茜ちゃんの「島日記」
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本日の奄美の空は朝から曇り空。 時間が経つにつれてどんよりして来た。
何時もの調子の梅雨空である。今日は午後から雨になるらしい 。現在湿度80%。
この調子だと本土の鹿児島と同じころ梅雨明けかもね?
朝 畑に出てみた。雨が降らないので野菜の成長がSTOP。虫食いが進むだけ。
ひょっと島バナナの樹を見てみた。 大分実の姿が出て来た。
ここまで来るとハッキリ バナナの房 の赤ん坊が見えて来る。
いよいよ本格的な姿になりそうだ。こんな風にしてバナナが誕生するのだね。
自然の妙味を見せつけられた瞬間である。初めて見た!
面打ち再開!-3
今回で 面打ち再開 3回目である。Twitterには日本の各大学の能楽クラブから、
5月の学園祭に向けて「能楽関係の催し」が引きも切らずだった。
国立、私立、女子大学など相当数の大学であった。東大・京大・慶大・早稲田・・・・
中には各流派に分けられて細かいクラブ風になっている大学まである。
その他に全国の能楽に縁のある各所からも、同じような形でTwitterに掲載されていた。
中には能楽宗家が後援会のような団体のものもあるという具合。
だが、共通していることは能楽に於ける「仕舞」$「謡曲」だけである。
「能面の面打ち」は発見することが出来なかった。
何故なのだろうか? いろいろ理由はあるかもしれない。
「能楽」は現代の人達にとっては、オペラや歌舞伎、浄瑠璃などと同じ傾向の「演劇」として
受け取られているのであろう。本来的な日本伝統芸能としての「演劇」ではない。
若い大学生にとっては、舞台の上で演じられるある面ではカッコの良い演者の動きに、
大いに魅力を感じるのではないだろうか。動きの速い曲もあるのは確かだ。
般若の面で空を切る仕草は「カッコ良い!」といえばその通り。中には軽業擬きまである。
「仕舞や謡」が能楽そのものだという認識かも知れぬ。
それで、Twitterで能面の「面の作品」を多くに時間を掛けて紹介してみたが、
殆ど大学生には関心がないようであった。残念であった!
<能面をシテ(主演演者)が持ちいる時、その行動を何というか?>
↓
「被る」と答える方が多いと思う。能面は「掛ける(付ける)」である。
ここが根本的に違う。オペラも伎楽も<被る>である。
能楽における「能面」の特殊性の認識がないということだ。
「能面」は能楽という日本伝統の演劇に用いる、能装束や舞扇などの道具ではないのである。
この辺に答えが潜んでいる。皆さんは如何であろうか?
そこまで解った時、Twitterから縁を切ることにした。これ以上やっても意味がない。
Twitterは140字と写真の世界である。それも通常3コマだけ。
この条件の中で意を通じさせること自体、所詮無理なのである。
後は自分で専門書などを執筆するか、独自のブログを公開するしかないのである。
最終的には従来通りのブログでの「能面・面打ち」の紹介をすることにしたのである。
「能面」を文献学者が専門家としての立場で紹介しても限界がある。
面を打ったことのない人には解らぬ世界がある。専門家と雖も面打ちをしたことのない方の話は、
失礼な話であるが評論家である。畳の上の水練と同じなのである。
幾ら名高い作者の能面を数多く見て来ても、理解には自ずと限界があるのだ。
この辺りを自分なりに踏まえてみて、実作者の立場から見た「能面」の紹介の仕方が、
一番理に関ったやり方であると悟った。「焼き物」は焼いてみないと秘密は理解できない。
文献や人の話は当てにはならないのである。ここが大事だと理解したのだ。
世間には数多くの能面師が居られる。素晴らしい技術を持つ方も多いのは確かだ。
実際に能面を打って、指導して活躍されたり、大学で講義している方もある。
しかし、今後の能面の伝統を何時までも保持できるであろうか?・・・・
「仏像」は日本の代表的な文化であり、ある面では日本伝統芸術の最右翼である。
東京芸術大学や奈良国立博物館等の数有多くの仏像製作の修理修復・教育機関が存在する。
しかし、「能面」の<面打ち>に関する専門的な文化庁関与の「教育機関」はない。
これはある面では日本伝統文化の危機なのである。
学生の好奇心の発露を期待するレベルでは、全くお話にならないのである。
そんなこんなで・・・現在、奄美在住の爺が一念発起したのであった。
<こりゃ、大変だ! 何とかしなきゃ>
と、大宣言してはみたものの・・・である。
資金とマネージメントと教育技術・・段々大事となって来たゾ!
そのような訳でこのブログは能面の面打ち主体のブログになりつつある。
時々、奄美の自然や文化やエピソードも紹介・・・・・
6/26は中学生の将棋チャンピオン29連勝!?になるか。
こんな話題もね! 頑張ってね!
次回は7月7日の七夕