さんぽみちプロジェクト

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和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

広島城と和歌山城

2011-04-23 19:56:21 | WAKAYAMA NEWS HARBOR

~4月18日(月)発行のWAKAYAMA NEWS HARBORより~

広島の礎を築く(浅野氏紀州藩2代藩主・浅野長晟)

 

【写真】広島城=広島市中区基町より次田尚弘撮影

 

広島県の観光名所といえば、原爆ドームや厳島神社(宮島)が有名だが、広島市中心部に広島城がある。広島城和歌山城に関係があることをご存知だろうか。

時は1619年(元和5年)、改易をされた福島正則の後を受けて、浅野氏紀州藩2代藩主浅野長晟(あさの・ながあきら)が安芸国広島藩初代藩主(42万石6千石)に国替された。同時に、徳川頼宣が駿河国駿府城から和歌山城へ国替し、紀州徳川家が誕生した。

浅野長晟は広島藩の発展に尽くした。1620年(元和6年)に「郡中法度」を布達し、税制、司法制度を行った。また、城下町への人口流入を認め、商業や経済、海運の発展に力を注ぐなど、広島藩の礎を築いた。以後、廃藩置県で広島県となるまでの約250年間、12代に渡り浅野氏広島藩は続いた。

広島城を中心とした城下町は1945年(昭和20年)8月6日の原子爆弾投下により焦土と化したが、1958年(昭和33年)大天守が鉄骨鉄筋コンクリート造で外観復元された。天守が黒く、堀にたくさんの鯉が居たことから「鯉城」という別称があり、「広島東洋カープ」の由来となっている。

私ことであるが、3月末、大橋市長より和歌山市観光発信人を委嘱された。勤務の都合で広島県民となった今、広島の礎を築いた浅野長晟の前任地「和歌山」の魅力を、広島の地で発信していきたい。(次田尚弘/広島)

【4月24日付の和歌山新報に掲載】

和歌山城広島城の関係は紀州藩2代目藩主浅野長晟(あさの・ながあきら)の国替え(転勤)だけではなく、戦災で消失した天守閣の復元も1958年(昭和33年)と同時期に再建されています。

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