心の中も「猛暑日」でした
またカレンダーをめくる時がきてしまいました。
暑くてへたばっている内に、どんどん時間が過ぎて、やんなっちゃいますわ~゜・_・゜~
7月は「心乱れること」もあり、なおさら“暑かった”のです。
その件を書いたらスッキリするでしょうが、、
思い出すと、
腹立って、
頭がカッかッしてくるから、やめておきますが・・・、
長年リスペクトしてきた方から「なおこさんのほがらかな温かさにつけこむ気持ちが起こりました云々」、こんな書き出しで、
「お金を貸して下さい」「今すぐ〇〇に振り込んで下さい」「昨日から食べていません」「助けて下さい」と、そんなメールやFAXが来たんです。
その方には本当に支えていただいたし、頼って甘えた時期もあるから、ワタクシメでできることなら力になりたかったけれど、
「ほがらかな温かさにつけこむ」ってさー、どういう意味?
わかんないなっ "(-""-)"
お金を貸す気はさらさらないです、ワタクシメ。
「カネ」を介すると人間関係の崩壊につながるからです。
その上その日は連休の前で、すぐにお金を振り込むのはむずかしい状況でした。
そもそも・・・車いすでトロトロ動いているワタクシメに、
ヘルパーの手を借りて暮らしているワタクシメに、
そんな依頼をしてくるなんて・・・無理難題を送りつけてくるのは、ある意味「虐待」だし、「おどし」みたいだよね〈泣〉
「食べる物がない」というのは・・・無視はできず、ワタクシメなりのやり方で「支援」はしましたが・・・この後のことは書きません。
忘れたいです。
この一件のあと半月ばかり「睡眠障害」を起こしました。
心は傷ついたし、体はヘロヘロで、7月中に「やるべきこと・やりたかったこと」が十分にできませんでした。
来月も再来月も猛暑日はあるようですが、「この一件」で厄落とししたことにして、猛暑を乗り切ろうと思っています (o|o)
”ダンシャリ“は続くよ、いつまでも
上記のようなイヤな出来事があっても、表向きは笑って生きています、ワタクシメ。
「笑える話」のトップは、やはり「ダンシャリ」。
しばらくココには書きませんでしたが、こちらはせっせ・せっせとはかどっています。
皆々様のご協力により、発掘作業は「平成時代」に差し掛かってきました\(~o~)/
「21世紀」まで・・・もう一息だwww!
母上が折ったツル
さて、月末ですから、少しは「いい話」も書きましょう。
なにしろワタクシメは、つけ込まれるほど「ほがらかで温かい人」ですからね(激怒)
我が家の近所のお寺に、広島で被爆したお地蔵様が祭られていて、終戦記念日の頃に「平和のつどい」を行なっています。
以前は近隣の学童保育クラブの子どもたちが集まって、ご住職のお話しを聞いたりしていました。
この頃は「熱中症対策」なのか、イデオロギー的に引っかかるのか(?)、知りませんが、わんさわんさとしたイベントではなくなりましたが、
それでも「お供え」する千羽鶴を作っています。
子どもたちだけでなく、老人クラブの方たちも応援して、きれいに飾って奉納しています(子どもたちと一緒にワタクシメが足でジャンボ鶴を作ったこともありました)。
母上も元気な頃は「応援」で鶴を折っていたようです。
発病してからは、リハビリを兼ねて、折っていました。
それが物置の隅にたまっているのは気づいていましたが、毎年「平和のつどい」のタイミングで出しそびれていました。
今年は盛大にダンシャリしているので、
「これは、バザー」
「こっちは、寄付」
「こりゃー、ゴミ!」と分別し、
「折り鶴は夏休みに入ったらすぐに児童館に持って行って、千羽鶴の仲間に入れていただく」と、スタンバイしていました。
シンプルなおり紙のものもあれば、かわいい千代紙、包装紙を使った物もありました。
几帳面におられている物もあれば、ヨレヨレした物もあります。
ーーピシッと折れているから、母上が元気だった頃、張り切って作ったんだな。
ーーよれているのは、リハビリで、一生懸命に指を動かしたんだな?
母上は手先の器用な人でした。
いろいろな紙を集めて、正方形に裁断するところから始めた感じもします。
そのうち発病し、体が不自由になりましたが、指先のマヒの進行は遅かったのです。
上肢に比べ早々と歩行困難になってしまったので、作った折り鶴を届けに行かれなかったのかも知れません。
だんだん思うようにならない指先が悔しかったり、悲しかったはずです。
もしかしたら母上は「平和のつどい」のためではなく、自分自身の病気の進行を止めたくて、祈りを込めていた気もします。
いずれにせよ、物置にしまってあっては意味がないので、出して来て、まずは母上に見せることにしました。
「ダンシャリしていたら出てきたよ。平和のつどいの千羽鶴にしていい?」と見舞いの時に持っていき、母上のベッドを飾ってみました。
全部で100個位ありそうです。
母上は地域の活動が生き甲斐でしたから、「平和のつどいの千羽鶴にする」と言ったら、指で大きく「〇」のサイン。
「折り鶴」に癒されたのは初めてのことです。
こういうことをココに書くと、また「ほがらかな温かさに」とかわけのわからないことで、つけ込まれる、かも、ですね(*_*;
ワタクシメはけして「ほがらか」でもなく「温かく」もありません。
ただ、そのようにふるまっていないとやりきれないだけです。
それだけです。
またカレンダーをめくる時がきてしまいました。
暑くてへたばっている内に、どんどん時間が過ぎて、やんなっちゃいますわ~゜・_・゜~
7月は「心乱れること」もあり、なおさら“暑かった”のです。
その件を書いたらスッキリするでしょうが、、
思い出すと、
腹立って、
頭がカッかッしてくるから、やめておきますが・・・、
長年リスペクトしてきた方から「なおこさんのほがらかな温かさにつけこむ気持ちが起こりました云々」、こんな書き出しで、
「お金を貸して下さい」「今すぐ〇〇に振り込んで下さい」「昨日から食べていません」「助けて下さい」と、そんなメールやFAXが来たんです。
「つけこみます」と自己申告する人って・・・いないよねぇ。
ビックリしました。
悲しかったな。
ショックでしたよ(涙)
ビックリしました。
悲しかったな。
ショックでしたよ(涙)
その方には本当に支えていただいたし、頼って甘えた時期もあるから、ワタクシメでできることなら力になりたかったけれど、
「ほがらかな温かさにつけこむ」ってさー、どういう意味?
