だーばぁの流儀

児童文学作家・岡田なおこブログです。
全身マヒ+オストメイト・作家・アラ還ならではの日々を気ままにつづっています。

プールに行って思うこと>゜))))彡

2012年08月23日 | 日記
前にココで「プール通い復活」のご報告をしましたが・・・
実は、
体調が悪かった先週、
立て続けに週二回、プールでウォーキングをしたので、それで疲れて具合が悪かったのかも知れません。

だーばぁ御用達の区営プールが今年度から「水曜休館」となりました。
私はヘルパーの関係で水曜日しかプールに行かれません。
「プール通い復活!」ができたこの夏。
~9月初旬までは毎日一般開放しているので、その間の水曜日は「週一ペースで行くぞ!」と決め、足蹴に通っています。

夏季期間を過ぎると「休館日」も増え、「水泳教室」などなどがあって「一般開放」が減るので、私のように自分の都合と介護者の調整その他諸々・・・制約がある人間にとっては利用しにくくなります。

それでも全身障害者の私が使える施設が身近にあり、とっても安く(笑)、ある程度の要求(バリアフリー)が当然かなうのは幸せなことです!

「社会保障」の根底が揺らいでる今日。
そして大震災後の「原発」に関することをいろいろ考えると、「区のプール」の1~2館は休館・閉館してもいいのかな~と思うけれど、
ーーこんな時代だからこそ、心身共にリフレッシュできる場所を公的に保障するべき! それが日本の再建につながるーーとも思うし・・・。

私が以前「プール通い」していた頃を思うと、スタッフはほとんど入れ替わりました。
オープン時からいる職員(ニコニコお兄さん)の話によると、大震災が3月でちょうど職員が入れ替わりの時期だったし、その後再開のめどが立たず「待機」を余儀なくされたので、バイトスタッフは他所に行ってしまったとのこと。

そうです。
「区の施設」といっても、今はどこと事業者に委託していて、その会社の正規職員は1~2名といった感じ。
その他は「非正規労働者」です。

「区営プール」は一つの象徴で、現在の日本は「豆腐の上の鉄筋コンクリート」みたいな国策ですね。

あぁ、今宵も熱帯夜です。
ついつい夜更かししてしまいました☆彡







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極暑だぁ

2012年08月21日 | 日記
春頃から私は密かに(地味に)、《なおこのオスソワケ》という活動をはじめ、この夏は「暑中見舞いを出そう」と言って、某所の子どもたちに絵葉書を贈りました。

※《なおこのオスソワケ》のページ


「暑中見舞い申し上げます」によせて・・・


私はショートストーリーの中で、
~日本には「季節」ごとにあいさつがあるから、季節の力をかりて、心を絵はがきにのせて、だれかに送ってみませんか!?~
こんなような、きれいごとを書きました。

確かにこのショートストーリーを考えていた7月初旬は、暑いながらもまだ「季節のあいさつ」をしたいと思っていました。
それなのに・・・この「酷暑」は想定外です。
季節のあいさつどころではありません(>_<)


             (=^・・^=)

どういうわけか、書き終えたブログの一部が消えました(泣)。
前後がつながりませんが、書き直しは省きます。ゴメンナサイ<(_ _)>


そんな、こんな思い返せば、楽しもにしていた夏に、楽しかったことがなかった気がします。
私はいつだって「こんなヒドイ事はなかった」と嘆いて生きている感じもします(苦笑)
でも、
ーー今がつらい・・・ということは、過去に楽しいことがあった・・・ということ。
そのつど、そのつど、
ーーこんなにつらいのは初めて~と思えるのは、逆説的に考えれば成長していることです。


2012年の熱帯夜、
今宵もそれを克服すべくベッドに入ります!
ーーこれも試練だ。
ーーいつかは想い出になる。
ーー明日こそきっと、スッキリして一日が過ごせる・・・と信じて、おやすみなさい☆彡


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第三者の言葉

2012年08月19日 | 日記
昨日は「夏バテ度90)といった気分でした。

その前夜「今年最悪の熱帯夜」で、エアコンをつけても全然涼しくなかったのです。
この夏、夜中に暑くてエアコンで涼んでから寝ることは何度かありましたが、
「エアコンが壊れたかしら?」と思うほど暑かったのは初めてでした。

朝方は曇っていて「涼しいかな~?」と思っているうちに、我が家の方は集中豪雨となり、せっかく咲いた朝顔は雨に打ちのめされていました(涙)
それを見て私のテンションもダウン。
気圧の変動のせいか気分が悪くなりました。

日本の気候はどうなってしまったんでしょう?
これも地球温暖化の影響でしょうね!

