だーばぁの流儀

児童文学作家・岡田なおこブログです。
全身マヒ+オストメイト・作家・アラ還ならではの日々を気ままにつづっています。

“ナスの煮物”で泣きそうになった話

2012年09月30日 | 四方山話
体がついていかないよー(@_@;)

暑かったり肌寒かったり・・・今は台風でムシムシしてます。
「寒暖の差が激しい」なんてもんじゃーありません。
夕べは「お月見日和」で友人夫婦から、
「飲もうよ」と誘われまして、迷いに迷ってお断りしましたが、今朝は二日酔いの日以上に体がだるく、
「こんなことなら飲みに行けばよかった」と思っちゃいました(笑)

母はちょうどいいタイミングで入院したかも知れません。
こんなようきのときにシャバにいたら、元気な人でもノビます。

今日の私・・・ヘルパーさんとしゃべっている最中に眠りに落ち爆睡(-_-)zzz

こんなこと滅多にないので、ヘルパーさんも心配しつつも寝かせておいてくれました。
今日は台風が来るというので、ヘルパーさんが来た時点で夕食までの段取りを決めておいたので、私がベッドでぶっ倒れている間に予定してあったこと〈家事など〉はヘルパーさんの裁量で片付けておいてくれました。

目が覚めてから笑い話。
感謝、感謝です。


もう一つの疲労の原因

天候不順・母の入院・幻のタナコ、ひっそりと創作開始〈?〉・・・この10日間はか・な・り疲れたんです。
そして、その「出来事」の中に埋もれてはいますが、もう一つストレスの原因がありました。
それは「あるヘルパー」のことです。

私は毎日長時間ヘルパーを頼んでいるので「ヘルパーねた」で書き出したらキリがありませんが、最近大きなトラブルもなく、おかげさんで平温に暮しています。

ただ週の中の1日だけ変則的な日があり、その曜日は前半と後半二人の方に来ていただいています。

私は日中は外出も多いので「介護保険=高齢者介護」しか経験のないヘルパーさんは戸惑いますが、その曜日の後半は外に出ることはほとんどなく、夕食作りと食事介助と入浴で、「高齢者介護」と変わらぬメニューなのです。

だから誰でもできるはず!
夕方は人手不足なので贅沢は言うまいと4ヶ月がまんしたけれど、
やっぱり、
どうしても、
別のヘルパーに変えてもらったという、ちょっと切ない事があったのです。


例えばナスの煮物


そのヘルパーの何が悪い、どこがマズかったか・・・特にありませんが、一つ例をあげると「ナスの煮物」です。
毎日の献立は私自身が考え「これとこれを作って下さい」とお願いしていますが、たまたま残り物があったとか、差し入れがあったとか、前半のヘルパーさんが時間が余ったから一品作っておいてくれたとか・・・
「そのヘルパーさん」に料理を頼まなかったことが続きました。
そしたら、
なんだか、
ご気分を害していたので(笑)、私はわざわざ「ナスの煮物」の材料を用意して、
「ナスとオクラとお揚げさんを煮てくださーい」とお願いしました。

ーーどうして「利用者」がここまで気を遣わなきゃならないの? ですよ。

「マツコとフミエのやっつけ晩御飯」のスタッフ並みにセッティングしたわけですよ〈爆〉

特にナスの煮物が好きというわけではないですが、真夏の夕げ「ナスの紫・オクラの緑・キツネ色のお揚げさん」をシュミレーションして、おなべのふたを開けました。

   ガ~ン!

中には、白い、少し緑もあるけど、肌色もあるけど・・・全体的に白い汁が入っているではありませんかぁ。

   あい?

