だーばぁの流儀

児童文学作家・岡田なおこブログです。
全身マヒ+オストメイト・作家・アラ還ならではの日々を気ままにつづっています。

ニコちゃんもお野菜もすくすく育ってね (*^_^*)

2017年05月22日 | 日記
姪っ子の“ニコちゃん”のお誕生日でした ☆彡

この頃「甥っ子@芋助」のことばかり書いていますが、ワタクシメには姪っ子もいます。
弟の娘、長女は「女帝・ふく様」、次女は「女子力ゼンカイ・ニコちゃん」です。

昔からの読者さんは覚えておいでかも知れませんが、ブログ内でのネーミングの由来を書いておきます。

「芋助」は妹の子どもだから「いもちゅん」(笑)
男の子なので「芋太郎」でもよかったんですが、ワタクシメの気分で「芋助」にしました。

「ふく様」は、長年プータローだった弟の夢か実現したとほぼ同時に生まれてきました。
それで「福の神」かと一家全員喜びまして、「福ちゃん」なんて呼んだのが間違えで(大笑)
生まれながらにして、オッタマゲるほどの我がまま娘、「女帝」でした(@_@;)

「ニコちゃん」は、シンプルに「二人目の女の子」だから、そのものズバリ。
ニコちゃんか生まれた頃「魔性の女」という言葉が流行って、何の気なしにワタクシメが「魔性のニコ」と書きましたら、
オヤジ様に「魔性の女はよろしくない 云々」とオシカリをうけましてぇwww
「女子力ゼンカイ・ニコちゃん」にしました。

今にして思えば「幼女力」とするべきでした。
ニコちゃんには、幼女特有の甘ったるさがあったのです。
その「甘ったるさ」から「魔性の女」を連想したわけですが・・・

ニコちゃんは「幼女力」を大いに使い、おねだり姫へと変貌していった時期がありました。
「ほしいものはじーちゃんにお電話して頼むと、クロネコのお兄さん(宅配サービス)が持って来てくれるんだよ」と言ったのを聞いて、
背すじがゾッとしました、ワタクシメ(涙)
ーー世の中、なめるんじゃない!
  この調子で、男をたぶらかす世渡り上手になったら、どうしよう (-"-)

そんなニコちゃんも小学校に上がると、毎年「皆勤賞」をもらったりして、真っ当な道を歩いているようです。
そして、先日、9才の誕生日を迎えました。

ふく様にしても芋助にしても、心配・しんぱい・シンパーイ(汗)
              脱線・だっせん・ダッセーン(涙)が多いので、
せめてニコちゃんだけはごくごく普通のお子さんでいてほしい。無難に育っておくれ・・・とだーばぁは御祈祷したい心境でありますのよ。


プレゼントは栽培セット

ニコちゃんが「おねだり姫」になっていた頃、ママから「誕生日プレゼントはなしで・・・」と言われたこともありますが、
「小学校の間だけは、想い出になる物を贈らせて・・・」と、だーばぁの趣味で、子どもたちのリクエストをプレゼントしていました。
でも今年は特にほしい物がないようでしたから、チョイト頭をひねり「ヤサイ栽培セット」を送りました。

   種まきから1ヶ月~2ヶ月程度でお手軽に栽培できるお野菜です。
   ベランダや日当たりのいい窓際などで栽培しても楽しんでいただけます。
    ↓ ネットショップから写真をお借りしました。
   ニコちゃんに送ったのは、ミニトマト・ラディッシュ・レタス。

途中で飽きて放置しないように、短期間で生育する物を選びました。

メッセージカードには
<お誕生日おめでとう! だーばぁはいろいろ考えて「さいばいセット」を送ります。。
 ニコちゃんもお野菜もすくすく育つように、いのっているよ。 ペケペケペッ>





ニコちゃんから、お礼の電話  Σ(・ω・ノ)ノ!

