長内那由多のMovie Note

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『花束みたいな恋をした』

2021-02-06 | 映画レビュー(は)

 何の説明も必要としないアニメ映画が何か月にも渡って興収チャートの1位を独占した後、誰もが自分の個人史に引き寄せざるを得ない本作が1位となった現象はコロナウィルスによる緊急事態宣言下とはいえ、嬉しい驚きだ。場内の大半の客は“世界の押井守”にピンと来ていなかったが、膨大な量の固有名詞は映画と観客の距離を縮めていく。本作の主人公たちと生活圏が近い僕は、彼らが明大前から調布まで歩いた“ビフォア・サンライズ”の代え難さが肌感覚で実感できたし、数々のポップカルチャーに対する彼らの熱狂にも暖かい眼差しを向けることができた。だが名手、坂元裕二がユーモラスな語り口で幕を開けながら、明大前から調布までの2時間12分徒歩10kmの道程を描かなかったことからは、本作が日本で大量生産され続ける凡百の恋愛ドラマと一線を画す事がわかる。

 2015年、大学卒業を間近にした麦と絹の2人は調布駅から徒歩30分にある、多摩川沿いのアパートで同棲生活を始める。絹は近所のアイスクリーム屋でバイトし、麦は1枚1000円で得意のイラストを仕事にした。彼女は終わりのない恋なんてないと思っているが、麦は言う「僕の夢はずっとこの状態を維持すること」。だが、仕送りも途絶えれば“生活”をしなくてはならなくなる。氷河期ほどではないにせよ、今も就活はそう容易くない。やがて麦は運送会社に勤務し始める。毎日残業し、時には会社の床に寝て泊まり込んだ。いつしかカウリスマキの映画を見ても響かなくなり、『ゴールデンカムイ』は7巻で止まって、ニンテンドースイッチには手を付けることもなくなった。仕事の単価は下がり続け、やりがいは搾取され、誰でもできるブルシット・ジョブが人生を浪費していく。“生活”が豊かさにつながらない2015~20年の景色。僕もちょうど同じ頃、運送会社に務めており、自分の創作もままならなくなったから麦の徒労は他人事ではない。でもこのコロナ禍でホームレスとなったミュージシャンの友人が言っていた「生活って大事だな」。

 始まりの場所であるファミレスで、多くの恋人たちと同様、2人に終わりが訪れる。「結婚して、子供作ってさ。空気みたいな夫婦になろうよ」と言う麦のプロポーズは虚しい。泣きが美しい菅田将暉の繊細さも素晴らしいが、有村架純の芯の太さに驚いた。日本のタイプキャスティングでは巡り合えないかも知れないが、フローレンス・ピューが演じるような役柄で見てみたい。

 特に恋愛経験もなく、20代もとうに過ぎた僕がこれ以上、語るのはよそう。坂元裕二は20代の若者たちへ宛てて本作を書いている。人生にはまるで花束のような特別な出会いがあり、愛する者の手から手へと想いは受け渡される。誰にも訪れる人生の季節を描いた、珠玉の1編だ。


『花束みたいな恋をした』21・日
監督 土井裕泰
出演 菅田将暉、有村架純

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