雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の才能なし俳句「児童公園」

2017-07-26 | 日記
    ◇炎天や 熱き遊具へ 蝉しぐれ

 炎天下、近所の歯科クリニックへ治療に行ってきた。歳をとると、若い頃と同じように「チョイ チョイ」と適当に磨いていたらダメである。歯の表面のエナメル質が薄くなっているのか、傷ついているのか、次々と「虫歯になりかかっている」と、削って治療される。例え何もなくしも、ピッピッピッと歯科衛生師さんに「電波治療器」の電極を数分当てられて、次に別室で医師のレーザー治療を受ける。その素早いこと、二度ばかり「じじ」と照射されて一秒程度で終わる。
 炎天下を「ヨボヨボ」と歩いて途中、児童公園内を近回りするのだが、暑さの所為で遊具際でフラつき鉄製の遊具を掴んだ。火傷をする程ではないにしろ、「アチッ」と小さく呟いてしまった。それへ指して、暑苦しい蝉しぐれが「爺、爺、爺」と、囃子立てる。おまけに高木の枝でカラスが「バーカ」
 「喧しいやい。ゴキブリホイホイを棹の先に取り付けて、くっ付けるぞ」と、手を振り上げると鳩が慰めに来てくれた。「あっ、違った」手を上げたから、餌を撒いてくれるのかと思ったらしい。「どついたろか、あっちへ行け!」

猫爺の才能なし俳句「夏の雨」

2017-07-26 | 日記
   ◇雷鳴に 園児の悲鳴 軒めざす◇

 とてもお利口さん達。「雷が鳴ったら、園舎に駆け込みなさい」と、先生から教わっているのだろう。それに引きかえ、「ピカピカ、ゴロゴロ」と雷が近付きつつあるのに、「まだ大丈夫」と思ってか、傘をさして自転車で走り抜ける青年。これを格好よく「度胸千両」と言うか、「アホ」と言うか、人様々だろうと思うが、雷に打たれた時は、反省すらできないのだよ。 
 
   ◇南京の蔓 のたうちまわる 猛暑かな◇ (季語重なり?)

 何も植えるものが無かったので、カボチャの花でも咲かせようと種を蒔いた。気が付かぬ間に蔓がご近所まで侵略して、叱られてしまった。「いい歳をして、つまらんことをするな」と口には出さねど心で思っていたであろうと僻む爺。
 「カボチャを植えましょう」と、遠き戦後の映画館で放映していたニュースの記憶がよみがえってきた。
 叱られながら「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」と、玉音放送の録音が脳裏で再生されていた。

   

猫爺の才能なし俳句「梅雨明ける」

2017-07-24 | 日記
   ◇亡き妻を 恋うる孤老に 梅雨の蝶

 【江戸時代風に】

   「お前さん、そろそろ此方においでな」
   「何を言うか、わしゃまだ斃らんぞ」
   「強がっても、歳には勝てまへんやろ」
   「うん、まあな」

 季語は「梅雨の蝶」 妻の魂に例えている。

   ◇青と蒼 境に白き 入道雲

 季語は「入道雲」 漸く梅雨が明けると、真夏日が続く。湿度も高く、年寄りには殺人的である。 強がってみせても、若ぶってみせても、「グラッ」とよろめく度に内心では覚悟を決めていたりして。

   ◇初蝉を 黙らせ遊ぶ 園児たち

 「初蝉」は秋の季語になっているが、梅雨が明けた途端に鳴き始めた。しばらく鳴いていたが、幼稚園児たちの元気な叫声に驚いたか、「ジジッ」と鳴いて何処かへ飛び去り、後は園児たちの声だけになった。俳句の季語も、この地球温暖化による変化に合わせて、編纂しなければならなくなるかも。
 

  

猫爺の才能なし俳句「梅雨の晴れ間」

2017-06-28 | 日記
   ◇放課後の 梅雨の晴れ間や 忘れ傘◇

 先週のプレバトのテーマは、「学校の傘立てにさされた雨傘の写真を見て一句」だつた。猫爺も勉強のために一句。
 午前中から午後にかけて降り続いた雨があがり、児童が帰るころには薄陽がさした。そして校内が静まり返るころに傘立てを見ると、数本の笠が忘れられていた。そんな想像をした一句がこれ。情景がつまらないのが才能なしの所以。

