だんだん花粉の飛びが酷くなってきたこの日。
花粉どころの話ではない災厄が起こるとは
予想だにしていなかった・・・。
午後14時46分
15時から会議なので準備をしていると、地震。
「そういえば、2日ほど前にもあったな」と思って
軽く考えていると、結構強い。
ビルがガッコンガッコン言って、天井のハメ板が落ちてくる。
「これはまずいかも!」
あわてて机の下に潜り込む。
揺れが収まる。
今のは大きかったねぇ・・・などと談笑する。
会議に向かう。
午後15時15分
会議をやっていると、また地震。
鉄骨が軋む音がし、壁にひび割れが入り、
白い粉が吹き出す。
「ただごとじゃない!」
高層階なので長時間の横揺れで
まともに立っていられない。
窓から外を見ると、隣のビルもコンニャクみたいに揺れている。
館内放送が入る。
エレベータは停止して、防火シャッターが下りる。
午後16時から20時くらいまで
ようやくただならぬ状況が伝わり始める。
震源地は東北、マグニチュードが7だか8だか
錯綜している。
会議はすべてキャンセル。
広範囲の停電と通信の輻輳で、まったく情報がはいってこない。
電話も不通。
家に電話してみても、まったく繋がらない。
こんなときに役に立ったのがメールとツイッター。
インターネットでなんとか情報確認が進む。
「なんだか、とんでもなくヤバイことになっているんじゃないか?」
と思っていると、仲間の一人が声を上げる。
「お台場が燃えている!」
だんだん陽が落ちて暗くなってくるとさらに恐ろしいことが・・・。
千葉の海岸の方が真っ赤になっていて、時折火柱が上がる。
「まるで『日本沈没』の一シーンじゃないか!」
小生は、事態の深刻さに言葉をなくした。
日没。
夜の闇に包まれる。
だんだん不安になってくる。
都内の鉄道は完全に沈黙。
家に帰る手段がない。
職場から家まで、距離は40キロ弱。
歩いたら10時間以上かかるだろう・・・。
小生の自宅は埼玉は春日部に近い某所。
都内から埼玉方面に帰宅する場合、大体が南北に走る電車の
お世話になる。
JRと東武線がそれである。
西武新宿線というのもあるが、それは同じ埼玉でも西の所沢方面。
朝霞、浦和、与野、大宮、越谷、春日部方面等に帰宅する場合JRと東武線が
生命線なのである。
午後18時時点では、鉄道は全停止。
どう考えても、帰れない。
会社からは、現状では事務所に宿泊すべしとのお達しが出ていて
なんでも枝野官房長官は、帰宅は控えるべしと
会見を行ったとか・・・。
「民主の言う事だから、逆をやった方がいい!」
などと乱暴な事を言うメンバーもいる。
そのうち、都営バスは動いているという情報が入る。
徒歩やバスで帰宅可能な人は、帰宅を始める。
都心に住んでいる人はうらやましい。
そのうち、20時時点で都営地下鉄が動き出した、との情報が入る。
一部の人は更に動き出す。
更には21時過ぎ、銀座線が動き出したとの情報も・・・。
「銀座線で上野まで行き、その後日比谷線が動けば、北千住まで行ける。
そのうち東武線が動くだろうし、
最悪、北千住まで行ってしまえば、あとは25キロ位・・・・。
歩けないこともない。」
と、考える。
家が同じ方面の方々もどうも同じ考えで動き出している。
「決めた!帰るぞ!」
と動き出したのが21時30分。
この見通しと決断が甘かった事を思い知るのは、その数時間後であった。
カバンに配給された水と乾パン、あとお菓子の類、スポーツドリンクと
お茶などを入れて出発。
結構、重い。
23階から1階まで、階段で下りる。
この時点で、すでに足がガクガクになる。
銀座線の駅に到着。
駅もさほど混んでいない。電車もまあ、通常並みの混み具合だ。
「これは、楽勝か?」
とタカをくくる。
上野駅に到着。
ここで日比谷線に乗り換えだ。
日比谷線で北千住まで行ける。
北千住は小生にとって中間点・バラン星みたいなもの。
そこから先は東武線に乗って、マゼラン星雲こと埼玉県に行けるのだ。
改札を出て驚く。
会社帰りのサラリーマンらしき人を中心に
通路にへたり込んでいる人の山。
携帯でさかんに連絡をとろうとしたり
飲み物を飲んでいたり
すでにあきらめて寝そべっている人もいる。
JRが動かないため、帰る手段がない人の群れだ。
