リッスン・トゥ・ハー

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ストックホルムで舞って猿

2007-04-26 | 掌編~短編
 すぐに教室は制圧された。あたしは、前から二番目廊下寄りに座っていて、めんどくせーことになったな、と比較的のん気に古典教師に長いナイフを突きつけている奴を見ていた。そういう危機的状況であるのに、恐怖って何?というぐらい恐怖は感じなかったし、それはクラス中のみんながそんな風だった。ただ、ナイフを突きつけられている古典教師だけが、何やら弱々しくつぶやいているだけだ。
 というのは、ナイフを突きつけている奴はパンティストッキングを被っていて、その顔が歪んでいて、冷静に見れば見るほど可笑しかったのだ。ナイフを突きつけ、脅せば脅すほど、その可笑しさは増していった。そういう奴は、全部で10人いた。そして、いずれもパンティストッキングを被っており、それぞれ個性的な表情を作り出していた。
 奴らは教室に入ってきたのは、3時間目一番人気のない古典の授業中で、古典教師が教科書を読んでいた時だった。まず、全く音を立てずに5人ほどが後ろの扉から教室に入り、それでも妙な顔の集団が突然入ってきたことに気づいたクラスが、じきに騒がしくなり、なんだどうした、と古典教師が顔をあげた瞬間、前の扉からさらに5人が入り、そのままナイフを教師に突きつけた。なんだきみたちは、と古典教師は叫んだけど、みんなわりと冷静にその様子を見ていた。やがて10人はそれぞれ、あらかじめ配置されていたように散らばり、あたしたちを囲んだ。誰も手にナイフを持っていた。
 リーダーらしき奴が教室の中央でしゃべりだす。

「いいですか、あなたたち、この教室はのっとりました、妙な行動はやめましょう、その方があなたたちのためです。我々は、我々の目的を達成できればそれで、おとなしく帰るつもりです。いいですか、決して妙なまねはしないこと。誓ってください」

 どうやら女らしかった。とそこで始めて気付いた。奴らは皆身体の線が分かりづらい服を着ていた。がしかし、おそらくみんな女なのだろう。女の声は被ったストッキングのためにひどく篭っていたが、教室中は静まり返っていたし、女の気持ちが、ちゃんとこもっていたから、そこに誠意すら感じたから、ちゃんとあたしたちに届いてきた。それでも、めんどくさい事になったという事実に変わりはなく、例えばやんちゃ者で派手なユウなど、おとなしく黙っているとは思えなかった。

「我々の目的はただひとつです。この教室を我々のものにする、そして、我々はこの教室から日々の活動を行う、ということです。」

 と言ったところで、誰かが何かを言おうとした。

「質問は後ほど受け付けますので、少々待っていてください。おとなしくしていれば危害を加えるつもりはありませんし、うまくいけば、この授業時間が終わるまでに解放することができるかもしれません。」

 要するに奴らは、あろうことかこの3-2の教室を自分たちのものにして、そして、そこで、生活し、野望を高めていきたい、ということだった。ほんと馬鹿げた話だ、馬鹿だ。ストッキング被ってる時点で馬鹿だということは分かるけど。
 馬鹿だということはすぐに分かったが、あたしたちは何もしなかった。奴らのナイフが怖かったのではなく、先生が人質のようなことになっているからでもなく(それに関してはむしろ、やっちゃってくださいとお願いしたいぐらいだし)、このパプニングを歓迎する節があって、授業しなくてもいいし、なんか、面白そうだし、ちょっとみてよ、みたいな事、思ってたんだと思う。少なくともあたしはそうだった。
 奴らは、自分たちの主張を言い終えると、ようやく、具体的な行動にでた。具体的といっても、あたしらに何かするということではなく、責任者を呼べ、といい、かなり遅れてやってきた(きっとストッキングを被った集団が教室を制圧したということを信じられなかったんだ悪い冗談はやめろと)教頭に対して、さっきと同じようなことを言ったのだ。
 教頭はあきらかに馬鹿にしていた。だって、ストッキングを被っている奴らがいくら迫力のあることを威圧的に言ったって、効果が薄いし、教室を私達のものにするって、で、具体的にどうすればいいのでしょう、みたいな事をごねごねいった後私だけで判断はできませんので、と引っ込んでいた。いつもの教頭で、全くあせったりせせず、あくまでもお遊びに付き合ってやるという態度は非常にむかついた。
 それからすぐやってきた校長も大体同じようなものだった。確実にこの教頭のその後がこの校長なんだろうな、と思えた。そう考えると、かなりうんざりした。
 それでも、校長は学校の最高責任者らしく、一応、悩んでいますよ、という態度で奴らを諭し始めた。