   ◇蝶々が 来ることもなく カボチャ花◇

 料理に使ったカボチャの種を、悪戯で蒔いてみた。太い茎が伸び、大きな葉の間から、黄色い花がたくさん咲いている。注意深く眺めていると、雄花ばかりなのに気付いた。たった一つだに雌花がないのだ。これは、日照時間が短い所為なのか、それとも食用に改良されたものは、雌花を付けなくなっているのか。私はただ首を傾げるだけである。

   ◇深緑に 騒ぐカラスの 七つの子◇

 カラスの鳴き声は、日本の場合は文字で書くと「カアカア」であるが、「グワア、グワア」と濁声あり、優し気に「カーカー」と二声めを二音ほどあげる鳴き声ありと、実に個性的である。そのなかにあって、子供のカラスが親を呼んでいると思われるその幼気な声は、実に不安そうに聞こえる。一か所で散々鳴き散らした後で、親に導かれてであろう一斉に遠ざかっていく。小さな台風一過である。もちろん、七つの子は想像である。

猫爺の才能なし俳句「梅雨」

2017-06-09 | 日記
   ◇校内放送 梅雨間の晴れの 朝の風◇

   ◇四葩花 空を映すか 水浅黄◇

   ◇大雨の 後の静けき 白あじさい◇


 ちょっと悪戯のつもりが、YouTubeにアップした昭和歌謡が、もう200曲を超えてしまった。何が面白いのかと言えば、クリックしてくれる方々の反応が早いことだ。アップすればYouTubeのライセンスとなるので、アップの可否はYouTubeが判断してくれるようだ。そう思い込んでいるだけかも知れないが‥。

 主に、猫爺の好きな股旅演歌オンリーにしようと思っていたが、リクエストに応じていると昭和歌謡チャンプルーになってしまった。このまま増やしていっても、何れ削除されるのかも知れないが、今が楽しければ良いじゃないかと、猫爺の楽観主義が首をもたげる。

 そんなこんなで、このブログの更新は疎かになっている。「まっ、いいか」

 「まっ、いいか」でないのが、猫爺のからだを蝕んでいる「癌」。昔昔、大腸の憩室を切除する手術をしているので、癌の切除はできないそうである。今は「ホルモン療法」の最中。これを有る程度まで進めると、コバルト照射療法に移行するのだそうな。「そうな」なんて、他人事のように書いているが、これだけ長生きさせて貰ったのだから、有難いことではないか。楽しいことをしながら天命を待つのも、これまた幸せなことである。

 

 

   

猫爺の才能なし俳句「近所の公園にて」

2017-05-17 | 日記
   ◇五月晴れ しろつめ草を 摘む子らも◇

 公園の芝生の中、故意か無意か、しろつめ草の花が蔓延っている。その花を幼児たちが、無心に摘んでいる。子らの心も、五月晴れのようである。

   ◇鳩に餌を 与える子等に みどり風◇

 羽毛、糞塵を巻き上げて逃げる鳩を追う腕白な子。恐る恐る鳩に餌を投げ与えている子。子等に何の罪があろう。要は、親のマナーと健康に対する無関心に問題があるのではないか。親たちはベンチでおしゃべりに夢中。


 南瓜の天婦羅を食べた。後に残った種を、悪戯で空いたプランターに蒔いておいたら、でっかい双葉が芽を吹いた。せめて、大きな尾花だけでも見せてくれないだろうか。そんな願いを持つほど、南瓜の花を見ることがない。そう、あの大きな黄色い尾花だ。過去にも悪戯で植えてみたが、小さいプランターでは、あの奥行きがあり、ぷっくり子房が膨らんだ雌花はつけなかった。

