日本のゆくえ

日本の経済と、日本人の精神はどこへ行くのか? 新自由主義社会に反乱を起こし、生き残るためのブログ

情報はどう集めればいいのか?

2011-09-15 03:48:29 | Weblog
テレビは嘘八百だし、インターネットも課金にする人が増えてきて、お金払わないとコアな情報にたどり着けないと思われる昨今。

そりゃそのはず。マスコミ情報は、マスコミ自体がインターネットの検索を情報源にしたり、バイアスのかかった二次情報や三次情報を多様しているからでしょう。

そう感じたときは、どう情報を集めるかについて考察。

政治の情報は、亀井静香さんや桜井新さんなど、国会議員に直接お会いすることで確かな情報を得ることができました。

株の売買をやっていたときは、自分が街に出て、実際に店にお客が入っていた企業の株は後々伸びていました。

大きな工場で仕事をしていたときは、その衰退ぶりが、そのまま日本経済とシンクロしていました。

放射能汚染は、ガイガーカウンターを持っている人が、身近で確実な情報を得ているでしょう。

まずは、自分の身の回りを、自分の目でよく見ること。

これが一番大切なのではないかと思います。

今の僕が、人様の詳細な個人データを得たり、門前払いにならずに個別訪問できるのは、介護という職業に就いているからで、それ以外の職業では殆ど難しいでしょう。

それは、個人の病気が判ったり、経済状態が分かったりと、もっとも生々しい一次情報です。

しかし、どんなに情報を得ても、それをみてどうするかは職業人の個人差が出てくるわけで。

優秀なケアマネージャーや、ソーシャルワーカーなら、苦しんでいるお年寄りの肩の荷を、その情報をもとに、適切に降ろしてあげることがでるわけです。

英語の情報というのは、インフォメーションと、インテリジェンスに分けられるわけで、情報の価値のある無しは、最初の言葉の段階から、はっきり区分されているわけです。

日本でいう情報というのは、「情に報いる」と書くくらいに、情緒的であいまいなのですが、それはそれでいいことで、人道的な言語の選択をされているわけです。みんなが情に報いればいいのですが、今の官僚や役人たちは、個人情報を得られる立場にありながら、その仕事をしてはいません。

話が少しそれました。

一次情報は信頼できるといいましたが、実際には、五感で感じたものを収集してデータ化して、表化して、グラフ化して、相対化、比較して、それを使用、反映、フィードバックさせるなど、情報の調理というのは、大変な作業なので、ある程度調理された他人の情報を得ることもいた仕方ないところはあるのですが。

テレビや新聞がだめなら、この人なら信頼できそうだと思う作者の本を読んだり、テレビに負けまいと頑張っているラジオから情報を得たり、ブログを濫読して、信頼できそうな記事だけピックアップしたり。

二次情報の場合は、そんなところなのでしょうが、何にしろお金を払わないと知りたい情報も得られないことが多くなったわけで、貧乏人はますます情報貧乏になってしまいます。

それが増税論議を後押ししている理由でもあるのですが、困ったものです。