先日、旧黒埼町木場の文化財センターを訪ねてみた・・来場者は私一人。
縄文時代から弥生時代への移り変わりと沼垂の柵(渟足柵)の外側のヒントでも有るのかと訪ねたのだった。
展示場の入り口には太い掘立柱の残骸を展示・・じょんのび館の近くの田んぼから発掘されたもの。
展示品は土器やら茶碗の欠片が大半で観ている内に段々つまらなくなって来た・・残念ながらヒントは見つからなかった。
ただ新潟市赤塚の情報大学近くの産廃処理施設の発掘状況が面白かった・・水辺に囲まれた集落跡で幾世代にも亘る遺跡の様だ。
角田山の裾野には幾つもの古墳、遺跡が有って北方の産物が発見されていることから、当時交易が有ったのは確かだろう。
過去から偉い歴史家の説が出ては覆されて来ているが、全く歴史に疎い素人が推測してみたい・・角田山の裾野付近の何処かに交流の湊が埋もれてはいないだろうか?
そして当時の舟なんかが発見されたら凄いと言うか楽しいことだろう。
歴史なんて推測から始まると思っている・・過去の歴史学者や言語学者の説だって覆るのだから、素人の推測が有ってもいいではないか。
(やはり、タイムマシンに頼るのが一番だ)
*土器と茶碗の欠片ばっかしで飽きたので、外の武田家住宅を撮影して帰って来た。
青森の「三内丸山遺跡」と「十三湊」迄行けるか距離を検索したら600キロ超でちと遠い・・JR東日本の乗り放題期間はと思ったら、丁度北海道行きとぶつかっている。
なにかいい手段は無いものかと思うのだが、なにせタイトルの性格故にその内冷めてしまうのだろう。
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