正月も、この時期になると、日が延びたことを実感する。
年の暮れの頃だと、焼ける間もなく没していた陽が、少しずつ
西空に残るようになってくる。
この空で、16時過ぎ。
日が延びたと言っても、厳しい寒さシバレはこれから。
OH海に、流氷が近づいていると、今朝の新聞にもあった。
(特派員撮影)
正月も、この時期になると、日が延びたことを実感する。
年の暮れの頃だと、焼ける間もなく没していた陽が、少しずつ
西空に残るようになってくる。
この空で、16時過ぎ。
日が延びたと言っても、厳しい寒さシバレはこれから。
OH海に、流氷が近づいていると、今朝の新聞にもあった。
(特派員撮影)
低い気温の日が続き、積もった雪は木陰などに残っている。
めっきり日が短くなってきた、南中高度のお日様の位置。
大楡の中に入ってしまうのが解る。
冬至まで1ヶ月半、どのくらいまで低くなるのか。
早朝は少しシバレて、木々や草には霜が付いた。
除草したものを積んだ山からは、湯気がたってきた。
少しは発酵温度があるのだろうか?
雲の姿が良く変わる日だ。
このまま夕暮れまで留まれば、キレイに焼けるのに。
右端、軒下には、先だっての屋根から落ちた雪が小山を作る。
やっぱり、形と様子の良かった雲は去り、刷毛で掃いたようなのが
少しだけ焼けてくれた。
この時分で、まだ16時過ぎの頃。
低いお日様は、沈むのも早い。
気温も17度まで上がって、小春の一日。
午後に回ってお日様と雲がいい位置関係になり、長く“彩雲”が
見られた。
タイトルでは、丁度お日様が向かいのプンゲンストウヒに隠れ、
直射を避けて五色に輝く雲をとらえることができた。
彩られる雲の範囲は広くはないが、鮮やかに際だって見えるので印象的。
日は西に没しながら、雲を照らし続ける。
その雲の一部には、まだ彩りを残す。
日が没し、しばらくして、西空の雲が黄金に焼けた。
そして、だんだんと茜色に暮れていった。
お盆を迎えて、夕空が良くなってきた。
青空に雲が残ると、かなりの確率で夕焼け空、若しくは茜雲になる。
お日様の位置や角度と、雲との関係がそういった演出をしているのだろう。
同じ空のHDR画像。
やはり、ドラマチックだ。
だけど、不自然だな。
三連休初日、芝を刈り、先日上野ファームから仕入れてきた花の苗を
植え込んだ。
数日前のぎっくら腰が再発気味で、力仕事は断念。
夕刻、ちょっと西空が染まったので、デジカメのHDR機能を使ってみた。
倭国語で、“ハイダイナミックレンジ”を何と訳すか解らないが、ハイで、
ダイナミックな感じはするわな。
デルフィとジキタリスと白花ヤナギ蘭とエレムルスと、そんなところ。
強い雨風がなければ、もうしばらくこの状態を見られるのだが…。
夏の赤屋根小屋とサイロ。
HDR画像にすると、ちょいといい感じ。
芝を刈り終えてから、ぎっくりが来て良かった?
サテ…
雨天曇天ばかりで、まともな空を見上げられなかった6月。
空の青さがこんなにも目に鮮やかなのは、そんな月の裏返し。
木々の緑も、いつの間にか若葉から青葉へ。
“青葉繁れる”は、多分この月のこと。
サイロの木蔦も、ちょっと見えるだけだが“繁れる”を地でいく繁殖ぶり。
赤屋根は、それだけで景色を作る。
場面変わって、以前行った瑞典の田舎町、Sコミューン。
青空と川の流れ、緑の中の赤屋根。
できそうで、なかなか真似できないのがこんな景色。
糸ススキも伸びてきた。
回りに植えたアネモネは、終わりかけ。
ここには、ここの小さな景色。
今朝の、エゾリス・チビトト。
日差しが強いので、シッポも毛のない耳も透けて見える。
カラスに追いかけられて、右往左往しているのを見かけるけど、大丈夫?
