常設展でこんなジオラマが有ったが何故か懐かしく思える。
生家は農家だったので秋には学校から帰ると”はざかけ”の手伝いをした。(させられた)
それから約半世紀が経ってしまった。刈取りの田圃には水が溜まっているが、恐らく”亀田郷”の風景ではないだろうか? (亀田郷土地改良区は結構名が通っている)
大型の排水機場の出現により今ではこんな風景は見られなくなったが、もっとも刈取りも”高価”なコンバインが活躍している。
新潟近郊の腰まで浸かった湿田は今では”ビックスワン”が建ったりして、一等地だ!
上の写真は昔の水路と洪水の状況だ! 明治の横田切れ”旧分水町横田で信濃川が決壊”で洪水の濁流は内野まで達した様だ。 内野のあるお寺の柱にその時の跡が残っていると聞いた事がある。
その後”大河津分水路”の掘削につながったとされている。
対岸のトキメッセ、佐渡汽船、フェリーと昔の新潟の堀を再現したもの、但し堀はこんなに綺麗では無かった様だ。 写真が有ったがゴミが捨てられている”どぶ川”だ。
ちょうど一年前にこのフェリーに乗って北海道に行った。早朝小樽に到着し、お昼は釧路の市場で”勝手丼”だった。また行きたいと思っている。