そのヘルパーはナスの皮をきれいにむいて、ナスもオクラもお揚げさんも細かく刻んで白だしでスープにしてしまったのでした。

「あの、これ、スープ、じゃない?」
「私、『煮・も・の』をお願いしたよね」
「こういうの『スープ』って言わないかしら」

私はオクラとナスのスープでもいいんですが・・・
なべの中を見た瞬間、泣きたくなりました(T_T)
体が動かないゆえに煮物とスープの区別のつかない人のお世話にならなきゃいけない我が身が不憫になったのでした〈涙〉

その日、私は「ちゃぶ台返し」をしたい衝動にかられました〈爆〉


翌日からナスづけの日々

その後2~3日、私は毎日のように「ナスの煮物」を作ってもらい食べました(笑)
そうしたら、ナスが嫌いになりました〈汗〉

そのヘルパーに悪気がないのはわかるのですが、「ナスの煮物」に類することが毎回起こり、「限界」を感じていたら新人さんが入り、前途に光が見えてきました。

秋茄子もおいしいから、もうしばらくしたら私の「ナス嫌い」は治るでしょう〈爆〉



そのヘルパーさんが一生懸命やっているのはわかるので、断るのはつらく、それがストレスとなりました。

「まー相性が悪かったということで・・・」
会社が適当な理由で断ってくれると思いますが、私には決定的にかなしいことがあったのです。
あまりにもトンチンカンなことが続いた日、
「あなた、他所でもこんなことやってて勤まるの?」ときつく聞いたら、
「まぁ、おばあさんたちだから、モニュモニュ」。
つまり惚けの入ったお年寄り相手だから適当にごまかしているようでした。
「サービスを提供している」という意識はなく、
「人の役に立ちたい」という気持ちも薄く、
与えられた時間を埋めて、報酬をもらうことが彼女にとっての「仕事」のようでした。

本人に「ごまかしている悪意」がないのがコワイと思いました。
こういう人でに頼らざるを得ない「福祉・介護の現場」。
日本は貧しい国です。

ナスの煮物を食べるたび、私はあのヘルパーを思い出すでしょう。








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“ちっちゃいばぁば”への手紙

2012年09月29日 | 日記
アメリカ在住の甥っ子・芋助から手紙が届きました。


「ちっちゃいばぁば」というのは母のことです。
「小さい」とは体のサイズではなく、芋助が物心つく頃は私の祖母も存命だったため、母=ちっちゃい〈小さい〉・祖母=おっきい〈大きい〉と呼び分けをしていたのが今も続いているのです。

ちなみに芋助と同い年の福さまは「おっきいばーば〉が亡くなってすぐに、
「ばーちゃんでいいんじゃないの?!」と言って、呼び方を変えましたが、芋助はいまでも母のことを「ちっちゃいばぁば」と呼んでいます。

芋助はアメリカ生まれのアメリカ育ちで日本語の読み書きは大の苦手ですが、母が手術をする前日手紙を書いてくれました。

ちっちゃいばぁばへ
元気にしてますか。
びょういんはさみしくないですか。
ーー中略ーー
ちゃんとごはんたべて、元気になってください。
ぼくはかみ様におねがいしています。・・・LOVE 芋助


せっかく芋助が心を込めて書いてくれたのに、妹の家のFAXもPCも壊れていて、今朝やっと届きました〈職場のPCを使ったそうです〉
地球の裏側からの手紙ですから「すぐ届くわけがない」のですが、便利な世の中に慣れていると、母が手術してからの3日間、
「早く芋助からの手紙を読ませたい」
「どうしてこんなに待たせるのよ~」
「どっかでFAX借りればいいのに」と、イライラしていました。

今日の面会の手土産№1は「芋助からの手紙」でした。


母上はフメツです(笑)

私たちが母の所へ行くと、まず母は、
「ラジオが聴こえない〈なんとかしろ〉」と訴えました。
父がラジオを直しながら、芋助からの手紙を出すと、
「メガネを取って」と母は手で合図したので、父が母にメガネをかけてあげ、ラジオを直し終えると、母は
「よく見えないから、お父さん読んで」と手紙を父に渡しました。
頼まれた父が声を出し手紙を読み始めたら、母はラジオのイヤホンを耳に入れているではありませんか!
この時ばかりは父が気の毒になり、
「あのさー。読んでくれてるんだから、ラジオは後にしなさいよ」と私は母を叱ってしまいました(笑)

