だーばぁの流儀

児童文学作家・岡田なおこブログです。
全身マヒ+オストメイト・作家・アラ還ならではの日々を気ままにつづっています。

”靴“のリフォーム成功!

2017年11月25日 | 日記
まずは写真・・・before・after

ワタクシメ、自力歩行していますが、そのためには「靴が重要ポイント」でありまする。
ヒールのある靴だと歩く前にコケちゃいますが、適度にかかとは高い方がいいのです。

普段はペタンコの「運動靴・笑」を履いていますが、オシャレな靴も履きたい・・・イヤ、大人として当然のこと!
脚が不自由であっても、「それなりのモノは履かないかん」というのが“だーばぁ流”です(靴に限らず何でもねw)

「黒い革靴を新調しなきゃ」と言ってたら、
「わたし、間違って同じ靴を2足買っちゃったから、1足あげるわ」と親切な方が現れました。
「ラッキー。でもヒールがあると転んじゃうな・涙」
「それなら、リフォームしてみれば・・・」と話が進みました。

ワタクシメの「脚」は特殊ですから、一般の店で直してもらえるか心配でしたが、相談だけでもしてみることにしました。

近所にあるちょっとアンティーク風のおしゃれな「修理屋さん」。オーナーは若くて・・・以下省略・・・だーばぁ好みのイイカンジ(微笑)
そこへいそいそ行って、あーだこーだお話ししたところ、「案ずるより産むはやすし」でしたぁぁぁ(^_-)

「安全重視」で2cmくらいかかとを低くしましたが、リフォームした違和感がなく、落ち着いた形になり、大満足です。


物心ついてから、ずっと、ワタクシメの「使いやすいモノ」は規格外だったり、苦労して探し当てたりしてましたから、
時代が変わり「ユニバーサルデザイン」なーんて言葉が流通してても、信用できないところがあるのでしょう。
特に「靴」は(-_-メ)
でも今回のリフォーム成功により、生活の幅が広くなった気がしています。

ありがとうございました \(^o^)/



右がbefore、左がafterです(^_^)v



矯正靴よ、さようなら!


ワタクシメ、けっこうなトシなので「幼少期」を紐解くと長くなりますが(*ノωノ)
靴にまつわる想い出を、サクサク、書きます(悪あがきかもw)


すごく小さい時は、ごく普通の運動靴を履いていましたが、「矯正靴」が登場したのち、ワタクシメ+一族郎党は靴選びで試行錯誤するはめになったのです。

幼稚園の頃「朝から晩まで矯正靴を履いていなさい」と指導されました。
それによって安定した歩行ができるとか、骨が変形しないとか・・・理由はあったんです。
だけど、半世紀以上前の「矯正靴」は重いしかたいし、編み上げのひもはウザいし(個人的な意見です)
「女の子は赤」と決まっているしetc ワタクシメにとって、何一ついいことありませんでした。

家の中では靴カバーかぶせるんですよ。
昔の我が家の主な部屋は畳とガラス障子でした。
その中を足がマジンガーZになっているワタクシメか、ガッチャン・ガッチャン動き回る光景を想像してください。

ーー危なっかしくて、しょーがない((+_+))

マジンガーZじゃー、座ったり、寝ころがったり出来ないでしょうっ(怒)
足の裏がかゆくても、寝るまで脱げないから、堪えるんですよ(涙)
ブランコに乗ると足が重たくて落ちちゃうし、手をつないでもらっての「ぴょんぴょん」もできません。

ーーやってらんねぇ~!

それでー、カワイイなおちゃんは矯正靴を脱いじゃいました。、
普通の親は、そこで子どもを叱って、なだめて、履かせるみたいですが、なおちゃんのママとパパは「こんな重い物履いてたら、自由がないねー」と。

前回ココに「ワルイ先生」の例をいくつか書きましたが、学校側にしたら、なおちゃんちは「主張が強すぎた@モンスターファミリー」だったかも知れませんわね(苦笑)



親戚縁者の皆さん、ありがとう(*´з`)


医者や指導者が「これを履きなさい」という靴を、「イヤです」とキョヒったもんで、なおちゃんのママとパパは自分で「良い靴」を探すことになったわけです。

ネットで世界中の「良い物」を探せる時代ではないですから、
誰かが何の気なしに(笑)、「こんな靴があったよ」と口を滑らすと、
「それなら、なおこが履けそうだから、買って来て」ということになり、
母上の「泣き落とし作戦」や「ごり押し作戦」などなどで、やさしい親戚縁者が「良い靴」を買い求めに奔走してくれたのです。

