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長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『スパイダーマン:スパイダーバース』

2019-04-02 | 映画レビュー(す)

期待されたスター・ウォーズ番外編『ハン・ソロ』から更迭され、順風満帆のキャリアに翳りが見えたかのように思えたフィル・ロード&クリス・ミラーのコンビだったが、同じ年にしっかり名誉挽回してくれた。それもディズニー、ピクサーを下してのアカデミー長編アニメ賞獲得というこの上ないリベンジだ。

本作を見ると『スター・ウォーズ』という40年も続いた老舗シリーズは彼らの個性と全く噛み合わない事が良くわかる。『LEGOムービー』や『21ジャンプストリート』といった諸作からも明らかなように、既存コンテンツへの深い愛情から成る換骨奪胎こそが彼らの作風だ。これまで何度も映像化されてきた『スパイダーマン』を楽しみながらアレンジしているのが良くわかる。アメコミのコマ割りや吹き出しを再現するのは序の口、何とCGアニメにも関わらずコミックの”紙質”まで描き込み、まるで初めてアメコミを読んだ時の感動を再現したかのような興奮っぷりなのである。

さらに本作が素晴らしいのはそんなオタク的ディテールに終始していない事だ。悪漢キングピンの計略によって次元がぶつかり合い、様々な平行世界のスパイダーマンが登場する本作。ヒロインのグウェン・ステイシーがスパイダーウーマンになっていたり、グラフィックノベル調のハードボイルドな白黒スパイダーマンも出てくる(声はニコラス・ケイジだ!)。日本からは萌絵タッチの女子高生がスパイダーロボを操縦し、ほとんど黒歴史的な日本実写版スパイダーマンまでもフォロー。ブタのスパイダーマン”スパイダーハム”に至っては手塚治虫のマスコットキャラ、ヒョウタンツギにそっくりではないか。そして登場する平行世界のピーター・パーカーはMJには去られ、人生に失敗した中年太りのオッサンだ。

絵のタッチも異なるスパイダーバースの中で主人公となるのがブルックリン在住の黒人少年マイルス。本作は子供達に「誰だってスーパーヒーローになれる」と謳い、スーパーヒーローになり損ねた僕たち中年には「出てきた腹なんか気にしないでもういっぺん跳んでみろよ」と背中を押すのである。そして世の中に壁があるのなら、落書きしちまえと奮い立たせてくれるのだ。『ブラックパンサー』と時同じくして登場したのも必然と思える、アメコミ映画のニュースタンダードである。

 

『スパイダーマン:スパイダバース』18・米

監督 ボブ・ペルシケッティ、ピーター・ラムジー、ロドニー・ロスマン

出演 シャメイク・ムーア、ジェイク・ジョンソン、ヘイリー・スタインフェルド、ニコラス・ケイジ、クリス・パイン、リーヴ・シュレイバー、マハーシャラ・アリ、ブライアン・タイリー・ヘンリー、リリー・トムリン、ゾーイ・クラヴィッツ、キャサリン・ハーン

 
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『スターリンの葬送狂騒曲』

2018-08-25 | 映画レビュー(す)

スターリンが死んだ!
彼の死をきっかけに側近たちが繰り広げる最高権力争奪戦を描いたブラックコメディ。ポリティカルコメディドラマ『VEEP』で知られるアーマンド・イアヌッチ監督は英語圏の映画がやりがちな“なんちゃってロシア訛り英語”を封印。後に権力を掌握するニキータ・フルシチョフを“ニッキー”呼ばわりし、Fワードも連発する始末で、このフランクな演出に乗っかったスティーヴ・ブシェミ、ジェフリー・タンバーら熟練俳優陣がノリノリで好演だ。まるで翻訳戯曲の舞台を見るような楽しさである。

だが、そういつまでも笑ってはいられない。この悪魔の椅子取りゲームはやがて血で血を洗う粛清へと発展していく。権力者に媚びへつらい、形勢が変わるや途端に掌を返す輩は今や東西問わずどこにでもいる。本作はまさに“絶対に笑ってはいけない椅子取りゲーム”、民主主義の成熟度を測るリトマス紙なのだ。ゲスな登場人物達のゲスすぎる行動の中、毅然と振る舞うオルガ・キュリレンコの凛とした美しさが印象に残った。

『スターリンの葬送狂騒曲』17・英
監督 アーマンド・イアヌッチ
出演 スティーブ・ブシェミ、サイモン・ラッセル・ビール、ジェフリー・タンバー、ジェイソン・アイザックス、アンドレア・ライズボロー、ルパート・フレンド、パディ・コンシダイン、オルガ・キュリレンコ
 
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『スプリット』

2018-04-21 | 映画レビュー(す)

M・ナイト・シャマラン完全復活を世に知らしめた大ヒット作。
『シックス・センス』のあの大どんでん返し以後、観客にサプライズを期待され、自らも半ばそれを課すようなキャリアを形成したためかやがて“過去の人”となってしまった異才だが、本作を見ると“交流”をテーマにした丁寧なストーリーテリングこそ本位としてきた人である事を思い出した。『シックス・センス』で僕たちが最も心動かされたのはブルース・ウィリスに訪れる癒しよりも、我が子と交わす言葉を失くしてしまったシングルマザーと、早熟ゆえに距離を置いてしまった息子の和解ではなかったろうか。