いくら病人といえども・・・
夫婦といえども・・・
「節度」ってもんがあるだろう(-"-)

「入院後、元気でよかった」と言ってはおりますが・・・本日の母の「母上ぶり」には、さすがの私もあきれましたぁぁぁ。

でも今日付き添ってくれたヘルパーさんも母の様子を見て一安心。
状態に応じて相談にのってくれるので、今後の生活が徐々に見えてくる感じです。


オヤジ様が心配

前回同様、母は自分のことより父のこと、特に食生活を心配していました。
それから、例の「幻のタナコ」のことや、その他にも父が抱えている問題を全部把握していました。
元気な頃は父の片腕として、一族郎党束ねていた「母上」としては、ベッドの中で歯がゆいだろうな~と思いました。

一方「一人でお母さんを守るぞ」と意気込んでいる父ですが、「幻のタナコ」のことを母に話したりして、相変わらずお母さんに頼っているんですね(*^_^*)

「オヤジ様のためにも、母上には長生きしてよ!」と心でつぶやき帰ってきました。

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幻のタナコ

2012年09月28日 | 日記
♪ 幻の命byセカイノオワリ

私のお気に入りに「幻の命」という曲があります。

幻の命


それとはまったく関係ありませんが(笑)、今週は「部屋を借りたい」という母娘に振り回されました。
私はその人たちのことを「幻のタナコ」と呼び、話のタネにします。

母の入院だー
手術だー
その他もろもろ「お取り込み中」の我が家を襲った悪夢。

今の私は心身共に憔悴していますが、この「ぶっちぎれ事件」をネタにしないと眠れない気分なで・・・書きます(怒)

ナイスな入居者?!

我が家はご先祖様が地主だったので、現在も少しお貸ししている所があります。
私の居住区の真上〈2F〉もその一つ。
2LDK、築30数年ですが日当たり満点。徒歩を含めても渋谷から15分!
柿もぎもできます(?)
管理人はオヤジ様でーす(笑)みたいな所です。

ここが過去に1年間位空いていたこともありましたが、いったん入居すると皆さん長く住んでくれます。
パッと見古いですが、中に入るとなかなか・・・ですよーん!

ただ、ここは諸般の事情で管理を「カタイトコロ」に委託してあり、入居時の審査がとっても面倒です。
例え大家の私が「この人、いい人です!」と主張しても入れません。

※私が「いい人です」というと信用されなかったりして(苦笑)


10年位前に入った方が私(障害者)をバカにしていたんで、ずっとケンカした時期があります。
「バカにされたと感じるのは被害妄想だ」と言う人もいましたが・・・
私の洗濯が干してある所に水まかれたんですよー〈怒〉

その方たちが住んでいた2年間は屈辱的でした〈泣〉
(先方も居心地悪かったと見えて、契約更新せずに引っ越されたから2年で終戦しましたが)

その後は不動産屋のおじさんが私を気遣ってくれて人柄のいい方を選んで、入居していただいています。

しかし・・・
男性が家の中を走ると震度3位ゆれるので(笑)、なるべく女性に入っていただきたいと思っていました。

4年近く住まわれていたご家族がこの夏に引っ越され、
「年内は空き家かな?」と思っていたら、意外と早く次の入居者が決まりました。
お母様と娘さんの二人暮らし。
お二人とも一流企業にお勤め。
今どき気珍しく律儀に「引越し前のごあいさつ」にも来てくださりました。

とりあえず「震度3」の心配はなく、家賃もちゃんと払ってくれそう・・・ラッキー!


あの「和やかさ」は夢だったのか(?_?)