子どもながらにワタクシメも、「矯正靴を履いていた時より、しっかり歩けるようになるぞっ」という気持ちがありましたから、
両親は尚のこと、「矯正靴をキョヒった成果」を示したかったように思います。
親戚縁者も身内に体の不自由な子が生まれてから「歩かせたい」というのが、わかりやすい目標だった気がします。
それで「靴」に関しては労を惜しまず力を貸してくれたのでしょう。

高価な靴ほど足に合わず「靴ずれ」すると、何日も歩けなくなりました、ワタクシメ。
また体調よっては力んで歩行しているらしく、思いもよらない所に穴があきました。朝おニューの靴で出掛け、夕方穴をあけて帰宅したこともあります。

親戚の中で「なおちゃん」を溺愛してくれた人が何人かいて、その一人に「靴屋のおじちゃん」がいました。
叔父は家内工業ではありましたが、有名ブランドの下請けをしていました。
「デザイナーさんは絵を描くだけだ。それを型紙に起こすところから、おじいちゃんがやるんだ。
 ここにある靴は、銀座通りのショーウインドウに並ぶんだぞ」
狭くて汚れた仕事場で、叔父は誇らしげに話していました。

その叔父に靴を作ってもらったことがあります。
「なおこの足が痛くないように」と柔らかな皮を選んでくれました。
色も形も可愛らしく作ってくれたのです。
しかし・・・
柔らかな革が足にフィットし過ぎて、これまた一回履いたら穴が開いてしまいました。
もしかすると、叔父は「フィト感」を気にして、靴底の固さは計算に入れていなかったのかも知れません。
ワタクシメは前のめりで歩くので、靴底の厚みによってはつま先の方に全体重が集中して、そこが無残に破けてしまうのです。
その後「改良」を相談すればよかったと、今は思いますが、その時は叔父に申し訳なくて「履き心地いいよ」とウソをついたのを憶えています。
それきり「靴屋のおじちゃん」に靴をねだることはありませんでした(ノД`)・゜・。


シグマのスニーカー(仮称)


ワタクシメ、基本的には「自分で着脱できるモノ」を身に着けています。
最近はヘルパーさんの手を借りるので、多少は「まっ、いいか」の面も多くなりました。
でも何から何まで「まっ、いいか」にすると、いざという時、自力で外に飛び出せないから、「いざ靴」は常に用意してあります。
それが「シグマのスニーカー」なんです。

まだ「マジックテープで留める靴」が少なかった時代に「シグマのスニーカー」のマジックテープはとても楽に留められました。
素材も靴底の暑さもワタクシメに合っていました。
それを昔なじみの靴屋さんに話したら、最初は「取り寄せ」てくれたんですが、
そのうち、その店で「シグマのスニーカー」を取り扱ってくれるようになったのです!(^^)!

ワタクシメが「靴、お願いします」と店に入ると、
「はいよー」と、シグマ・白・24が出てきます。

車椅子を使うようになってから、靴が傷まなくなりました。
「高齢化社会到来w」とともに、マジックテープの靴の選択肢も増えました。
でも、やはり、一番安心して履いていられるのは「シグマのスニーカー」です。


いつまでも、靴が履ける自分でいたい!


「靴」のことだけ、サクサク書いても、たくさんの応援団の顔が浮かんできました。
じっくり書いたら、本1冊かけちゃいそうですwww
いっぱいいっぱい支えていただいて歩いてきましたが、「歩けなくなる」ことも想定しなければなりません。
しかし・・・歩けなくなっても、ワタクシメは靴を履いて外に出ていきますから、これからも「良い靴」があったらお知らせ下さい(笑)
多少履きにくかったら、リフォームもありなので(爆)、よろしくお願いします<(_ _)>

最後に、こちら ↓ リフォームした靴、ポーズを決めたワンショット!

