   ◇遠き日や カボチャの花の 首かざり◇

 白いシャツを、花粉だらけにして遊んだこともあった。 







猫爺の日記「がーん」

2017-05-17 | 日記
 「弱り目に祟り目」とは、このことだろうか。きっちりと医者通いをしていても、思わぬ祟り目に出遭う。自分は運命論者ではないと思っていたが、結構運命に操られているのに気がつく。 
 わが血族は、癌で亡くなったものは居ないから、自分もまた「そうであろう」と高を括っていたが、兄に裏切られた。昨年、肺がんで亡くなったのだ。

 自分も、部分MRIを受けて影が出たのだが、さらに「生検」をした結果、「癌告知」となってしまった。
 幸か不幸か、「骨シンチ」と「造影剤スキャン」の結果、転移はないとの事だったが、大概「病気のデパート」であった上に、更にこの告知である。

 昔、「癌告知」は慎重になされた気がするが、今は医者も笑みを浮かべながら「残念でしたが…」と、サラリと伝える。それだけ、治療法が進歩して、完治も夢ではなくなっているのであろう。だが、猫爺の場合は違う。数十年以前に入院40日の手術を受けているのだ。これでは内視鏡手術は出来ないそうである。そのうえ脳梗塞があり、血液をサラサラにする薬は欠かせないとくる。

 可能な治療は、ホルモン療法、そしてコバルト療法で進行を遅らせるくらいなもので、完治などは望めない。とは言え、ここまで長生きしたのであるから、諦めもつくというもの。カネのかかる最新治療とかは避けて、可能な治療を素直に受けて、十返舎一九ではないが、「灰さようなら」と辞世するのも宜しいかも知れないと思う昨今である。

 

 

猫爺の才能なし俳句「花時雨」

2017-04-27 | 日記
   ◇雨上がり 子の踏む溜まり 花筏◇

   ◇リュック背負う 園児の列に 花時雨◇

 血液検査のある値が、許容値に近付いたとのホームドクターの指摘で病院へMRの撮影に行った。MRとは、造影剤を静脈から注入し、あのピーピーギャーギャーと煩い磁気共鳴画像を撮る装置だ。
 その結果、下腹部に影が写っているいると言われ、今度は生検をしてもらうために、病院へ。そのやり方は尾籠であるために書けないが、体のなかに棍棒のようなものを突っ込まれ、棍棒から飛び出す針をバシンバシンと八回突き立てて、細胞を採取された。厳重に除菌された上に抗生剤の点滴を受けたにも関わらず、その夜三十九度の熱が出た。こんな高熱は、成人後はじめてのことだ。ガタガタと震えが来て、夕食どころか熱さましの薬を使う元気もなく、二枚の布団を被って寝てしまった。
 朝、熱は三十六度七分に下がり、朝食も摂れた。生検の結果は五月二日に分かるそうであるが、家内が生きているときには入っていた「癌保険」を、止めてしまったことが後悔の種になるやも知れない。これ以上書くと、医療保険の宣伝になるのでやめておくが、さて、後悔するかしないか、結果待ちというところである。

 現在、ブログの更新が途絶えているが、それでも多くの人が覗きに来てくださるので、大変感謝している。また拙い創作を手掛けて行こうと思うが、私の書く長編は、最初の「能見数馬」から、筆が途絶えている「賢吉捕物帖」まで、登場人物(幽霊を含む)が多かれ少なかれ繋がっている。途中から読んでくださった方には、誠に不親切であるが、突然馴れ馴れしく過去の登場人物(幽霊を含む)が出て来て困惑されることがあるかも知れない。

  シリーズ第一作 「能見数馬」蘭方医を目指す少年数馬と幽霊の「中乗り新三」が出会う。
  シリーズ第二作 「佐貫三太郎」江戸生まれの捨て子「三太(後に三太郎の義弟)」の守護霊として「中乗り新三」登場。
  シリーズ第三作 「池田の亥之吉」大坂の商家の番頭亥之吉、天秤棒を武具に商家の勘当されて店を出た長男を探すためにやくざに身を窶して旅鴉に。
  シリーズ第四作 「幽霊新三、はぐれ旅」捨て子の三太と中乗り新三の旅。
  シリーズ第五作 「佐貫鷹之助」三太郎の実の弟。鷹之助の教え子に、大坂育ちのチビ三太が登場。新三は、鷹之助からチビ三太へ。
  シリーズ第六作 「チビ三太、ふざけ旅」チビ三太は、守護霊の新三に護られ、途中知り合った捨て子の新平と共に江戸の池田の亥之吉の元へ。
  シリーズ第七作 「三太と亥之吉」池田の亥之吉のお店(たな)で三太は商売と棒術の修行。
  シリーズ第八作 「江戸の辰吉旅鴉」ならず者を刺して逃亡の旅鴉を、新三が護る。
  シリーズ第九作 「賢吉捕物帖」シリーズでは、北町奉行所与力長坂清三郎が度々登場するが、「賢吉捕物帖」では、その長男長坂清心が与力として登場。