いつも私は目が覚めるとラジオをつけ、体は動かなくても、新聞を読んだり、郵便物に目を通したりしていますが、昨日は音楽を聴く気分にもなりませんでした。
午前中は、ただベッドに横たわっていました。

午後からはリハビリに通っている「心障センターの夏祭り」に行くつもりでした。
大しておもしろくはないけれど(笑)、普段はジャージで働いている職員さんが浴衣やはっぴを着てパフォーマンスに出演したりするので、チョット愉快なのです(*^_^*)
また退職したり異動した職員が遊びに来たりして「同窓会気分」が味わえます。

出掛ける予定の時刻には青空も見えていましたが、急な豪雨の恐れも残っていたし、身支度ををする気力がなく、うだうだしていました。
ヘルパーさんにも、
「今日はほんとーに具合が悪そうですね」と言われ、
「これぞ究極の夏バテだー!」と一日引きこもり常態となり、夜は早寝しました。
お陰で今朝は朝っぱらからブログの更新ができるほど元気です(^_^)v

「第三者の言葉」とは不思議なものです。

もし昨日のヘルパーさんが、
「晴れてきたから、一か八か出かけてみますぅ?」と言ったら、私は出掛けたと思います。
特に「痛い」とか「苦しい」ということではなかったので・・・。
「夏祭り」に行けばそれなりに楽しくて気分転換になっただろうけど、「疲労」は蓄積し、どこかにひずみが出たかも知れません。

ーーあぁ、どうししよう??? という時、「第三者の言葉」、何気ない一言で意思決定ができるんですね。
第三者に何か言われる前に、きっと「心の進む方向は9割方決まっているけど、賛同者がほしいという時に「迷い」が生じるのでしょう。


前に、父とは性格が違うと書きました(参考文献?「《なおこのヒラメキ》 序章・DNA が、もし昨日父に、
「出掛けない方がいい」と言われたら、私は意地になって外出したと思います(笑)

親子はいくつになっても「親と子」なので、父は「第三者」的な意見の言い方ができないようです。
本人は「言っているつもり」でも、私には「決め付け」に聞こえ拘束されている気がしてしまうのです。
それで、こちらもいくつになっても大人になれず、父の「やめなさい」を振り切って飛び出していくパターンです(>_<)

父の言うことを「第三者の言葉」として聞ける(聞き流せる・笑)ようになれば、私も真の「大人」ということですかね?!


今日も暑い・・・辛い一日になりそうですが、第三者の言葉を素直に受け入れながら、「夏バテ対策」していきます~>゜)~~~



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朝顔を見て思うこと

2012年08月17日 | 日記

ン十年ぶりに朝顔の種を撒き、今週末にやっと花が咲きました。
しかし~、
私が寝坊なのかも知れませんが〈恥〉、朝べランダを見て、
「咲いてるぞー。写メしてもらおう」と思っているうちに、しおれてしまううのです。
本日やっと、朝一で父に撮ってもらいました!

父が、
「こんなに早くにどうしたの?」と言うほど朝早くに私は活動開始して、撮れた一枚です!(一般的には早くないけどwww)

              ~゜・_・゜~

このブログを開設して以来、ちょっとムキになって(?)更新している感じでした。
8月になり体調が奮わなかったので、景気づけのつもりで書いていたのです(笑)


8/6に妹と甥っ子がアメリカに帰りました。
妹・メーコがいる間はずーっと毎日がお祭り騒ぎですし、甥っ子・芋助は稀に見るおもしろい人物なので、二人がいなくなると「寂しい」とはもちろんですが、一ヶ月間の夢の世界から突然現実に戻され「残留日本人家族」はなかなか社会復帰ができません。