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14才の頃~“喜怒哀楽”がMAXだったのかもね (^_-)

2017年11月17日 | 日記
気になっている「宿題」

過日ココにーーー養護学校(現・支援学校)に行って来ました。云々・・・
        子ども時代のことに触れたい気持ちもあるけれど、「封印しておきたい」とも思います。ーーー

こんなふうにチョイト書いてから、「宿題」を背負ってしまった気分でおります、ワタクシメ。

考えてみると・・・養護学校卒業後、普通校に進み、そこでのドラマはデビュー作「薫Ing」に描きましたが、
それ以前のことは作品として残していませんわぁ。
「養護学校時代」を否定してるわけじゃないし、インクルーシブ教育推進派でもないですよー、ワタクシメ。
むしろ「養護学校時代」に培った力で乗りこえられたこともたくさんあります。

ただねー、
「いいこと」ばかり描くとまっ赤なウソになるし、
「悪いこと」から斬りこんでいくと、かなり悲惨な非人道的なことも書かなければなりません。
両者のバランスを取りつつ、人様に読んでいただける形にする筆力がワタクシメにはないと思うのです。

障がい当事者でご自身の体験談を書かれている方は大勢いますが・・・イマイチ「私家版レベル」なんですよ~。
私家版で出すと、「記録」とか「想い出」止まりになりがちです。
本当に第三者の目で、障がい児が味わった「悲喜こもごも」をみつめ直し、えぐり出し、後世に遺るモノを創るのはむずかしいです。

だから、ブログにはサワリのサワリだけ、少し(笑)書くことにします。
それで「宿題を片付けた」ということで・・・ペコペコ・ペコペコ <(_ _)> <(_ _)> <(_ _)>
自分で自分に謝っちゃいます(苦笑)



思春期の頃「障がい」も思春期だったんです

ワタクシメが就学する前年度まで、障がい児には「就学猶予」という制度がありました。
現在放映中の「トットちゃん」。
世界的に有名な物語ですから皆さんご存知でしょうが、トットちゃんが小学校を退学になるところから始まります。
「おかしい」と思いませんか!
「義務教育」を受けさせてもらえなかったなんて。
黒柳徹子さんは何らかの障がいをお持ちだったと推測できます。
トットちゃんのような「???」ではなく、「障がい」が明白な子どもの多くは、小学校から門前払いされました。

その後、制度も変わったし、社会も変わりつつありましたが、
障がい児や親には「入れていただいて有り難い」と学校側に頭が上がらない雰囲気もありました。
逆に学校側には「教育を受けさせてあげている」といった意識もあったように感じます。

ワタクシメは就学前に「療育施設」に入所していましたが、そこでのエピソードはエッセイネタにもしていません。

療育施設から養護学校時代にかけて、健常児の親がするように我が子のために自己主張し、施設や学校に物申していたのは、
なおちゃんのママとパパ+お祖母ちゃんだけだったのです((笑・汗)

ワタクシメの保護者が今でいう「モンスターペアレンツ」ではありません。
例えば、
「機能訓練」だけでは体に負担が掛かるからと、マッサージを受けさせてくれれば、
「マッサージなんか無駄なんだ。意味がない。いくら払うの? なおちゃんの親は間違えているから『イヤ』と言いなさい」と、
機能訓練の時間中ずーっと言ってるんですよ。
「マッサージが必要だと思うなら、親がマッサージしてあげなさい」と言う先生もいました。

ーーこんなの序の口。

初潮の時期に、
「生理の日はお母さんに付き添ってもらいなさい。
 それが無理なら学校を休みなさい」と、女性教師に言われた憎悪は一生忘れないですね。
「女性教師」だからこそ教えらにれる性教育があるはずなのに、「トイレ介助は先生の仕事じゃない」と言いましたからね。

真剣に「障がい児教育」を模索している先生もいたから、非難めいたことだけ書いては申し訳ないんですがー、
どうしても・・・恨みつらみが先に出てしまうんですよ(ノД`)・゜・。

オバンになった今でも、その頃のことをかいていると息苦しくなるので「ネタ」にできないのです。



自分の反省として、「苦しかった」こと

「障がい」はそれぞれ異なるので比べられないのですが、総体的にワタクシメは「軽度」でした。
となると、「なおちゃんは重度の子に対する思いやりが足りない」が飛んでくるようになったんです。