今まで改まって「引越し前のごあいさつ」なんかしたことないのに、その母娘と私と父と不動産屋のおじさんとで、水曜日の夜おしゃべりしました。
我が家が〈老々+障〉ということは承知の上で、
「11月になったら柿取りしよう」とか、
「水道がつまったらtwitterでつぶやけ・笑」とか、
「オヤジ様がなんでもやってくれますwww」と打ち解けて冗談をいい、お金を支払う日時や引越しまでのスケジュールも確認しました。

そこでは書面は交わしませんでしたが「契約成立」。
「カギがほしい」とのことだったので、翌日父が不動産屋にカギを置きに行ったら、
「おじさん呆然としてた」。

ドタキャンされたのです!

父もビックリして先方に電話をしてみましたが「キャンセル」の意思はかわらなかったそうです。

理由は「二人とも11時過ぎの帰宅で夜お騒がせしては申し訳ないから」。

それは真意ではないでしょう。
手間の掛かる審査を受けても入居を希望され、わざわざあいさつにも来られて、まとまったお金を用意した後でドタキャンするのには、それ相当のわけがあるはず。

この一件を友人に話すとみんな異口同音に、
「真相が知りたいよね」と言います。

知りたいよー!
気味の悪い体験をしました~〈涙〉


この悪夢を忘れるためにも、早く新しい入居者が決まってほしいです。

二階のベランダから水をまかなければいいし(笑)
男性が夜中に家の中を走らなければ特に問題はないので〈爆〉
ぜひぜひ、どなたかお住まい下さい<(_ _)>

















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続・母の入院

2012年09月26日 | 日記
急に肌寒くなりました

母が入院したことをココに書いた日、アクセス数が急増しました。
もしかして・・・母上ったら人気者かも・・・と思いました。
皆さんにご心配をお掛けしたと思い、早く「続報」を書きたかったのですが、東京地方は真夏日の後で気温が下がり、「涼しい」を通り越して寒い時もあります。
前にも書きましたが、仕事で使う資料は届くし、9月末までに片付ける雑用もあるしで・・・もうぐったりです。。。


元気じゃん?!

母の様子を一言で書くと「元気です」。オシマイ(笑)

母は尿が出なくなって緊急で診てもらい、
「入院して、この際胃ろうを作る手術をする」ことになりました。
胃ろうにした後のことは未知数ですが、基本的には在宅介護方向で考えています。
ただ手術してみないことには、家に帰れるのかもわからないし、帰ってきた後の問題は山積みです。
まずは手術までの何日間の入院生活ができるのか・・・家族は心配していました。
最近母は口からの食事(流動食)がほんの僅かしか取れなくなり、けいれん発作も多くなりました。
発作を抑える薬を飲むと、ぐでぇぇぇとなってしまい、意識があるようなないような感じの時もあります。
口が開かなくなり、しゃべれなくなっているし、口述筆記の文字も「母さん体」になり解読がむずかしいのです。
指での「○×」の合図や、昭和天皇みたい(笑)に手をふるのがやっとでした。

そんな母上がー!
入院した翌日、父が心配して朝っぱらから病院に行くと、
「ナースステーションに座っていた」とのこと(?)
飲食物は制限され点滴だけで栄養を摂取しているのに、家にいる時よりシャンとしていたそうです。

私が見舞いに行った日。
私と父は「お母さんがナースと意思の疎通ができているか」、とても心配していました。
ところが、病室に行ってオッタマゲましたー。
母のテーブルに、母が書いたものが何枚も残っていました。
ちゃんと読める文字です。
漢字もまざっています。
「首がいたい」
「~が食べたい」
「眠い」

やればできるじゃん・・・が、母を見舞った私の第一声でした\(◎o◎)/

「やればできる」は筆記だけではありません。
しゃべっていました。
声が出るんです。
言葉はたどたどしいですが、しゃべるんです。

ーーこの点滴は魔法の薬かいな?

私は点滴液を眺めてしまいました。
特別な薬が入っているとは思えません。
体内の新陳代謝はよくなったでしょうが、それだけでこんなに元気になるとは・・・ビックリです!