曇り空のまま夕暮れ時を迎えたが、西に少し晴れ間ができて淡い色に
染まった。
今日は、「時の記念日」だと言うが、マジックアワーの一時を演出して
くれたようだ。
ポロヌプリ山も、静かに暮れてゆく。
こちらも、淡い西日を浴びて、わずかに染まった赤屋根小屋。
近頃のデジカメは性能が良いので、ずいぶん暗いと思ってもこのくらいの画像が
撮れてしまう。
ありがたいような、嘘っぱちのような…。
今は、時折となったエゾリス・チビトトの朝の来訪。
すっかり耳毛が抜けて、ちょっと情けない。
少し、警戒心が出てきたのか、ガラス戸を引こうとしたら、逃げていってしまった。
そのくらいで、丁度良い。
久しぶりの晴れやかな朝、これぞ五月晴れ。
といっても、雲は流れる。
この雲が、また良い風情なんだな。
それで、今朝の空を大写し。
気持ちの良い空、もう一丁。
新緑をバックに、青空と雲の塩梅が絶妙のバランス。
バックガーデンのチューリップも、さすがにつぼみの先が色づいてきた。
ガマンを重ねて、ようやくここまで来た感じ。
同じバックガーデンでは、こちらの勢力が著しい。
一昨年から去年にかけて種をばらまいた、ジキタリスの株の数々。
今年は、時満ちて多くの株から開花するものと思われる。
花を楽しみつつ、種を散らす前に始末しなくては。
カツラの木の根元で増えた、クロコスミアの新芽。
いつも、去年の枯葉の間から、針のような新芽を出す。
これも、勢力拡大の一途。
同じ新芽でも、こちらオニグルミは葉を広げていない。
この辺りの、木々でも新芽状態が長い第2グループに属する。
ちなみに、芽が開くのが遅いグループとしては、他にヤチダモ、イヌエンジュなどが
ある。
北の国では、この季節でも、これから遅い霜が降りる可能性があるので、寒さに
弱い木々は、新芽を広げるタイミングを遅らせる。
今年の薪は、まだそのまま。
向こうに見える、三年物を始末してから、あの場所に積むつもり。
一時は雨に当たっても、一定以上は水分を溜めずに乾燥が進む。
だから、まだひと月以上はこのままで大丈夫。
とは言っても、野良仕事は切れ目なくある一方、土日の休みも
ままならないのでは、いつになったら始末が付くか心許ない。
ハクション大魔王が出てきて、望みを叶えてくれたらと思う日々。
何処も同じではない、秋の夕暮れ時。
ただ、秋はよく焼けてくれる。
季節進んでヒマワリも頭を垂れる。
朝夕の露に濡れない知恵か。
霜が降り始めたので、冷え込む夕方にはセロリ畑にブルーシートを。
これで、少しは長く食べられる。
イタヤカエデは、緑の葉から黄葉し、やがて上から紅葉化して散り始めた。
逆光に佇むキャベツ。
ずいぶんアオムシやナメクジにやられたので、下葉を取り去ると
何とか食べられそうな雰囲気になってきた。
こちらも、霜との戦い。
気づいたら、秋の彼岸に入っていた。
日の入り直後の画像から始めたが、一日、何もしなかった訳ではない。
この間塗装した小屋の壁際に、焚き付け用のカラマツやシラカバの乾燥した枝を
運び込んだ。
カラマツ林の中で数年間乾燥させていたものだが、冬にそのカラマツを伐採する
ことにしたので、ここに移動した。
焚き付けの移動自体大した手間ではなかったが、三段重ねでトタン板の雨除けを
付けたので、やや時間を費やした。
気温は、最高で20度程度、蚊も少なくなってきたので作業自体はやり易い。
今シーズン18回目の芝刈りを終えての作業だったので、雑草芝とはいえ目が揃って
気持ちが良い。
習慣は恐ろしいもので、休みは芝刈りから始めないと、何となく収まりがつかない。