仲間同士助け合って学校生活を送っていたんですけどね。
そういう「教育的指導」もされました。
この件は・・・「なんで私だけ?」と不満がふくらみました。

「教育的指導」をしてくれた先生は「好きな先生」でした。
でも同じ教員同士の足並みがそろっていなかったと言いますか・・・
「私に注意する前に、生徒をイジメる先生をなんとかしろよ!」と腹が立ち、素直に「教育的指導」を受けられませんでした。、

後に「普通校」に進んでからは、逆にワタクシメが居るために周りの友達が「教育的指導」をされているんじゃないかと心配になり、
妄想がふくらんで、ひねくれた時期もあった気がします。


それもこれも「思春期・多感な年頃」ゆえのもやもやなのでしょう~゜・_・゜~
すべての感情がMAXで、「記憶」になっていないのかも知れません。



写真も残っていないので・・・ワタクシメっぽいイラストを探してきましたぁ(涙)


こういう場合、言葉ではなく写真なんぞ載せたいところですが、14才前後の写真はありませんのよ。
間違えて捨てちゃいました。
いつ、だれが捨てたのかも不明ですが、気がついたら、写真が、ありませんでした。

「写真を入れておいた箱がない」とわかった時は呆然としましたが、それも神の仕業かも知れません。
笑顔と同じだけ「憎しみ」「悔しさ」「悲しみ」が写っているわけですから、「カタチ」で残らない方がいいのでしょう。
ワタクシメの脳裏には、ギギギギギーッと刻まれていますからね。

当時のワタクシメっぽいイラストでwwwオシマイ。。。


  

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50年の重み 『JET STREAM』

2017年11月10日 | 日記
「JET STREAM 50th Anniversary Special Concert 」に行ってきました(^^♪




TOKYO FMをはじめとするJFN38局で放送している「ジェットストリーム」が今年、FM史上最長となる放送開始50周年を迎えました『JET STREAM』(月-金 24時〜24時55分)
その番組では数年間から「スベシャルコンサート」を開催していて、ワタクシメも以前行ったことがありますが、
今年は「Anniversary・yYear」とのことで他にもいろいろな企画をしていましたから、「FM東京の気合!」に期待して、参戦(?)したのでした。
コンサートナビゲーターは『JET STREAM』5代目機長である大沢たかお。
音楽監督は、日本を代表する作編曲家として知られる服部克久。演出は菅野こうめい。
ゲストに新妻聖子、尾上松也、古澤巌、ジャー・パンファン、屋比久知奈 etc。



国際フォーラムの「車椅子スペース」は舞台の両サイドに無理くり設置した感じです。
だから、演出によっては至近距離で出演者を見られる場合もありますが、ほとんどは斜めから見るわけで、視覚的にも音響的にも「良い席」ではありません。
それでもワタクシメがかうのはたいてい「お安い席」なので・・・まっ、いいかっ・・・と(苦笑)
しかし今回は予約時の流れで「S席」を買ってしまいましたのよ。
せっかく「S席」を持っているのに、端っこの席で我慢するのはシャクじゃないですか!
ワタクシメ、たしょうは自力歩行できますから、S席を目指し、「れっつらごー」しました p(^_^)q

がんばった甲斐あって、「S席」からのながめは・・・よかったぁ。
「国際フォーラム」には何度も行っております、ワタクシメ。
我が家からアクセスも良く、ホールとしてもすてきですから。
でも「S席」に座って観賞するのは初めてかも知れません。
音楽が皮膚にしみこんでいく感覚を味わうことができました。

FM東京はよく聴きますが、『JET STREAM』(月-金 24時〜24時55分)を毎晩聴いているわけでもなく^m^ はっきり言って「大沢たかおのナレーションは下手だ」と思っているんです(笑)
でもでもwww「大沢たかお」は・・・美しい(*´з`) うっとり・・・ミーハーな理由で『JET STREAM concert』は好きでした。
今回「S席」でコンサートを楽しんだことで、『JET STREAM』という番組の魅力や、音楽の力がわかった気がしました。


「JET STREAM50年のあゆみ」をザクッと調べてみました

ワタクシメにとって、この番組は「ベッドに入り、ぼーっとした一瞬、ラジオをつけると必ず流れてくる」、夜の空気みたいな存在です。
50年も続いていますから、「笑点」のように、日本人なら誰でも何となく聞いたことがある番組だと思っていましたが、そうでもなさそうなのでwww
ワタクシメも復習をかねて、「概要」とやらを調べ、抜粋してご紹介します。