お父さんが心配

父は母のことをこよなく愛し、死ぬほど心配しています。
しかし、我が家の人間および周囲の人たちは「お父さん」を心配しています。
何よりも世界で一番「お父さん」を心配しているのは・・・母なのです。

母の介護保険でヘルパーを頼んでいるので、母が入院するとヘルパーは来なくなります。
父が介護保険を申請すれば別ですが、父は母のことで頭が一杯だし時間の余裕はありません。
父が食事に行っている間、
「とりあえず私費で家事援助だけ頼むようにいいなさい」と母。
「私も同じことを言ったけど、まだ頼んでいないよ」と私。
「母さんが『すぐ頼めと言っている』と言いなさい!」と母。
私と母のやり取り。

ーーこんな状態になっても、あんたは家ン中を仕切るのかい?!

母の入院中、父の生活をどうるかという作戦会議は、けっこう疲れました。


お父さんの夢を見た

母の夢の話・・・
同室の肩が寝言を言う、その声がお父さんに似ていた(笑)
ここ(病室)を自分の部屋と間違えて、お父さんを呼ぼうとしてナースコールを押しちゃった。エヘッ。
夜中にお父さんがここに忍び込んできたかと思っちゃった(大爆笑)

「父が病室に忍び込む」というのは現実味があるので、ポイント高し!


強欲ババーwww

入院が突然だったので初日はパジャマとタオル類をレンタルしました。
「そのレンタル料が各400円云々」と話していたら、母がおもむろにパジャマのボタンをはずし始めたのです(汗)
「今ぬいでも400円は払うんだから、大人しく着ててよ・怒」

ーー恐るべし主婦根性(-"-)

母を見ていると「難病を患っている」というのが仮病のように思えてきます。


泣き真似とガッツポーズ

23日の昼食は母的にはよく食べたのですが微熱が続いていたので、
「手術前に誤嚥性肺炎になると困る」とのことで、飲食に関してはすべてドクターストップが掛かりました。
この件は母としては不本意だったらしく、
「もう一度測って」と言い、体温計を脇の下へ。
ピピピッとなったので「下がっている」と期待した母上。
結果は・・・前よりも上がっていて、「微熱」ではなく「発熱」の域に。
墓穴を掘った母上、ナースの前で泣き真似していました(笑)

本日26日は担当のヘルパーさんやサ責さんが見舞いに来てくれました。
明日は胃ろうを作る手術なので。
私同様見舞いに来てくれる人は皆、
「元気でビックリ。安心した」と言ってくれます。
すると、母上ガッツポーズo(^^)o

母は学生時代「演劇部」だったからでしょうか・・・
ここまで外面がいいと、張り倒したくなります(笑)

手術が成功して、今の笑顔のまま帰ってきてくれるのを祈るばかりです。











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母の入院

2012年09月22日 | 日記
お母さんは恐妻GO母!

前々からの読者の方はご存知と思いますが、数年前から母は脳神経系の難病を患っています。
原因不明で進行性なので、これと言った治療法もなく、悪くなるのを見ているしかないのです。
でも母は前向きで朗らかで強気な人なので、それなりに闘病していますが、ネックは父(オヤジ様)です。

父は最愛の「お母さん」と70才から本格的な隠居生活を楽しむ予定だったのに・・・
老後は妻に看てもらうつもりだったのに・・・

ーー 大どんでん返し~(号泣)

母の病気の進行とともにヘルパーさんも増やしてきましたが、父は「大変な部分」は人に任せられない性分で(苦笑)、母の介護のほとんどを自分で背負ってきました。

昨年あたりまでは、母は、
「ショートスティーを体験してみたい」と言っていましたが、
父が、
「母さんの介護はむずかしくて他人にはできない」と決め付け、周囲からも「ショートの利用」を勧められても、聞く耳を持ちませんでした。

