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長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ジュマンジ ウェルカム・トゥ・ジャングル』

2018-05-17 | 映画レビュー(し)

未だ『スター・ウォーズ』『マッドマックス』という40年前のコンテンツで食べている映画界だ。1995年製作『ジュマンジ』のリブートなんてまだ日が浅い企画だろう。ハリウッドが人気フランチャイズを延々と続けている事は今更言うまでもないが、ブランドを維持するための企画開発は年々、手が込んできたように感じられる。謎のゲーム“ジュマンジ”に吸い込まれてしまう基本コンセプトはそのままに、本作ではジョン・ヒューズ風の青春ドラマとしてアレンジがされ、20年前の第1作を知らない一見さんでも入り易い。

それぞれの理由で居残りを命じられた4人の学生たち。課せられた地下室の掃除でTVゲームに姿を変えたジュマンジを発見、ゲームの世界に吸い込まれてしまう。ゲームの世界で彼らは“アバター”というゲームキャラに変身してしまうのだが、これをドウェイン・ジョンソン、ジャック・ブラック、ケヴィン・ハート、カレン・ギランら芸達者が演じているのが本作の成功要因だ。あのロック様が中身は童貞、オタクの高校生に扮し、ブラックにいたっては自撮り大好きな女子高生ギャルである。そのギャップが猛烈に可笑しく、次第に本当に心根が高校生に見えてくるのだから凄い。4人は自分と正反対のキャラクター性を持つアバターになった事で自身に足りないモノに気付き、ゲーム攻略のため協力し、やがて友情を深めていくのである。

 監督はローレンス・カスダンの実息ジェイク・カスダン。ところどころ手際の拙さやセンスの悪いギャグはあるが、キャラクターと役者本位の演出で痛快エンターテイメントに仕上げ、大ヒットを記録した。


『ジュマンジ ウェルカム・トゥ・ジャングル』17・米
監督 ジェイク・カスダン
出演 ドウェイン・ジョンソン、ジャック・ブラック、ケヴィン・ハート、カレン・ギラン
 
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『15時17分、パリ行き』

2018-03-26 | 映画レビュー(し)

御年87歳、巨匠イーストウッドの最新作はまるで一筆書きの水墨画の如くシンプルを極めた作品だ。
ここ10年、実在の人物を扱った実録モノを手掛けてきた御大は本作で評伝としてのドラマ性を捨て、さらにはスターどころか俳優も捨て、事件に遭遇した当事者本人達に演じさせるという実験性で2015年にパリ行きの列車内で起きたテロ事件を描いている。ランニングタイムは前作
『ハドソン川の奇跡』同様、わずか90分強。ここには90年代、ベストセラー小説の映画化で何が何でも主役を演じたナルシズムもなければ、前作でトム・ハンクスがコピーしたような“イーストウッド的キャラクター”の記号も存在しない。では一体、何を描こうとしているのか?

従来の劇作とは主人公の人生におけるある出来事を切り取って2時間の尺に収めるものだ。
本作ではスペンサー・ストーン、アンソニー・サドラー、アレク・スカラトスら3人の少年時代と2015年を往復しながら事件へと至る構成を取っている。テロと直面するまでの欧州旅行はまるで台本もコメディアンもなしに延々と続く『ハングオーバー』のようであり、映画として何も起こらない。だが、人生とはそんなものであり、転機は突如として訪れるものだ。俳優ではなく本人が演じる事で浮かび上がってくるのは「いったい自分の人生はどこにつながっているのか?」という運命論なのである。

イーストウッドがこのスタイルを選んだのは確かな理由があるのだろう。クライマックス、テロに遭遇した人々を素早く活写する筆の早さは『ハドソン川の奇跡』にも見受けられた。手を取り団結し、恐怖を乗り越えていく人々の連帯が今の時代だからこそより尊い事は言うまでもない。イーストウッドは今もなお挑戦し、時代と向き合っている。

『15時17分、パリ行き』18・米
監督 クリント・イーストウッド
出演 アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーン
 