1967年(昭和42年)7月3日に、東海大学の超短波放送実用化試験局FM東海にて放送を開始。
1970年(昭和45年)4月からは、FM東海を引き継いで開局したエフエム東京(TOKYO FM)に移って放送を続け、現在に至っています。

スポンサーは基本的に「JAL」で、フライトしながら音楽を楽しむ、または全世界を音楽旅行している設定のプログラムです。

  小難しい経緯は割愛します(^_-)

この番組ではパーソナリティを、機長またはフライトアテンダントと呼んでいる。歴代パーソナリティと在任期間は以下の通り。
初代:城達也(1967年7月 - 1994年12月) 城はこの番組のパーソナリティを降板した直後の1995年に他界。

この番組独特の雰囲気とスタイルを作り、不動のモノにしたのは「城達也」といって過言ではありません。
今でも城さんナレーションのCDは売れています。

城さん他界後、2代目:小野田英一(1995年1月 - 2000年3月) この方はお上手でしたが、「城さんの逝去による代打」という印象が付きまとってて気の毒でした。

3代目:森田真奈美(2000年4月 - 2002年9月) 機長ではなく、フライトアテンダントの設定でパーソナリティを担当。この時期は内容が大幅に変わって、ワタクシメは聞かなくなりましたが、
相当「不評・怒」だったとみられます。

4代目:伊武雅刀(2002年10月 - 2009年3月) 城さんの頃の『JET STREAM』(ジェット・ストリーム)に戻されました。
当初はCM入り時間の変更や、1週間通しの企画でラジオドラマを放送するなど試行錯誤が行なわれたが、その後は安定した人気を得ていました。

5代目:大沢たかお(2009年4月 - )
大沢は、番組のオファーを引き受けた当初は嬉しかったが、開始が近づくにつれて「城さんや伊武さんの路線を忠実に引き継げるだろうか」と不安で仕方がなく、撤回しようかとまで思い詰めたこともあったそうです。

ワタクシメは伊武雅刀のナレーションが心地よかったし、40そこそこの大沢たかおに『JET STREAM』をやらせるのは無理があると思いましたが、
その後「ラジオ」はネットと連動したり、コンサートなどのイベントを開催することが増えたので、時代を先取りして、ビジュアル面で対応できる「大沢たかお」を起用したのかなーーーこれはワタクシメの推測であります。

FM番組史上最長となる放送開始50周年を記念し、番組のテーマソング「ミスター・ロンリー」も新バージョンになりました。
ヴァイオリニストの古澤巌とベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のヴィルトォージ(弦楽5重奏)のメンバーにより新たにレコーディングされたもの。


 ミスターロンリーをBGMに下記のナレーションが流れます。

■オープニング・ナレーション

遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休める時、遥か雲海の上を、音もなく流れ去る気流は、たゆみない  宇宙の営みを告げています。

満点の星をいただく果てしない光の海を、豊かに流れゆく風に  心を開けば、煌く星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂の、なんと饒舌なことでしょうか。
光と影の境に消えていったはるかな地平線も瞼に浮かんでまいります。

これからのひと時。
日本航空が、あなたにお送りする音楽の定期便。「ジェットストリーム」。
皆様の、夜間飛行のお供を致しますパイロットは、わたくし、〇〇です。


■エンディング・ナレーション

夜間飛行の、ジェット機の翼に点滅するランプは、遠ざかるにつれ、次第に星のまたたきと区別がつかなくなります。
お送りしておりますこの音楽が、美しくあなたの夢に溶け込んでいきますように。

日本航空がお送りした音楽の定期便、「ジェットストリーム」
夜間飛行のお供をいたしましたパイロットはわたくし、〇〇でした。


お聞きになったことのない方は想像してみて・・・といってもダメかな~゜・_・゜~




大沢はあちこちで語っていますが、城達也・伊武雅刀の路線を意識しており、城達也へのリスペクトの気持ちは非常に強く持っています。


大沢たかおは以前は番組のホームページに「拝啓 城達也様」と一文したためてありました。
先日のコンサートでのオープニング、ステージに城さんの写真が飾られていました。

そして、 ラストセクションは「20min世界一周の旅へ」と題し、世界各国にまつわる歌をこの日の出演者全員で披露し、盛り上がりました。
大沢が登場し、以下の手紙を読み上げました。