※芋助のユニークなエピソードは後日.。o○

そのうえ今年はオリンピックがあり、私は7~8月にかけて〈非日常〉×3の暮らしをしてしまいました。

そうはいっても・・・
いくら「だーばぁ」でも・・・
「やるべきこと」はあるので、妹母子を見送った後すぐに、障害者団体の定例会に出席しました。
あれが「体調不良」の引き金になった気がします。

「夢」から「現実」に戻るには、多少時間を置かないといけません。
障害者団体の定例会には出たものの、仕事は「ポカ」ばかりです。幸い実害のない「ポカ」でしたが、そういう自分が情けなくなり、
「大チョンボをして、袋叩きになるんじゃないか?!」と不安になりました。

そのせいで、何日間か体が焼酎を受け付けませんでした(笑)
例え呑んでも美味しくなくて、お腹はすくのに食欲が出ず、思わず「太田胃酸」を飲もうかと思ったほどです〈爆〉
〈参考文献「太田胃酸の缶になろう」〉


そして・・・
「オリンピック観戦」による寝不足は自業自得でありますが、「お盆休暇中」にお二階さんが引越しをされドッタンバッタンが続きました(怒)

離島で独り暮しをしているわけではないから仕方ありませんが、結局8月は(非日常)×5の毎日を過ごすことになりました。

「創作活動」に関しては、♪エンピツ倒してカタン・コトン・・・が続いています(汗)

              (=^・^=)

ーー焼酎が呑めない!
別に呑まなくてもいいし、「禁酒」できれば、それにこしたことはありませんが、我が家はみんな飲兵衛で「毎晩飲酒」が普通なのです(爆)
ーー普通のことができない
それは大変つらいことです。
(参考文献「焼酎の度数が示す母の愛

「たかが焼酎・されど焼酎」と言ったところです(笑)


「妹の家族が地球の裏側に居て、夏は毎年『濃密な不思議な時間』を過ごす」というのは、我が家の特殊な事情です。
それを口実に日常的な事を怠ってはいけないと踏ん張ってきました。
でも・・・。
せっかく咲いた朝顔を眺めて楽しむ気力体力が失せてしまったら、人生つまんねくない?

朝っぱらからジリジリ攻めて来る日差しに負けてうなだれている朝顔は、私自身のようにも見えます(涙)
「特殊な事情」があるのなら、それを「自分の普通」としていかないと息が切れてしまいます。

お盆休みが終わり「日常」に戻った方も多いと思いますが、カレンダーとは別に「体内暦」にしたがって、休んだり頑張ったり・・・してもいいのではないでしょうか!?

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終戦記念日なので・・・

2012年08月15日 | クリエーター・モード


このブログでは初めての「画像の挿入」です。上手くいくかしら??? ドキドキ(*_*;
そして・・・これも珍しく「本の紹介」を書きます。
作家の先輩や仲間たちのブログを見ると、よく「本の紹介」など書かれて、
ーーみんな偉いな~と感心するばかりです。
私は自分がちゃんとしたモノを書けないので、人の作品に感想を書いたりお勧めしたりするのが、とても苦手なのです。でも今回は心に響く作品と出会えたので、書くことにしました。


ちえちゃんのおはじき (クローバーえほんシリーズ) [大型本]
山口 節子 (著), 大畑 いくの (イラスト)

内容紹介
戦火にのまれ、多くの人が亡くなった神楽坂。仲良しの女の子二人・ともちゃんとちえちゃんは、再会を誓って、赤城神社の銀杏の木の下におはじきを埋めました。
数十年後、おばあちゃんになった“ともちゃん”は孫のそらちゃんをつれて、おはじきを探しに赤城神社に行きます。
戦後様変わりした神楽坂、そして赤城神社。思い出の銀杏の木はありませんでしたが、おばあちゃんが昔の記憶をたどり、掘っていくと「あった!」
おばあちゃんが掘り当てた物は、溶けたおはじき(ガラスのかたまり)でした。
宝探しの気分でいたそらちゃんですが、「おはじき」をみつけた所から、世界は一転します。
そらちゃんは「戦争中の赤城神社」にタイムスリップ。
そこでそらちゃんが見たものとは…?!

