さんぽみちプロジェクト

さんぽみちプロジェクトの記録。
和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

「梅の実」を非常食に 偕楽園、攘夷派・斉昭の思惑

2019-12-15 13:35:19 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号より、水戸藩9代藩主・徳川斉昭が造営した、世界第2位の面積を誇る都市公園「偕楽園」を取り上げている。
領民と偕(ともに)楽しむ休養場所と位置づけられたが、斉昭の目的はそれだけではなかったという。
今週は偕楽園に込められた斉昭の思いに迫りたい。

偕楽園の造営が計画された天保4年(1833年)は大飢饉が発生。
質素倹約の状況下であったが、せめて庭園の花を眺める機会を与えるべきであるという考えや、藩校で学ぶ者の休息場所、城内で災害が起きた際の避難場所というのが、造営の理由とされる。

しかし、当時は外国船の来航が相次いだ時代。水戸学の教えに則り、開国に反対する攘夷論を主張していた斉昭にとって、外国船に対する防衛は大きな課題とされた。
実際、園内の建造物である好文亭の3階部分からは太平洋を望むことから、外国船の来航を監視するなど海岸防衛が可能なものであり、幕府には伏せられた裏の目的であったとされる。


【写真】偕楽園から「千波湖」を望む

また、園内に植えられた梅にも大きな意味がある。単に梅の花を観賞するだけではなく、飢饉や戦時の非常食として梅の実を収穫し蓄えるが目的であり、意図的に梅の木を育て植樹したという。

現在、園内には100種、3000本もの梅の木が植えられ、実の収穫期である6月上旬頃、梅の実を落とし、期間限定で一般に販売するという人気行事がある。

大きな事業を行うなかに複数の目的を織り交ぜる。斉昭らしい取り組みであるといえよう。

(次田尚弘/水戸市)
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