  拝啓 城達也様
  私が操縦席に上がるようになって、もう8年が過ぎました。
  あなたが見ていた世界が、ようやくわかりかけてきたような気がします。
  午前零時のナイト・オン・ザ・プラネット
  地球に住む70億の人々が織りなす時の流れを
  旅という心でつなぐ音楽の定期便『ジェットストリーム』
  これからも私 機長大沢たかおが
  リスナーの皆様を 新たな出会いに
  夢ある世界にお連れしたいと思っています
  さらなる旅立ちへ 今、テイクオフ



すごく・すごく、大沢がこの番組を大切にし、守っていこうとしてるのは痛いほどわかるのです。
だけど、8年経っても、ナレーションが・・・うまくない(涙)と言いますか・・・「大沢たかお」らしさが出て来ず残念でなりません。

彼は本来「トークがゆかい」「魅力的」なのです。と最初に目を付けたのは大バーでした。
かれこれ四半世紀前(笑)、「徹子の部屋」に初出場の大沢たかおを見ていて、伝説の大バー(母方の祖母)が、
「この人の話、魅かれるねー。すてき。ファンになったよ。『大沢たかお』は絶対大物になる!」と大予言したんです(爆)

   さすが、伝説の大バーです。



 拝啓 大沢たかお様

もし、このブログが目に止まったら、だまされたと思って、大バーが惚れ込んだあなた流の語り口で『JET STREAM』のナレーションをやって下さい。
先輩方が積み上げた「50年の重み」を理解し尊んでいるあなたなら、大沢流にやっても番組は壊さないはずです。
50年前と今とではコックピットから見える景色は違うのだから、機長が見たままのシーンを電波に乗せて伝えてほしいです。
「普遍的なこと」は、ずっと変わらないから大丈夫 (^_^)v
ラジオをつけると大沢たかおの声が流れてくる日々が、いつまでも続きますように!
眠りにつく前、ぼーっとできる幸せな自分でありたいです。



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14才の頃 ~゜・_・゜~ 序

2017年11月05日 | 日記
10月は「お誕生日月間」でした


何故かワタクシメの家族や友人etc、10月生まれが多く、なんだかんだとお祝い続き、出費がかさむ日々でした(笑)

甥っ子の芋助も10月生まれ。
彼にとって、日本で「HAPPY BIRTHDAY」したのは始めかも知れません。

姪っ子の福さまと芋助は3週間の時差で、「この世」にやってきました。
中学生になった今、かなり福さまの方が体は大きくオマセちゃんですが、
幼稚園くらいまでは双子のように、何でも同じことをし、そのくせ競っていました。
芋助はおっとりしているので、福さまだけがてんぱっていた気もします。
二人は、ケンカしたかと思えば、つるんで悪さをしていることもあり、ゆかいな関係です。

最近二人とも「女子らしく?」「男子くさく?」なってきたし、
それぞれ「まずは部活!」という表向きは健全に忙しいそうで、集まることはあまりなくなりました。
でも・・・二人仲よく・・・無事に・・・14才になれたこと、だーばぁは本当にうれしく思っています。

そして、「自分が14才の頃、ナニしていたかなー」と考えたりしました。





「10月生まれ」に・・・一応、カンシャ (^_-)

ワタクシメはワケあって、ずっと「一人っ子」でした。
もしかしたら「一人っ子としての生涯」を送った可能性が高いです。
それが途中から「路線変更」しwww、妹と弟が立て続けに生まれました、なぜか二人とも、10月に。

何十年か経ち、これもワケあって(?)、妹も弟も「子どもは持たない」みたいでしたが、
これまた「路線変更」・・・なのか・・・運命なのか・・・子どもが授かりました。よりにもよって10月に。
その頃ワタクシメは「おばさんの年齢」でしたが、「おねえさん」ぶったりもしていました(*ノωノ)
しかし、福さまと芋助のほぼ同時誕生により、正真正銘のおばさん・だーばぁへと変貌したのでした。

「だーばぁ」については不満がありますが(怒)
10月生まれのきょうだいと、その子どもたちを通し、ワタクシメの人生は良くも悪くも豊かになりました
「良くも悪くも」が問題ですが(泣・笑)、一応は10月生まれの皆々様にカンシャしています。

  ※ ちなみに、オヤジ様も10月生まれ。。。ゲッ●~*


14才の頃のワタクシメ

2-3日前に母校の養護学校(現・支援学校)に行って来ました。
たまたまですが、子ども時代をみつめてきたので、それにも触れたい気持ちもあります。
一方で「封印しておきたい」とも思います。
だから、今回のタイトルに「序」をつけました。

気が向いて、書けたら、チラッとお読み下さい_(_^_)_
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普通の「秋」を過ごしたい (^_-)

2017年11月01日 | 日記
どっかの国の、すてきなお料理 (?_?)