わかんないなっ "(-""-)"
お金を貸す気はさらさらないです、ワタクシメ。
「カネ」を介すると人間関係の崩壊につながるからです。
その上その日は連休の前で、すぐにお金を振り込むのはむずかしい状況でした。
そもそも・・・車いすでトロトロ動いているワタクシメに、
ヘルパーの手を借りて暮らしているワタクシメに、
そんな依頼をしてくるなんて・・・無理難題を送りつけてくるのは、ある意味「虐待」だし、「おどし」みたいだよね〈泣〉
「食べる物がない」というのは・・・無視はできず、ワタクシメなりのやり方で「支援」はしましたが・・・この後のことは書きません。
忘れたいです。
この一件のあと半月ばかり「睡眠障害」を起こしました。
心は傷ついたし、体はヘロヘロで、7月中に「やるべきこと・やりたかったこと」が十分にできませんでした。
来月も再来月も猛暑日はあるようですが、「この一件」で厄落とししたことにして、猛暑を乗り切ろうと思っています (o|o)
”ダンシャリ“は続くよ、いつまでも
上記のようなイヤな出来事があっても、表向きは笑って生きています、ワタクシメ。
「笑える話」のトップは、やはり「ダンシャリ」。
しばらくココには書きませんでしたが、こちらはせっせ・せっせとはかどっています。
皆々様のご協力により、発掘作業は「平成時代」に差し掛かってきました\(~o~)/
「21世紀」まで・・・もう一息だwww!
母上が折ったツル
さて、月末ですから、少しは「いい話」も書きましょう。
なにしろワタクシメは、つけ込まれるほど「ほがらかで温かい人」ですからね(激怒)
我が家の近所のお寺に、広島で被爆したお地蔵様が祭られていて、終戦記念日の頃に「平和のつどい」を行なっています。
以前は近隣の学童保育クラブの子どもたちが集まって、ご住職のお話しを聞いたりしていました。
この頃は「熱中症対策」なのか、イデオロギー的に引っかかるのか(?)、知りませんが、わんさわんさとしたイベントではなくなりましたが、
それでも「お供え」する千羽鶴を作っています。
子どもたちだけでなく、老人クラブの方たちも応援して、きれいに飾って奉納しています(子どもたちと一緒にワタクシメが足でジャンボ鶴を作ったこともありました)。
母上も元気な頃は「応援」で鶴を折っていたようです。
発病してからは、リハビリを兼ねて、折っていました。
それが物置の隅にたまっているのは気づいていましたが、毎年「平和のつどい」のタイミングで出しそびれていました。
今年は盛大にダンシャリしているので、
「これは、バザー」
「こっちは、寄付」
「こりゃー、ゴミ!」と分別し、
「折り鶴は夏休みに入ったらすぐに児童館に持って行って、千羽鶴の仲間に入れていただく」と、スタンバイしていました。
シンプルなおり紙のものもあれば、かわいい千代紙、包装紙を使った物もありました。
几帳面におられている物もあれば、ヨレヨレした物もあります。
ーーピシッと折れているから、母上が元気だった頃、張り切って作ったんだな。
ーーよれているのは、リハビリで、一生懸命に指を動かしたんだな?
母上は手先の器用な人でした。
いろいろな紙を集めて、正方形に裁断するところから始めた感じもします。
そのうち発病し、体が不自由になりましたが、指先のマヒの進行は遅かったのです。
上肢に比べ早々と歩行困難になってしまったので、作った折り鶴を届けに行かれなかったのかも知れません。
だんだん思うようにならない指先が悔しかったり、悲しかったはずです。
もしかしたら母上は「平和のつどい」のためではなく、自分自身の病気の進行を止めたくて、祈りを込めていた気もします。
いずれにせよ、物置にしまってあっては意味がないので、出して来て、まずは母上に見せることにしました。
「ダンシャリしていたら出てきたよ。平和のつどいの千羽鶴にしていい?」と見舞いの時に持っていき、母上のベッドを飾ってみました。
全部で100個位ありそうです。
母上は地域の活動が生き甲斐でしたから、「平和のつどいの千羽鶴にする」と言ったら、指で大きく「〇」のサイン。
「折り鶴」に癒されたのは初めてのことです。
こういうことをココに書くと、また「ほがらかな温かさに」とかわけのわからないことで、つけ込まれる、かも、ですね(*_*;
ワタクシメはけして「ほがらか」でもなく「温かく」もありません。
ただ、そのようにふるまっていないとやりきれないだけです。
それだけです。