「いいですか、君たち、君たちは見たところまだ若い、間違いを犯す前に、こんなことはやめなさい、こんなことをやったところで、何もいいことはありませんよ、さあ、相談になら、乗ってあげようじゃないか、なんでも相談したらいいんだ、君たちはうちの生徒なのかい?違う?そんなことはどうでもいいね」

 どうでもいいよ糞が、とあたしたちは、少なくともあたしは叫びたかった。女に対してこっちは何も入ってこない、なんでだろう、こんなにも違うのは、面白くない。
 それでも校長はその調子で、きっと、自分の言葉によっているんだろう、どんどん感情をこめて、自分は全てを受け入れる全知全能の神なのだから、とでも言いそうな勢いで、パンスト軍団を説得しようとしている。
 無駄だよ、爺よ、そんな薄っぺらな言葉で、彼女らは、あたしらは、何も変わらない。見苦しいだけだよ校長室に引っ込んでろよぼけ。校長室の窓越しに暇を見つけては陸上部の短パン突き出た太ももなめるように見てるエロ爺が。

 パンスト軍団もやはりそう感じているらしい。先ほどからみんな、いらいらした様子で、刃物をいじっている。と突然、さらにしゃべり続けようとする校長の前に、たまりかねたリーダーがつかつかと歩み寄り、ナイフを目の前に突きつけた。

「あなたの話は、何も見えてこない。よって、全く受け入れるつもりはありませんし、私達の要求にどう答えるのか、それだけを答えてください。さもなくば、殺します」
 初めて具体的に危害を加えると、リーダーは言った。それで、校長は、ひっ、と情けない悲鳴を上げ、やはり同じ調子で「落ち着きなさい」とだけ言って、黙り込んだ。
 後ろに教頭がいて、ナイフを突きつけられた校長を心配そうに、でも、どこか楽しそうに見ていた。日頃の威張り散らしている奴が、やり込められて、どこか楽しそうだ。みんな歪んでいる気がした。

 世の中全部ちくしょ!

 歪んだ時間がぐんにゃりと流れた。

 あたしたちは、女の言葉を受け止めた。だんだんと女のことが大の親友のように思えてくる。信じよう。全てを信じよう。あなたの全てを受け入れて、あたしたちは生まれ変わるんだ。できる。不思議な感覚だった。もうどうでもいいや、そういうことが、あたしたちは日常に飽きていたんだ。なんとなく過ごしている日常に。誰かは、彼氏といちゃついているけれど、本当はそんなもの何も楽しくない。刺激を求めていたんだ。ああもう。
 ため息をついている暇はない。穿いていたパンティストッキングを脱いで、みんな一斉に被った。穿いてない子は持ってる子が分け与えた。あたしたちは、学校を乗っ取ることにしたんだ。踊るように踊るように教室を飛び出す、目指すは、職員室か、校長室か、そんなもんじゃない。もっとなんというかもっと、大きな、全てを手に入れるんだ。あたしたちなら、パンストでゆがんだ顔のあたしたちなら何でもできる気がした。できる。ユウの獣のような叫び声が渡り廊下を突き刺して、