先日、障がい者団体の料理教室に参加し、下の写真のようなご馳走を作って、ガッツリいただいてきました。

写真ではよくわからないかも知れませんが、
左から「パエリア」、「オリジナルカラフルサラダ」、「ポルトガル風ポテトスープ」、
横っちょに居るのはナゼか煎茶(笑)
この「撮影」には間に合いませんでしたが、デザートのプリンも付いておりました。

ポテトスープの表面のピンク色は「サラミ」です。
だーばぁ的には「サラミ=おつまみ」で(笑)、それをスープに入れるとは思いもしませんでした(さすが、ポルトガル!)
緑色は、小松菜の葉っぱの千切り・・・
「ポルトガルに小松菜があるのかな~?」とチョットつっこみたくなりましたがwwwおいしかったです。

料理教室の魅力の中に、食材をいろいろ使えることがあります。
少人数の家庭ではパプリカを何種類も買ったり、紫たまねぎ&キャベツなんぞは一個でも使え切れないんですよね。
それで、
「赤はニンジンでごまかそう」とか、
「ふんはつしてー、たまねぎだけは紫にしよう」とか・・・カラフルな料理を作るためには想像力と決断力が必要 P(^o^)q
「紫キャベツ」に至っては、あまり売ってから「紫キャベツをわざわざ食べる」という発想がないです、ワタクシメ。
サラミをスープに入れるとおいしいのはわかりましたが、サラミソーセージ一本買っちゃったら、毎日「ポルトガル風」しないと賞味期限切れますしぃ。

美味しいものが意外と簡単に作れることはわかりましたが、
    「20人前後の食事だから、あれこれ買いそろえても食べきれるんで、
     自宅でこの通りの食材をそろえるのはむずかしいよね・・・」という話になり、
今回みんなで調理したのは「どっかの国の、すてきなお料理」という所で、オチつきました (^_-)







普通の「秋」を過ごしたい(o|o)


何日か前にココに体調不良のことを書きまして、ご心配をお掛けしました。
ほんとーに危なくなったら書かないし、書けませんので(汗)、「ゲップ・パブパブ」と騒いでいるうちはご安心下さい 多分 _(_^_)_

ときどき襲って来る「ゲップ・パブ」の原因には精神的なこともあるようです。

上記の「料理教室」の時、天気予報では「台風襲来!」
自分自身そんな日に出掛けるのはとっても大変なのですが、運営委員です、ワタクシメ。
「調理」のことは別のスタッフが準備してくれていましたが、ワタクシメは障がい者の仲間をリフトカーで拾っていく役目がありました。
そのメンバーが約束の時間と場所に集合できるか・・・気になるところです。
自力で会場に来る人たちも、台風だと「キャンセル」する可能性もあります。

前日の「台風情報」を見てやきもきしていたら、明け方目が覚めて、二度寝したら寝坊して・・・よくあるパターン。
ヘルパーさんにモーニングケアからお願いしたら、「朝のお約束」が始まってしまいました。
「こんな体調じゃー、料理教室に参加しても食べられないかも・・・」とぼやきながら、調理室の端っこで休ませてもらうつもりで、「お寝んねグッズ」を持参しました。
でも会場に着いて仲間たちとわいわいやっているうちに、テンション上がり(笑)、食事の頃には絶好調!

やはり・・・「朝」が弱いみたいです(涙)

今日から11月.ストーブも出して、真冬並みの「防寒対策」をしました。
それにしても10月は台風が多くて、冷えましたわ。
ヘンですよ(怒)

普通の「秋」が過ごせれば、元気モリモリ・・・は無理でも・・・「モリッ」くらいには回復したいですけどぉ、
今年はうつうつして終わる気も、しなくもない、なっ^m^
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