『スプリット』も予告編で期待したシチェーションスリラーではなく、監禁犯と被害者の交流、心理描写に重きが置かれており、孤独な魂を抱えた2人のある種のラブストーリー、『美女と野獣』の変奏にも見える(ヒロインは初めからあまり犯人を恐れていない)。それぞれの過去と現在を往復しながらやがて魂の共感が明らかになる作劇はなるほど、『シックス・センス』の名手の腕が光る。

24人格演技なんて朝飯前のジェームズ・マカヴォイよりも注目はヒロイン、アニヤ・テイラー=ジョイだ。
 なんて不思議な顔なんだろう!離れ気味の目の色と漆黒の髪色が表情に陰りを呼び、僕らはその奥の感情を読み取ろうと踏み込み、手探り、2時間魅入ってしまう。彼女を見ているだけで全く飽きない。彼女の目と髪色のマッチングに気付いたシャマランの功績は大きく、この“暗さ”はブレイク作『ウィッチ』にもなかった魅力だ(彼女、作品毎に髪色が全く違うため、地毛の色がわからない)。そしてラストシーンの表情は“Me too”の時代にシャマランがもう一度表舞台に戻るべくして戻った力強さに満ちており、感動的だ。

 長年のシャマラニスト(いや、シャマラーか?)はクライマックスに腰を抜かしただろう。決してくじけない(unbreakble)シャマラン、第2章の始まりだ。


『スプリット』17・米
監督 M・ナイト・シャマラン
出演 ジェームズ・マカヴォイ、アニヤ・テイラー=ジョイ
 
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『スリー・ビルボード』

2018-02-11 | 映画レビュー(す)

原題は“Three Billboards Outside Ebbing, Missouri”。またしてもミズーリだ。
 2017年、映画(ドラマ)ファンの前にこの名前が現れたのは2度目。初めはNetflixオリジナルドラマ『オザークへようこそ』だった。低所得の白人(所謂レッドネック)が多く住み、古くから共和党支持の保守的な地域。最近も白人警官による黒人少年の射殺事件が起こった。当然、トランプの支持基盤の1つである。今のアメリカを象徴するような地域だ。

舞台はそんなミズーリ州の架空の町エビング。娘を惨殺された母ミルドレッドは郊外にある3つの立て看板に警察への意見広告を出す。署長を名指し、遅々として進まぬ捜査を批判する内容だ。
だが、怒りや権利を声高に主張する者がいると叩いて火をつけるのが世間の常である。ミルドレッドの息子(ルーカス・ヘッジズ)は学校で後ろ指をさされ、元夫(ジョン・ホークス)は出過ぎたマネをするなと殴り込んで来る。署長(ウディ・ハレルソン)は理性的に対応するが、彼を慕う暴力警官(サム・ロックウェル)はありとあらゆる手段でミルドレッドの告発を邪魔していく。

『スリー・ビルボード』は劇作家でもある監督マーティン・マクドナーの脚本が最大の魅力だ。先に挙げた登場人物の行動はほんの一面に過ぎない。主要キャラクターのみならず、登場人物全員が万華鏡のように表情を変え、人間の不可解さを見せていく。行く手を遮る者を蹴り飛ばし、やられたらやり返すフランシス・マクドーマンドの毅然とした皺と真一文字の口。集大成的なバイプレーヤーぶりを発揮するサム・ロックウェルの巧さ。作品の良心とも言えるウディ・ハレルソンが到達した優しさ。差別や偏見を知性で切り返すケイレブ・ランドリー・ジョーンズの柔和さも印象に残った。全員が儲け役だ。

エビングはトランプ時代の世界の縮図だ。振り上げた拳が収められない。思いがけぬ人の「怒りは怒りを来す」という言葉にハッとさせられる。
 ミズーリ地方の大半の人々は生まれ育った土地を生涯離れないという。アイダホを目指す車にミルドレッドが積んだ物を目にすれば、彼女の心中は明らかだ。一度、外の世界に目を向ければ、僕たちは憎しみと怒りの道行きから引き返す事ができるかも知れない。まさしく“現在=いま”の映画。アカデミー作品賞、おそらく獲るだろう。


『スリー・ビルボード』17・米
監督 マーティン・マクドナー
出演 フランシス・マクドーマンド、ウディ・ハレルソン、サム・ロックウェル、アビー・コーニッシュ、ルーカス・ヘッジズ、ジョン・ホークス、ピーター・ディンクレイジ、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ
 
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『ストロング・アイランド』

2018-02-02 | 映画レビュー(す)

第90回アカデミー長編ドキュメンタリー賞ノミネート作。
ヤンス・フォード監督は19年前に殺害された兄の事件を再検証する。被害者遺族が自ら握ったカメラは母、親友達の深い哀しみを撮らえようと肉薄する。まるで告解のような心情の吐露。その迫力に圧倒される。

浮かび上がるのは現在のアメリカが直面する分断の姿だ。フォードは黒人、加害者は白人。兄は丸腰のまま銃殺された。犯人は正当防衛が認められ、訴追を免れている。

本作の異質とも言うべき特徴は作り手の意図していない部分にある。
 ヤンスは加害者側へ一切、取材を行わない。拾い集められた証言の数々には確かに正当防衛を思わせるような節があり、中立性のない本作は加害者側の不在によってただただ隔てられてしまった両者の溝を克明にし、現在のアメリカの断絶を露にしているのだ。カメラが“映さない”事によって作品が作者の意図を超え、より多くを“見せる”のもこのジャンルの醍醐味である。


『ストロング・アイランド』17・米
監督 ヤンス・フォード
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