する能面師の作であろうと思いますが・・・なかなかの名品です。

 

 

喝食(カッシキ)-002

 この喝食は名工 河内 家重の作 桃山時代の作。  鐘紡能面コレクションの中の一作。この能面集の能書きを読みますと、興味深いことが書かれて居ります。

この能面を河内が一度彩色をした上で、さらに上から分厚い胡粉を塗り、新たに彩色をしたものだそうです。もともとは小喝食の面。面裏には「天下一 河内」の焼印が押されておりますそうです。

 瘋癲老人はこの解説を書いた碩学「田辺 三郎助」にケチを付けるわけではないのですが、また、現物を見ずしていい加減なことを言いたくはないのですが・・・・・そうではなく、<洗い彩色>をしたのではないでしょうか。<洗い彩色>とは一度彩色をしてから、水で洗い流してから、その上に再度彩色し直す、古来からの技法が有るのです。東大の先生はこれを知ってるはずなのか? 知らなかったのか? 分厚く重ね塗り、そんなことはしないと思うんですがね~

故人を責めても仕様がないので・・この辺で。

PCのストライキがまた発生しました。何故なんでしょうか。もう<止めろ>の合図でしょうか。そいういう訳で、本日はこれでお開きと致します。



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