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『シェイプ・オブ・ウォーター』

2018-03-23 | 映画レビュー(し)

声なき者たちの映画だ。
主人公イライザ(サリー・ホーキンス)は口が利けない。首筋にはまるでエラのような傷跡。きっと幼い頃に虐待を受けたのだろう。今は政府機関の深夜清掃バイトで日銭を稼ぐ日々だ。誰からも見向きもされない生活。楽しみは映画、特にミュージカル映画が好きだ。

同僚デリラ(オクタヴィア・スペンサー)とはもう10年の付き合いになる。イライザの手話を理解し、彼女が遅刻しそうになってもタイムカードを押してくれる面倒見の良いオバチャンだ。ちょっとお喋りが過ぎるが、ムリもない。夫はもう何年もまともに口を利いてくれず、デリラの事を飯炊き女房くらいにしか思っていない。

イライザの隣室には絵描きのジャイルズ(リチャード・ジェンキンス)が住んでいる。時代は写真へと移り変わり、イラストレーターの仕事は減っていた。行きつけのダイナーの男の子の事が好きで、美味くもないパイを毎日買いに行っている。既に老人と言っていい年の頃なのだが、頭の薄さをごまかすためにカツラが手放せない(非業のソ連スパイ役マイケル・スタールバーグも素晴らしい)。

そんな社会の片隅に生きてきた人たちが大事件に直面する。
政府施設に移送されてきた謎の生物…水の中に潜み、奇妙な鳴き声を上げるそれは人間のように二足歩行する“半魚人”だ。時は米ソ冷戦時代。冷酷な役人(マイケル・シャノン)はこの生き物を生体解剖し、軍事利用しようとする。しかしイライザだけは“彼”の言葉を理解し、何とか助けようとするのだが…。

ギレルモ・デル・トロ監督の美意識が全編に貫かれた『シェイプ・オブ・ウォーター』は60年代を舞台にしているが、トランプ時代を揶揄している事は明らかだ。マイケル・シャノン扮する役人はまるでトランプのような下卑た人物で、初登場のトイレシーンからもこのキャラクターがどれだけクソ野郎かわかる。半魚人を嬉々として拷問し、女は性の対象としか見なさない。車と出世に成功を象徴する価値観からもトランプ的アメリカ白人が見立てられている事がわかる。

対するイライザ達は腕っぷしも強くなければ、声を大に訴える事もできない。マイノリティ達に勇気を与える半魚人の存在はまるで彼らの守護聖人であり、両者を結びつけるのが愛、それもとりわけ“映画愛”である。孤独な者たちに夢を与える映画の存在が人々を連帯させていく。これまでになく優しく、愛に満ちたデル・トロの筆致。半魚人が初めて見るスクリーンの前で我を忘れるシーンは美しい。

 肌の違い、性の違い、言葉の違い…それが何だというのだ。憎悪はまるで形のないものに根拠している。そして愛もまた水のように形のないものだ。僕たちはあまりにも“かたち”に捉われ過ぎてはいないだろうか。ファンタジー映画としてのアカデミー作品賞受賞はそんな固定概念が取り払われ、今までにない新しい“かたち”が生まれた瞬間に思えた。


『シェイプ・オブ・ウォーター』17・米
監督 ギレルモ・デル・トロ
出演 サリー・ホーキンス、オクタヴィア・スペンサー、リチャード・ジェンキンス、マイケル・スタールバーグ、マイケル・シャノン、ダグ・ジョーンズ
 
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『ジョイ』

2017-12-31 | 映画レビュー(し)

ジェニファー・ローレンス、デヴィッド・O・ラッセル監督のコンビ第3作目。
1989年、ジョイ・マンガーノが手で触れずに絞れるアイデアモップを発明、通販で大ブレイクした実話の映画化だ。本作でローレンスはアカデミー主演女優賞にノミネートされた。