         
             .。o○

実は作者の山口節子さんは作家の先輩であり、二十年来「おかあさん」「なおこちゃん」と呼び合うような楽しいお付き合いをさせていただいています。
公私にわたり山口さんとはいろいろなお話をしてきましたが「戦争体験」について、改まって伺ったことはありませんでした。
山口さんからの暑中見舞いに、
ーー長い間書きたいと思っておりました幼い日の戦争体験を、まずは絵本の形で書いてみましたーー
とありました。

いつも楽しい「おかあさん」の心に常にこの「かなしいおはじき」があったのか・・・と胸が痛くなったのはムスメとしての感想です。

戦争モノは嫌いでしたが・・・

私が児童文学の勉強を真剣に始めた二十数年前。
今でこそ「だーばぁ」となった私ですが、また周囲からは「なおこちゃん」と呼ばれていました(笑)
席をなれべ勉強している方たちは「人生の先輩」、つまり戦争経験者が多くいました。
そういう方が「描きたいテーマ」は戦争(第二次大戦)でした。
また「戦争体験を子どもたちに伝えたい」という想いから、児童文学を学ばれている方もいました。

ーー自分の体験を伝えたい(描きたい)--
それは私も同じですが・・・私はどうも「戦争モノ」が好きになれませんでした。
私の両親は戦中育ち。特に母は東京大空襲で父親を亡くし大きな痛手を背負った人です。祖母(大バー)は戦争未亡人で、私は母方の身内から「戦中・戦後の苦労話」を耳にたこができるほど聞かされました。
だから戦争モノを読むと、「お母さんの話と同じ」「おばあちゃんの話と似ている・・・」

どの物語も似たり寄ったりで、「もう御馳走様」と言いたくなってしまうのでした。

時が経ち・・・私は若気の至りで「戦争モノは嫌いです」と言いすぎたと反省し、児文協企画の「おはなしピースウォーク」に一般公募枠で作品を出してみました。
拙作・コスモスベーカリー物語が「おはなしピースウォーク」に収録していただけたので、少々自信を持って発言しちゃいます。

ーー戦争モノがつまらないのは、手法がパターン化されているから。「第二次大戦」に固執せず「平和」という大きなテーマで物語を引っ張らなければ、後世に残る作品にはならないのでないですか?!

私は「戦争を知らない子ども」です。でも「平和」を主軸に据えれば「戦争」を描けると思っています。


児童文学・絵本だから描けること

話を「ちえちゃんのおはじき」に戻します。
数ヶ月前におかあさん(山口さん)から同人誌を渡され、
「近々この作品が出版されるのよ」と聞いていましたので、ストーリーは大方知っていました。
しかし上梓された「ちえちゃん・・・」は、私のイメージとはまったく違っていました。

大畑いくのさんの絵は素晴らしい!
山口節子ワールドに寄り添いつつも、それ以上の世界観を醸し出しています。
おかあさん(山口さん)はご自身の体験をもとに、神楽坂や赤城神社など実在する場所を書いています。
でも「戦火に引き裂かれた友情」「爆撃で溶けたガラス」は世界中にある普遍的な素材です。
おばあちゃんの昔話、ぬくもりも同様です。
この絵本は世界中どこに持っていっても、言葉が通じない国においても、「心が通じる作品」に仕上がっています。

この作品の一番悲しい場面は「ファンタジー」で描かれています。
これは作者の「愛」であると、私は感じました。
山口さんには実際に「そらちゃん」というお孫さんがいます。山口さんはお孫さん(次世代)に戦争体験を伝える強い使命感でこの作品を描かれました。
その一方で「そらちゃん(子どもたち)を悲しませたくない。おびえさせたくない」という優しさもいっぱいお持ちなのです。

「絵本」という形。
「ファンタジー」という手法。
そのククリの中で「悲惨な体験・シビアな現実=ここでは戦争体験」を書くのは限界も感じますが、「児童文学」というジャンルを選んだ以上は「子どもに読んでもらうこと」を第一に考えなければなりません。
自分の身に置き換えると、それはとてもむずかしいことです。
それをやり遂げた作者に拍手!

ちょうど今日は「終戦記念日」
「未来の平和を考える日」だと、私は思っています。
ご家族で「ちえちゃんのおはじき」を開いてみて下さい。

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