 また頑張って書きます。

 

猫爺の才能なし俳句「チューリップ」

2017-04-15 | 日記
   ◇チューリップの 花壇に刺さる 子の雄叫(さけ)び◇

 少年野球の監督に「もっと声を出せ」と言われているのか、金切り声が校舎にこだまする。花壇のチューリップの花が、恐がって震えているよ。
 

   ◇チューリップ 親指姫を 探す子等◇

 「もしもしお爺さん、お爺さんも何かお探しですか?」
 「おっ、その声はもしや親指姫か?」
 「いいえ、チューリップの花に憩う毛虫です」
 「なんじゃ毛虫かい、爺の夢を壊しやがって…」
 「そうでもありませんよ。私は魔法が使えます」
 「ほう、魔法とな」
 「出会いの記念に、お爺さんの願いを一つ叶えてあげます」
 「そうか、では小便が近くて困っておるのじゃ。代わりにトイレへ行ってくれんかのう」
 「ちっ、夢を壊しやがって…」

猫爺の才能なし俳句「満開の桜」

2017-04-09 | 日記
    ◇花の香を かき分け遊ぶ 子等の声◇

 俳句で、ただ「花」といえば、桜のことで、春の季語である。近所の公園で、野球少年たちが甲高い声を振り絞っている。遊ぶなどと言えば彼等に失礼で、彼等は野球の練習に余念がないのだ。

    ◇通院が ひとつ増えたる 桜道◇

 たとえ体調が悪くなっても、「年寄りは、こんなものだ」と思いがちだが、「それは早合点だよ」と、医者にずばり指摘されてしまった。その後が問題。「薬を処方するから、騙されたと思って飲んでみなさい」なんか、詐欺師の口調みたい。

    ◇ランドセル並び 桜の下を行く◇

 最近のランドセルはカラフルだ。上級生に統率されて、ピーチク、パーチクと囀りながらの登校。「車と変質者に注意しなさいよ」。
  
  (/・ω・)/おいといて‥

 テレビで、あれがダメ、それがダメと新知識をひけらかしているが、中にはくだらないことがある。「靴を履くとき靴ベラは靴の踵の奥まで入れないで、浅く入れる」そんなこと、奥であろうと、浅くであろうと、ほっといてくれ。意識するほうが面倒臭いわい。

「シャックリが出たら、耳に指を突っ込むと止まる」やってみたけれど、なーんも止まらへんがな。

 安物の鰻を、国産の高級鰻の味にする方法。蒲焼の鰻をお茶で一旦煮るのだそうである。やってみたけど、「ふにゃふにゃ」にはなったが、安物は安物の味、余計不味くなった。
 テレビでは、出演者も町の通りがかりの人も「美味しい」「柔らかい」と褒めちらしているが、サプリのCMと同じでギャラの手前である「個人の感想」かい? 