JRは早々に「本日は運転再開なし!」と宣言している。
コミケの午後2時頃の東館中央通路の状況より酷い。
「帰宅難民」
まさにこの用語がぴったりくる。
焦燥にかられ、日比谷線の改札に向かう。
日比谷線は動いていない。
動く目途はついておらず、よしんば北千住まで行ったとしても
東武線は路線に深刻な障害が出ているため
本日の復旧は無理かもしれない、との由。
どうしようか・・・。
上野から歩き始めると30キロ超になり、かなり厳しい。
「千代田線は、代々木上原と綾瀬間で
折り返し運転を始めたという情報があります」
という駅員さんの情報を信じ、千代田線へと向かうことに。
千代田線でルートは違うがバラン星、もとい北千住まで行ける。
「確か千代田線の湯島駅か根津駅が
上野から1、2キロくらいのところにある筈」
地図表示を頼りに湯島駅へと向かう。
地上には、同じ考えなのかトボトボと歩くサラリーマンで溢れている。
湯島駅到着。
改札を先頭に、凄い行列。
千代田線は動き出してはいるものの、すさまじい混雑で
ホームへの入場規制をしているとのこと。
仕方がないので列の最後尾に並ぶ。
30分くらい待った23時頃、家人から携帯に連絡が入る。
湯島で並んでいる旨を伝えると、
「都営線は動いてるみたいだから
都営大江戸線で春日まで行って、後楽園で南北線に乗り換えたら?
南北線は埼玉高速鉄道乗り入れが再開しているみたいだし、
それで浦和美園まで行けるよ。」
との提案が。
<ナレーション>
浦和美園駅、埼玉スタジアムの玄関口として作られた駅。
越谷と浦和の中間点に位置する。
埼玉スタジアムに行くのは便利だが、越谷、浦和への鉄道の接続はなく
埼玉県民からすると陸の孤島みたいなもので
普段はほとんど使わない、
小マゼラン雲みたいなもの。
<ナレーション終わり>
浦和美園か・・・。そこからだと家まで10キロもないだろうし
大マゼランと小マゼランはお隣同志だし・・・(馬鹿)。
大江戸線の新御徒町駅まで、地図を頼りに歩く。
大江戸線の駅も混んでいたが、千代田線ほどではない。
大江戸線の電車は鬼混みだ。
なんとか乗りこみ、ボロボロになって
春日で降りる。
ここらへんは、東京ドームのあたりで
はっきり言って、銀河系を脱出したところを
また太陽系内に戻ってきてしまったような感じ。
時間は23時30分。
くたびれてきてしまっているし、もう方向もわからない。
歩いて帰る気力は失せてしまっている。
乗り継ぎ駅の南北線後楽園駅へと向かう。
凄い混雑だ。
加えて、白金高輪台~浦和美園の折り返しで運行のこの路線、
現時点では東埼玉方面に行ける唯一稼働している路線であるため
ハンパじゃない混雑状況。
途中、六本木、永田町、四ツ谷、市ヶ谷、飯田橋と
混雑駅を経由してくるため、後楽園に着く頃には充填率200%の状況で来る。
なもので、「この駅で降りた人の数しか乗れない」状況。
一本につき、2-3人か?
「降ります!降ります!」と絶叫する人。
友連れで降ろされてたまるかと踏ん張る人
我先に乗り込もうとする人で、阿鼻叫喚の状況。
ホームドアがある、二重ドアの状況が更に混乱に拍車をかける。
乗車は遅々として進まず、ホームは更に混雑を増してくる。
時は既に24時を回っている。
「もう終電の時間だ!今度乗らなかったら、もう帰れないぞ!」
ホームがざわつく。
混乱の度合いが増す。
非常にまずい状態だ。
その空気を察したのか、放送が入る
「えー、都営線と埼玉高速鉄道は終夜運転をすることになりましたので
ご心配いりません。お客様は全員乗車できますので、落ち着いて行動してください」
「都営、えらい!」
「さすがだ!」
「それに引き換え、JRのへたれよ!」
と声が飛ぶ。
それから更に1時間後、ようやく小生も乗車が出来る。
地獄の混雑と、肩に食い込む鞄のヒモを我慢しながら
ほうほうの体で、浦和美園につく。
小マゼラン星雲とはいえ、埼玉県だ。
時間はすでに、午前2時をまわっている。
ここまでの所要時間、約5時間。
家まではあともう少し。
10キロ弱か?
これまでは、北へ北へとの道行きであったが
これからは東に向かえばいい筈。
深夜なのに、幹線道路は車で溢れかえっているので
足元は明るいようだ。