長内那由多のMovie Note

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『マスター・オブ・ゼロ シーズン1〜3』

2021-08-06 | 海外ドラマ(ま)

 クロエ・ジャオ監督『ノマドランド』のオスカー受賞は、いよいよ"アメリカ映画”が次世代へと継承される象徴的なモーメントだった。『ノマドランド』はかつてのジョン・フォードやテレンス・マリックらが描いてきたアメリカの荒野と魂についての映像詩であり、これを中国系移民のジャオが創り上げた事に現在のアメリカ映画の多様性がある。

 インド系移民2世のアジズ・アンサリが主演、脚本、監督を務める『マスター・オブ・ゼロ』も"アメリカ映画”という言葉の定義を更新する作品だ。そもそも本作は1話完結のTVシリーズだが、他のNetflix作品同様、映画級のルックを持っており(カメラが素晴らしい)、シーズン1ではウディ・アレン映画が、シーズン2ではイタリア映画が参照され、シーズン3ではなんとベルイマン映画に接続する。その筆致は単なる模倣ではなく、深い造詣と愛着、それらを再現できる卓越されたセンスに裏打ちされたものだ。

【シーズン1】
 シーズン1ではNYに暮らすインド系アメリカ人デフの日常が描かれていく。30代で独身、自身のルーツにはさほど関心がなく、信仰心もゼロ。ちょっとしたテレビコマーシャルに出たことがあり、今はエキストラもどきの端役で食いつなぐ俳優だ。

 アンサリの話術レンジは実に幅広く、第4話でTVが広めたインド系アメリカ人のステレオタイプに対する鋭い考察を行ったかと思えば、第5話は人妻との不倫がもたらす艶笑劇(ゲストはまさかのクレア・デインズ)、そして第6話はウディ・アレンを思わせる都会派ラブコメディと自由自在である。脚本・主演という立ち位置、シーズン間の製作スパンやマイノリティとして生きることについての考察はドナルド・グローヴァー『アトランタ』のフィーリングにも近く、とりわけ第4話の「インド系とアジア系は差別があっても問題にならない」という台詞にはドキリとさせられてしまった(ここに笑えるオチを持ってくるところまで実に鮮やか)。

 またアンサリはスケッチの達人でもあり、ユーモアセンスがピッタリなデフと恋人レイチェルの楽しい旅行に、ちょっとしたミスからケチがつく第5話のバツの悪さには身を捩ってしまった。このスケッチ技は架空のニコラス・ケイジ新作B級映画(『マスター・オブ・ゼロ』で言及されるのはなぜかどれもB級タイトルばかり)で人々が繋がっていくシーズン2第6話『ニューヨーク、アイラブユー』、そして珠玉の傑作シーズン2第9話『サンクスギビング』へと結実していく。

【シーズン2】

 シーズン2は恋人レイチェルと別れたデフが、イタリアでパスタ修行を終える所から始まる。第1話は全編モノクロ、かつ全編イタリア語というチャレンジングな構成で、アンサリの語学力はなるほどこれなら東京で日本語のライブができるのも納得だ。

 このイタリア滞在中にデフはフランチェスカと出会う。ユーモアセンスもバッチリで、おまけに道を歩けば誰もが振り向くようなイタリア美人。もちろん、長年付き合っている恋人がいて、あくまでデフは"愉快な来訪者”に過ぎない。そんな彼女が第5話ではNYを訪れ、デフは彼女をパーティーへと連れていく。NYという街がそうさせたのか、2人の間にはイタリアではなかったロマンスが芽生え始める。しかし、数カ月ぶりに再会したフランチェスカは恋人との婚約を決めていた。まだ何ものでもない2人の間に何かが起ころうとする刹那を、アンサリはロングショットで見つめていく。デフは想いを打ち明けるべきかと逡巡し、やがてタクシーは自宅へと辿り着く。彼を意気地のない男と笑うことはできない。人はそうとは気づかず、人生における決定的瞬間を逃してしまうものなのだ。

【シーズン3 愛のモーメント】
 シーズン2から4年、2021年にリリースされたシーズン3はまるで様子が異なる。主人公はデフの親友デニースとその妻アリシア。画面はほぼ1:1の息苦しい正方形で、舞台は郊外の静かな田園地帯だ。デフは顔見世程度に登場するが、かつての陽気さはまるでない。シーズン2の最後、看板番組の共演者によるセクハラが発覚し、デフ自身もキャンセルされてしまったのだ。

 これは奇しくもアンサリ自身の姿と重なる。2018年、アンサリはゴシップ紙を通じて女性から性的不正行為を告発され、それは時の#Me tooにも呼応して彼もまたキャンセルされてしまう。アンサリはシーズン3をこれまでと全く異なる作品に仕上げた理由を「いつまでも30歳の気楽な独身ライフを描いてはいられなかった」と語っている。ナルシズムを捨て(同世代の作家として、僕はシーズン2の終幕はいささか過ぎていたと思う)、デニース役リナ・ウェイスの脚本を得たアンサリは小津やシャンタル・アケルマン、前述のベルイマンへオマージュを捧げておりそのレンジに驚かされる。だが、真に重要なのはスケッチ作家として成熟を見せる第4話だ。

 デニースと別れ、不妊治療に励むアリシアの1年を追ったこのエピソードはシーズン3のスピリットだ。過酷な治療に打ちひしがれ、時に泣き、しかし屈託がなく、「誰かに自分の人生を託したくない」と言うアリシアのなんと愛おしいことか。『レディ・マクベス』『このサイテーな世界の終わり』を経て巧者ぶりに磨きをかけたナオミ・アッキーがアリシアに血肉を与え、終生の代表作が誕生した。現実の厳しさを前に「あたしはビッチよ」と自身を鼓舞する姿は困難に直面する全ての人を奮い立たせるハズだ。

 シーズン3はシーズン2第9話『サンクスギビング』からの達成でもある。デフとデニースの幼少期から20年間に渡る感謝祭の様子を定点観測したこのエピソードでは、デニースが自身のアイデンティティに目覚め、家族にカミングアウトするまでの葛藤と、母親が受け入れていくまでの様子がユーモラスに描かれている。自身もレズビアンであるリナ・ウェイスの脚本と巧みなカメラワークで見せるアンサリの演出は、愉快な食卓の会話から人間の距離感が変遷していく様を見事に捉えている。デニースの母親役アンジェラ・バセットの気品と気丈が作品の重心になっている事は言うまでもないだろう。

 シーズン3は全話アンサリとリナ・ウェイスの共同脚本であり、「アフリカ系アメリカ人のレズビアン夫婦をベルイマンのように描く」という全く新しい物語を獲得する事に成功している。こんな文脈がこれまでのアメリカ映画になかった事はもちろん、成功と挫折、そして加齢を経たアンサリが今後、さながらリチャード・リンクレイターのように時間とキャラクターの変遷を描いていくのではないか。そしてこの3シーズンを見れば、アンサリがフェミニストである事は自明である。83年生まれの彼が40代に入って何を描くのか。同世代としてとても楽しみだ。


『マスター・オブ・ゼロ』15〜21・米
監督・出演 アジズ・アンサリ
出演 リナ・ウェイス、ノエル・ウェイズ、エリック・ウェアハイム、ケルヴィン・ユー、アレッサンドラ・マストロナルディ、ナオミ・アッキー

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