ジョイは2人の小さな子供を育てながら空港に勤務するシングルマザーだ。
一緒に暮らす母親はソープドラマ好きのTV狂い。リビングにベッドを持ち込み、1日中布団にくるまったままTVを見ている。彼女はある日、リビングの配管修理にやってきた黒人男性と電撃結婚をする。
家の地下室には離婚したジョイの元夫(エドガー・ラミレス)が居候している。歌手くずれの彼は毎晩、飲んだくれては二日酔いで寝ているだけだ。
父ルディ(ロバート・デニーロ)は工場経営者。出会い系ダイヤルでやもめの中年女性を釣っては同棲を繰り返すが、そんなテキトー野郎なのでしばらくすると実家に“返品”されてくる。今度はイタリア系の富豪未亡人(イザベラ・ロッセリーニ)を口説き落とした。

おい、コレ絶対に盛ってるだろ!
ハチャメチャ家族にローレンスが振り回される前半のデタラメさは抱腹絶倒。前作『アメリカン・ハッスル』同様、豪華キャストを手に入れたラッセル演出は騒々しいまでに活気に満ちたアンサンブルで一気に走り抜けようとする。これ、当事者の皆さんに怒られなかったのかな…。

 ただ残念なことに『ジョイ』は『アメリカン・ハッスル』ほどスタミナが持続しない。後半、映画が事実に近づくほど(リアルで、真っ当になるほど)この活気は失われ、映画は減速してゆく。良くも悪くもこの場当たり的な勢いがラッセル映画の魅力であり、欠点でもある。日本では劇場未公開に終わった。


『ジョイ』15・米
監督 デヴィッド・O・ラッセル
出演 ジェニファー・ローレンス、ロバート・デニーロ、エドガー・ラミレス、ダイアン・ラッド、ヴァーニジア・マドセン、イザベラ・ロッセリーニ、ブラッドリー・クーパー
 
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『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK』

2017-12-06 | 映画レビュー(し)

リー・チャイルド原作“ジャック・リーチャーシリーズ”の第2弾。今回はかつての部下ターナー少佐にかけられた嫌疑を晴らすため、ジャック・リーチャーが巨悪に立ち向かう。
反時代的なオールドスタイルの作風で好評を博した前作と、続く
『ミッションインポッシブル:ローグ・ネイション』で大ヒットを飛ばしたクリストファー・マッカリー監督は降板。かつて『ラスト・サムライ』でトムちんと組んだエドワード・ズウィックが監督を務めている…のだが、人間ドラマを得意とする彼は明らかに畑違いだ。まるで70年代映画のような地味さが異常なまでに格好良かった前作『アウトロー』の魅力を理解しておらず、駆け足のダイジェスト的な展開はトムちん扮するリーチャーが全能すぎるのか、プロットが雑なのか、僕らの認知力が欠如しているのかもわからなくなる程だ。この年のハリウッド娯楽大作群はいずれもストーリーテリングに無関心が過ぎており、連続ドラマに敗北している。

とはいえ、2時間の映画には連続ドラマにはない魅力がある。一枚看板の大スターの存在であり、それがトム・クルーズだ。本作でも生身のスタントをバリバリこなして映画を牽引。なおかつ最近のトムちんにはそのスターオーラで共演者を輝かせる余裕があり、ここではマーベル・シネマティック・ユニバースでシャープな魅力を放ってきたコビー・スマルダースが引けを取らぬ女傑ぶりを見せている。これで前作のベルナー・ヘルツォーク級の悪役がいれば文句はなかった。

 今回はリーチャーの隠し子騒動が物語の軸となっている。ほとんど寅さんみたいなフーテン流れ者のトムちんがあちこちで乱闘したり、人情話に巻き込まれる展開は面白いので、ぜひともあと1作くらいは作って欲しい。ところで、ラストのトムちんを見ていると「スリちゃんに会いたいんだろうなぁ」としみじみしてしまった。『ローグ・ネイション』でもそうだったが、最近はトムちん作品を見終えると「トムちん、幸せになってほしいなぁ」と思ってしまう。なぜ。


『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK』16・米
監督 エドワード・ズウィック
出演 トム・クルーズ、コビー・スマルダース
 
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