ニコちゃんに何か送っても直接「お礼」を言われた記憶がありません。
ジーちゃんに「だーばぁにヨロシクネ」と言ったり、
「こんなのだー」と、まとめてジーちゃんに写真を送っているのかも知れませんが・・・

たまにワタクシメは冗談で、
「ニコちゃんはだーばぁが死んでも、葬式に来ないんじゃない?!」と皮肉るくらい、そっけない面があります。
しかし今回は自分からワタクシメの所に電話してきました。
「もしもし、岡田さんですか? 岡田ですが・・・」と、こんな感じ(笑)

栽培セットのヤサイよりもはるかにしっかり、着実に成長しているニコちゃんに触れられて、安堵しただーばぁでありました。





《オマケ》 過去のブログより・・・ニコちゃんの幼女力・・・だーばぁ反省の巻

2012年02月09日(木)  「日記」より抜粋

「ニコちゃん」というのは姪っ子(弟の次女)、もうすぐ4才・・・
姉のふくちゃん誕生により、ワタクシメは初めて「伯母」になりました。
成長の過程はおもしろかったけれど、ワタクシメの障害をどうやって姪っ子に受容してもらうか・・・悩んだりもしました。
ふくちゃんとは葛藤の末、今は「天敵≒仲良し」となり、車椅子のひざに乗せたり、パソコンで遊んだり、童話の書き方をレクチャーしたり・・・とてもいい関係にあります。

一方ニコチャンに対しては、
「ふくちゃんの時、敷いたレールの通りに進むだろう」とタカをくくっていました。
ふくちゃんとの関係が深まれば、自然にニコチャンとも上手くいくという図式で行動していたし、何より「ニコチャンはジーチャンに甘えて過ごすことを望んでいる」と思っていました。

ところが・・・つい先日のニコチャンからの電話で、そうでもなかったことが判明したのです。

ニコチャンは「電話魔」ですが、電話する相手がジーチャンしかいないみたいで(笑)、よく電話をしてきます。
たいてい玩具のおねだり>^_^<
ニコチャンのおしゃべりがおもしろいから、ジーチャンは電話をスピーカーにして、家中に聞こえるようにして話してくれます。

最初は玩具のおねだりやニコチャンの近況報告でしたが、そのうち話題はワタクシメのことになりました。
ニコチャンいわく、
「なおちゃんは、ねぇねとばかり遊んでて、ねぇねのことが好きなんだ(自分のことを可愛がってくれない)」と、うっぷんをぶちまけました。

内容的には他愛もないことでしたが、ワタクシメのことを「なおちゃん」と呼ぶあたり・・・コワッ!

ニコチャンには「ニコチャンのレール」を敷かなければいけなかったと反省しました。
遠まわしにワタクシメに反省を促すところが、ニコチャンの「女子力」ですね~(笑)
これからは「女帝・ふく様」や「マイアミボーイ・芋助」と同じだけ(それ以上に)、「ニコチャンの女子力」についても書いていこうと思います(*^_^*)
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春兆(しゅんちょう)さん、さようなら (T_T)/~~~

2017年05月20日 | 日記
花田春兆さんが逝きました

ーー花田春兆(はなだ・しゅんちょう、本名花田政国〈はなだ・まさくに〉)さんが13日、肺炎のため東京都内の病院で死去したーー

しゅんちょうさんはワタクシメの大先輩。
脳性麻痺で、物書きで、ヘンな人(笑)でした。

人間は誰でも一度は死にますが、しゅんちょうさんは永遠に生き続ける気がしていました。
でも・・・91才で天寿を全うされました。
告別式には車いすの仲間が大勢参列しましたが、その中にしゅんちょうさんも混ざっていて、
「やー、岡田さん。げんきー」と声を掛けてくるんじゃないかと思うほど・・・
ワタクシメには「しゅんちょうさんが亡くなった」実感がありません。

ワタクシメがしゅんちょうさんを知ったのは小学生の頃です。
当時「養護学校の大先輩に花田春兆というスゴイ俳人がいる」と聞きました。
その方から自伝(ウワちゃんとおはるさん―ひとすじに道を求めて (1966年)」を
半強制的に買わされた覚えがあります。

※ この作品は現在「古書」で3万円以上します!
  買っておいて、よかったー。
  オヤジ様がダンシャリで捨ててないことを祈ります(o|o)

しゅんちょうさんのことを思いながら書くと、ついつい冗談が出てしまいます。
とにかく「稀有なおもしろさ」に満ち溢れた方だったので、不謹慎でゴメンナサイ<(_ _)>

身体が不自由でも「書く」という手段があり、それを職業にもできると、
ワタクシメに選択肢を示して下さったのは、しゅんちょうさんだったのかも知れません。


いくつになったら歩けるの (人間の記録)