これから霜が降り始めると、芝や雑草の成長も止まるので、芝刈りの残りもあと数度。
ちょっと油断していたら、野菜類は見事にやられてしまった。
特に、アブラナ科はこのとおり。
筋目だけを残した白菜は、見事という外はない。
虫食い画像で締めるのは後味が悪いので、野菜の花を並べる。
左は、韓国野菜のサンチェ。
レモンイエローの、野草のニガナのような花を付ける。
右は、食べ損なったニラの花。
これだけ揃うと画にもなる。
虫食い野菜と、野菜の花を見ながら、ニンニク用の畑に灰を撒き堆肥を入れた。
畝を作ってリン酸系肥料を入れ鱗片を植え込むのは、まだ後の作業。
日が落ちてしばらくすると、西の空が良い具合に焼けてきた。
明日も野良仕事が待っている。
「夕焼けの翌日は、晴れ!」を期待しよう。
盆を過ぎ、夕暮れの西空が日没の一時さまざまに焼ける季節になって
きた。
西空は自宅からも見えるが、一本カラマツなどで遮られるので、近くの
橋までデジカメ持って走る(歩く)ことになる。
何となく気恥ずかしいので、カメラを後ろ手にしてしまうところが、自分と
してもいじらしい?
デジカメの機能の中から、ドラマチックトーンというエフェクトを掛けた夕暮れ画像。
確かに、ドラマチッ~ク!だけれど、おどろおどろしい。
ちょっと暗かったが、フロントガーデンに咲いた「ルドベキア・タカオ」。
小振りの花がたくさん咲くルドベキアだ。
北の国広尾の「大森ガーデン」という苗屋さんで数年前に購入した苗が大きく育った。
これから、風雨に強いかのチェックを無事通過したら、この庭の常連さんに仲間入り
となるかも知れない。
庭の常連になるには、なかなか厳しいテストがあるのだ。
ずっと前から、夕焼けは夏から秋にかけて、のイメージがある。
句作でも、夏の季語だったと記憶する。
いつまでも明るさが残っていた初夏の頃の夕刻から、だんだん日脚が短く
なってきた。
雲が高くなって、西の空がほんのりと焼け残る。
日付が変われば、立秋。
そういえば、ノラニンジンもあちこちに目立つようになってきたな。
だんだんと、日が短くなってきている。
「秋の日はつるべ落とし」とは、よく言ったものだ。
この時期の夕暮れごろは、ほとんど余韻なく一気に暮れる。
もうすぐ、秋も本格化する。
この朝が最大開花で、5つの花。
でも、その名のとおり、朝咲く顔も夕べにはしぼむ。
日中の一時のみ、見ることができる。
はかない一日花だが、この花色は捨てがたい。
来年の準備のためにも、種を取らなければならないのだが…。
秋に入って夕暮れが訪れると、思い出す句。
寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば
いづこも同じ 秋の夕暮れ
思い出すのは下の句だけで、句全体はネットでググって判明した。
けして、寂しさに家を出て眺めたわけではない。
今宵も、夕焼け雲が演出して見せてくれた。
秀峰ポロヌプリ山の上にも、焼けた雲が棚引いた。
あの山の頂から見る夕焼けは、丁度、利尻のお山の方向だろうか。
今日一日風が強く、夕暮れの今この時にも木々の梢を揺らしている。
いつもの橋のたもとに走ってみたが、既に暁は山の端に残るのみ。
日の短さを、実感するこの頃。
暦をめくれば、八月も一日を残すのみ。
アサガオが咲いた。
何とか、8月中に間に合った。
前日、左のように蕾が伸びてきていたので、或いは…と思っていた。
ただ、朝から風が強く、まともな画像を撮れなかった。
本日は、開花日のみ記録に残す。
味わい深い青色は、しっかり引き継がれているようだ。