母が「ショートを利用したい」のは「父さんを休ませてあげよう」という思いやりではなく、
「他人介護から、もっといい方法が学べる」という探究心からです。
{父の知らない世界=ショートスティー」を経験することで、「恐妻家としての地位」を保持したかったのかも知れません(笑)

母は今では口が開かず声も出ませんが、今年の初めは何とか話ができました。
母の口から珍しく、
「もうダメだー」と弱気な言葉が出たので、私が驚いて、
「何がだめなのよ?」と尋ねると、
「お父さんは、もうダメだから・・・」。

父も80になりますから、体力も衰えますわぁ。
気持ちだって落ち込みますよ。
病気になったのは誰のせいでもないけれど・・・献身的に介護してくれる夫に対し、
「お父さんは、もうダメだ」と言っちゃう母の強気な姿勢に、私は愕然としました(爆)

ここのところ母は完全にしゃべれなくなり、口実筆記の文字も「母さん体」となり、コミュニケーションが困難になってきましたが、つい先日、
「お父さんは自分の考えをかえないから困る」と、母は私にグチリました。

父は母を1年近く病院に連れて行っていないのです。
診察してもらっても特に新しい治療法はないし、母を抱きかかえ車に乗せるのは父にとって重労働。
ヘルパーに手伝ったもらったり、福祉タクシーを頼むのは煩わしい。
それで在宅で現状維持。
母の嚥下障害がひどかったり、けいれんで食事が摂れないと、そく、
「胃ろうだー」となるのです。

便秘などで母のトイレかよいが多い時も、
「疲れた。このままでは共倒れだ。胃ろうだ」です(涙)

遅かれ早かれ、母は胃ろうになるでしょう。
私や周囲の人たちは「胃ろう」を全面的に反対しているわけではなく、
「ちゃんと医者に診せないで。介護に疲れたと言って。母さんのおなかを切るのは違うでしょ」と言っているんですよ~。

通院の付き添いも頼めるし、夜勤のヘルパーさんや家政婦さんを頼める環境にいるのに父が「煩わしい」といってそれを拒み、「おなかを切るリスク」を母に負わせるのは、おかしいぞっと!

「お父さんは自分の考えをかえないから困る」としか母は書けませんでしたが、結婚以来50ン年、主導権を握ってきた母としては、父にダメだしが山ほどあるのだろうと、私は思いました。


オシッコが出ない

先週から母の便秘がひどくなり、それに伴い父の疲労もピークになりました。
それで親戚や知り合いにも応援を頼み、母の介護体制を変えて頃、今度はオシッコが出なくなりました。
尿意はあるのに出ないのです。
腹筋も弱くなっているし、脳からの指令が出なくなった可能性もあります。
とりあえず近所の医師から尿が出る薬もらい飲ませましたが、即効性はありません。
それが金曜日でした。
薬が効かなかった場合、3日間医者に診てもらえないわけです。
そこで思い切って、大きい病院に連絡し、管を入れてもらうことにしました。

ここまでも、細かく書くと笑えるのですが・・・省略・・・

父は管を入れてもらってすぐ帰れると思っていたようですが、ミルクのみ人形じゃないのだから、穴にストロー差し込んで終わるわけないじゃん(笑・泣)

オシッコに関してはその日のうちに解決しましたが、せっかく連れて行ったから、入院して「胃ろう」に向けての準備をすることになりました。

「胃ろう手術」が前提の入院ではなかったので、私や周りの人たちは、
「よかったー」と言っています。

「この際、全部検査してもらってね」。
「お父さんがお母さんから自立するいい機会だわ」。
「お父さん、たっぷり飲んで寝て下さい。フロに入るのを忘れないこと」。
「ドサクサにまぎれて、ノートパソコンなんか買わないこと・怒」。

私はまだ母の見舞いに行っていませんが、母は「ショートスティー気分=体験学習?」でいるように思います。

胃ろうにした後の生活については未知数ですが、たぶん母はまた恐妻ぶりを発揮し、最期まで父の手綱を引いていくことでしょう(^^)v








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