 


 


 

 

猫爺の才能なし俳句「桜と二宮金次郎像」

2017-03-23 | 日記
   ◇花の径 朝日に光る ランドセル◇

 先週の「プレバト」は、録画するのを忘れていて見逃した。今週は、台所の片付けをしながら笑ったり感心したり。夏井いつき先生の添削に惚れてしまったり。
 今週のお題は、二宮尊徳(にのみやたかのり)の像とさくらの写真を見て一句。ところで、まだまだ多いのかな?柴を背負って本を読んでいる金次郎さん(本当は金治郎さん)の像。歩きながらのスマホを助長しそうで、「危ないから取り払え」というクレームが殺到して、かなり減ったように思っていたが‥‥。

   ◇さくら舞い 朝礼前の 群雀◇

 爺の小学校入学のときの新一年生は、1クラス50人程度で14クラス。喜び勇んで入学してきた新一年生が桜咲く(多分)校庭に一同に集められると、その煩さは群雀の囀りの如し(多分)だったような。そこへ厳かに朝礼台に校長が上がると、ピタッと静まりかえる(多分)。校長とは偉くて恐いものだと教え込まれていたように思う。そこで、校長は力士の話をされた。これは印象深かったので、爺になった今でも憶えている。太っている力士を「アンコ」と呼ぶのに対して、細い力士を「ソップ」と呼ぶが、石浦や宇良よりも細くて小さいソップ力士の話だった。
 いわゆる、軍国唱歌の「お山の杉の子」みたいな話にこじ付けたもので、「今は小さくとも大きくなったら国の為に働こう」という話。この唱歌、戦後にサトウハチロー氏が補作して、軍国性の部分を変えている。

 え? 何の話だっけ。そうそう、猫爺の子供の頃は、まだ軍国臭が漂っていたという、くだらない話である。

   ◇花風に、よぼよぼ爺 こかされる◇

 へなへなとこけたので、血は出ていないけど。

 当地、本当のところ、まだ桜は咲いていない。彼岸が過ぎたというのに、まだまだ寒い毎日が続く。明日も寒いそうである。春を通り越して、いきなり夏になったりして。嫌だなァ。

猫爺の才能なし俳句「早春賦」

2017-03-14 | 日記
   ◇啓蟄や 時期にあらずと 虫二度寝◇

 もこもこと、冬眠中の虫が地上に出て来た。粉雪ちらちら、「なーんや、早かったかいな」と、再び地中に潜ってグーグー。そんな今日この頃。爺の血圧が上がったり下がったり。

   ◇お水とり あと一缶と 灯油買う◇

 関西では「奈良の水取り」が終わると、その日を境に段々と温かくなってくると親から教わっていた。「ほんまかいな」そんな季節感は狂ってしまったかのように寒い日が続く。それなら、彼岸は裏切らないだろうか。「暑さ寒さも彼岸まで」は、まだ生きているのだろうか。

   ◆春は名のみの 風の寒さよ‥‥◆  (早春賦より)


 寒い中、今日も今から出かける爺。

 


 

 

猫爺の才能なし俳句「ひな祭り」

2017-03-04 | 日記
 プレバト、今週のお題は「ひな祭り」であった。

   ◇子等燥ぎ 売り場華やぐ ひな祭り◇

 「うれしいひな祭り」というサトウハチロウさん作詞の古い童謡がある。最近は、誰でも知っているとは言い難くなってきたが、それでもちょっと年配の方々はご存知であろう。
 この童謡の作詞者の間違いが、色々取沙汰されてきた。

   ◆‥お内裏様とお雛様、二人並んですまし顔‥◆

 二番の歌詞の書き出しである。これでは、男雛が「お内裏さま」で、女雛が「お雛様」になっているが、「お内裏」とは、男雛と女雛一対をさす。更に「お雛様」とは、三人官女も五人囃子も含む雛段の全部の人を指す言葉である。
 プレバトでは、おひな祭りに出される白酒と甘酒を混同している人も居た。白酒はアルコール分9度のれっきとした日本酒であり、甘酒(俳句の季語としては夏)は子供でも飲める甘味飲料である。

   ◇雛人形 年にひと日の 晴れ姿◇

 端午の節句、すなわち男の子節句五月五日は武者人形や鯉のぼりを一ヵ月間飾るが、女の子の節句ひな祭りはたった一日部屋に飾ると元の箱の中である。この差は、封建社会の名残なのだろうか。

猫爺の日記「無理無理」

2017-02-25 | 日記
 随分とブログの更新をサボってしまった。その間に、アクセス解析のお試し期間に入っており、これを見ると猫爺のヘボ創作を沢山読んで頂いており、感謝に耐えません。ありがとうございました。

