ヤマト本放送中は中学生でした。
後半の盛り上がりが凄くて、凄くて!
ビデオなんか無い当時、音楽はカセットに録音。
最終25話、26話はなんとか画像に残したくて8ミリで
TV画面を撮りました。
走査線入りまくり、手ぶれブレブレでしたが
宝物でした。
最終回。終わった途端に気が触れたようになりました。
ヤマト喪失症といいましょうか、
ヤマトが終わったことが信じられませんでした。
当然次の週の夜7時30分によみうり放送をつけました。
ヤマトをやっていようはずがありません。
頭が少しおかしくなっていた自分は
それからまだあまり流通していなかったヤマト関連商品やら
松本零士の漫画単行本やらを手当たり次第に集めました。
冒険王のバックナンバー、得体の知れないソノシート付絵本
石津嵐のトラウマ小説・・・・。
テレビランドに、ニセモノの絵だけど漫画が載ってた聞けば
古本屋めぐり。
あと、TVから録音したカセットは何回も何回も聞いて
伸びまくりでした。
スキャットの曲と、
イージーリスニング風のイスカンダルで流れた曲がとにかく好き。
イスカンダルの曲に至っては、死ぬほど好き!!
「効果音やセリフの被っていない、きれいなイスカンダルの曲を聞きたい!」
後年サウンドトラック盤が出るなどと夢にも思っていなかったオラは
どうしたかというと・・・。
これがまさに、オラの黒歴史の最高に恥ずかしいものの一つ・・・。
なんと、当時イージーリスニングで有名だった
ポール・モーリア楽団にファンレターを出したのです。
無論日本語で・・・。
その内容はというと・・・・、
「親愛なるポール・モーリアさま。
お願いがあります。
「宇宙戦艦ヤマト」というTV漫画の第25話と
第26話の冒頭に流れていたきれいな曲を
是非ポール・モーリア楽団で演奏してほしいのです!」
これって、もらった側からすると完全なキチ○○の手紙ですよねー!
当時はソレぐらい飢餓状態で、頭がイカれて、狂っていたという証左でございます。
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