長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ムーンライト』

2017-05-07 | 映画レビュー(む)

 前代未聞の大逆転劇となった『ムーンライト』のアカデミー作品賞受賞は、まさかの作品賞読み間違えというハプニング以前に、あらゆる面から見て異例尽くしの、アメリカ映画史に残る大快挙だ。
 ブラッド・ピットによる英断で陽の目を見たアートハウス映画である事はもちろん、現代黒人社会を舞台にしていること、そしてLGBTをテーマにしていること、なによりハリウッドが自分たちを描いた
『ラ・ラ・ランド』ではなく、偉業も成さなければ映画的な事件も起こらない一個人の物語を選んだからだ。バリー・ジェンキンス監督による本作は詩的で美しいが、およそアカデミーが好んできた大衆作からは程遠く、言ってみれば批評家好みの映画であり、そして観る者の心を揺さぶるラブストーリーである。

映画はマイアミの貧民街に住む黒人シャロンの幼年期、少年期、青年期という3つの時期を3幕構成で描く。
うつむき気味で人と目を合わさず、無口なシャロンはその瘦せすぎの体形も手伝ってか、クラスメートに「オカマ野郎」と苛められる日々が続く。家に帰ってもシングルマザーの母は仕事と男、そしてドラッグに忙しく、ネグレクトしている。そんな居場所のない彼にとって父親のような存在となるのがドラッグディーラーのフアンだ。やがてシャロンにとってのロールモデルとなる男をマハーシャラ・アリがまるで聖人のような透徹さを持って演じ、わずかな出番ながらアカデミー助演男優賞に輝いた。

ありふれた物語をジェンキンスは大胆に省略しながら、ストリートに詩心を見出していく。黒、茶、青銅とあらゆる黒人の肌を神秘的に撮らえたカメラ。メランコリックなスコア。それらは所謂、黒人音楽映画の詩心とは違い、よりシネフィル的な映画記憶から紡ぎ出されたものに見える(ジェンキンスはウォン・カーウァイからの影響を明言している)。では白人へ迎合した黒人映画なのか?とんでもない。第2幕目、シャロンとケヴィンが交わす美しいダイアローグはまるで歌い継がれてきたブルースのように力強いリリックであり、本作で最も心奪われる名場面だ。

時に俳優たちの即興性も交えた行間は第3幕目でさらに濃密さを増していく。フアンと同じドラッグディーラーに身を落とした青年シャロンは金歯をはめ、イイ車を乗り回すいっぱしのヤクザ者だが、心に決めた人ケヴィンの前ではあの少年シャロンの湿度を帯びた目に戻る。目で選んだという3時代それぞれのキャスティングが素晴らしく、とりわけこの終幕のシャロン=トレヴァンテ・ローズとケヴィン=アンドレ・ホーランドの2人が醸し出す愛の気配は見る者に陶酔感をもたらす。

 涙を絞り取るような大団円が待っているわけでもない。観客を啓蒙するような悲劇もない。ただ人間誰もが経験する愛の充足がスクリーンに満ちていくのである。名もなき僕らの物語が映画になってくれたことを喜びたい。


『ムーンライト』16・米
監督 バリー・ジェンキンス
出演 トレヴァンテ・ローズ、アンドレ・ホーランド、マハーシャラ・アリ、ナオミ・ハリス、ジャネール・モネイ
 

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