 んで、今回も俳句から入る。当方が楽しみにしている夏井いつき先生の辛口批評と添削が冴える「プレバト」だが、今回のお題は「菜の花畑と、傍に停め置いた自転車の写真で」猫爺も一句。

   ◇菜の花や 自転車とめて 立小便◇

 「ミミズも蛙もごめん」昔の子供は、立小便をするときは、そう唱えたものだ。では、蜥蜴やオケラやゴミ虫などには「ごめん」と言わないのか。「言います、言います」。他に鼠も土竜も、草木も苔も‥‥ そんなに言っていては、おしっこが漏れてしまう。。

   ◇春の嵐 峠こえたら また峠◇

 股旅演歌、橋幸夫さんの「星の三度笠」のパクリである。

   
 (/・ω・)/

 これもテレビ番組での話。

 台所の水仕事で、手についた脂が石鹸でとれない場合は、「砂糖」を大匙一杯手につけて擦るとおちるのだそうである。

 無理無理。砂糖が貴重だった頃に子供時代をおくった極老爺にとって、そんな勿体ないことが出来るものか。ぜんざいを作るにも、砂糖を節約して薩摩芋を入れたり、砂糖を少なくして塩を入れることで甘く感じさせたりしていた時代のこと、「食べ物を粗末にするな」と、親に躾られたことが思い出される。

 カレーは、作ったその日のうちに食べきらなければいけないのだとか。カレーが冷めて50℃前後になると、黴菌がどっと増えるらしい。翌日、そうとう長時間加熱しても、菌は死なずに残って、食べると腹を壊すそうである。

 無理無理。猫爺などカレーを作ると、どうしても二日も三日も残ってしまう。せっかく美味しく出来たものを残ったものを捨てるなんてことは出来ない。あの世で猫爺の母が聴いたら、化けて出て来るやも知れない。

 解決策は、レトルトに頼るほかはないが、今まで家で作ったカレーを食べて、腹を壊したことなど無い。昔の黴菌は、優しかったのだろうか。

 

猫爺の日記「高価な苺」

2017-01-28 | 日記
 テレビを視ていたら、高価な苺が紹介されていた。大きさは普通の苺とかわらないブランドものが、一粒800円もするのだとか。猫爺、思わず「すっげー」と叫んでしまった。もし、そんな高価な苺を「一粒遣ろう」と言っていただけるのなら、それよりも業務スーパーで売っている1パック250円の苺の方が有難いと思う。
 800円で驚いていたら、一粒5万円もする苺もあるのだとか。もし万が一「一粒遣ろう」と言われても、猫爺は手が震えてとても口に運べない。貧乏性というよりも、貧乏人のさがであろう。
 お金持ちであれば、一粒5万円の苺を大鍋に一杯ぶち込んで、ジャムを作るのであろうが、猫爺には生涯味わえないであろう。猫爺なら、収穫後に成る笊に山盛り100円の小粒苺を頂いた方が有難く思うだろう。

   (/・ω・)/

   ◇薄雪や 泥にまみれた 雪達磨◇

 昨冬は積もらなかったが、この冬には積雪があった。早朝には道路を白く覆っていた雪も、昼には消えてしまう。子供が作ったのであろう小さな雪達磨が、泥にまみれて哀れであった。とは言え、雪達磨を作ろうという思いが残っているのが嬉しい。昭和は遠くになろうとも、昭和の心是にありというところか。

   (/・ω・)/

 娘が入院したので、「爺の出番」とばかり、毎日病院に出掛けていた。病院が坂上に建っているので、病人の使いッ走りも楽ではない。坂道を登ったり下ったり。月に一度か二度しか乗らず恐々だったバスの昇降も、毎日何度か乗り降りをしているうちに、少し慣れてきた。

 家から500メートルほどのところにあるスーパーへ行くのに、途中のベンチで休憩しなければ行けなかったのだが、短期間だが歩きまわっているうちに、サッサと休憩もせずに歩けるようになっていた。
 霞を食べて生きているようなヨボ老人でも、運動すれば何とかなるもんだなァと、内科医が「歩きなさい」と言っていたのがようやくわかったような。