  ↓ 写真は本の表紙です。





このタイトルはしゅんちょうさんの子どもさんが物心ついた頃に発した言葉です。
歩けない父親に対して、シンプルでピュアで、悲しく残酷な<?>ですね。
脳性マヒは、「障害」の中で最も理解されにくいと思います。
本著に描かれているのは昭和初期から40年代。福祉も肢体不自由児教育も「夜明けの時代」と言えましょう。
戦争をはさんで暗い印象もありますが、しゅんちょうさんにとってはその才能の開花のきっかけを作った時期です。

「俳句」は五・七・五の一七文字で表現する文芸ですから、筆記に不自由な者には「モッテコイ!」なジャンルとされていました。
タイプライター・ワープロ・パソコン・・・様々な機器に囲まれていてもちゃんとした物が描けないワタクシメもいますから(恥)、
「俳句」でなくても、しゅんちょうさんなら自己表現・自己実現なさったことでしょう。
現に随筆や評論など何冊もご本を執筆されました。



「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年9月号 文学にみる障害者像より一部転載

花田春兆著  『日本の障害者―その文化史的側面』 岡本明

花田春兆さん。ご存知の方も多いと思うが、俳人、作家、歴史家、障害者運動家、障害者団体のリーダーなど、多くの顔がある。
どの顔も一流の輝きがあり、86歳の今もその輝きが衰えることがない。

春兆さんは日本の障害者史をまとめ上げることをライフワークの一つとしておられ、本書はその結実のひとつである。
本書以前には『鬼気の人―俳人富田木歩の生涯』、『心耳の譜―俳人村上鬼城の作品と生涯』、
『殿上の杖―明石検校の生涯』、『幽鬼の精―上田秋成の作品と生涯』など、
障害がありながら一家を成した先人の業績をまとめた傑作がある。
また『日本の障害者・今は昔』では、埋もれてきた障害のある人たちの歴史を追って堀り起こし、本書の原型ともなっている。
春兆さんは本名政国。1925年、官吏だったお父上の任地である大阪に生まれた。出生時にはとくに障害も見当たらず、元気な子だった。
しかし、いつまで経っても首がすわらず這いもしないのでいろいろ調べてもらった結果、脳性小児まひという診断を受けた。
後に家族で東京に移り、以後、東京港区在住である。
言語障害、歩行不能で、就学猶予の名のもとに小学校入学を拒否されるが、
9歳のとき、わが国初の肢体不自由児学校である東京市立光明学校(現都立光明特別支援学校)に入学した。
小学課程を卒業後、研究科に進み、このとき文学、俳句を学び、今日の基礎が築かれる。
ーー中略ーー
俳句では俳誌「萬緑」に参加し中村草田男に師事、第1回萬緑新人賞受賞、角川俳句賞推薦、俳人協会全国大会賞受賞、萬緑賞受賞など輝かしいものがある。
春兆さんは、国際障害者年日本推進協議会(現・日本障害者協議会)副代表、総理府障害者対策推進本部参与、港区障害児・者の豊かな生活をすすめる会会長、
NPO法人「風の子会」(通所生活実習所)会長等を歴任し、国際障害者年記念総理大臣表彰、朝日社会福祉賞受賞ほかの受賞歴がある。
また天皇陛下の「園遊会」に招待されるなど、その業績、活躍は広く認められている。

この続きはここから、どうぞ(^.^)


さようなら、しゅんちょうさん (T_T)/~~~

春兆先生。
あなたの周りの人は皆、共に過ごせたことに感謝しています。
長い間ありがとうございました。
ゆっくりとお休み下さい。
あちらに行ったら、奥様と仲よくね(*´з`)
ご冥福をお祈りいたします。

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「文科省のウソつき―!」 ●~*

2017年05月17日 | 日記
お借りした「カーネーション」の造花  ↓

前回ココに書きました・・・
         母上の病室には生花を飾れないので、妹@メーコがバイト先でカーネーションの造花を借りてきた・・・
あの一件について、まず書きます。




確かにカワユクてお手頃サイズですが、「お借りする」という発想がアメリカンですわねぇwww
ワタクシメなら「ブリザーブドフラワー」を買いますけど (^_-)

あっ。弁解しておきますが(笑)母上の病院は私物もあまり持ち込めないので、写真や「出土品?」は見せるだけです。
お見舞いで、お花とか装飾品をいただいた時も、母上に見せてら持ち帰るんです。
そういう状態なので、ワタクシメは「母の日」なのに手ぶらで見舞いに行ったわけです。
「ケチ」ったんじゃないですよ~゜・_・゜~

メーコ流の「借りる」というやり方は、ナイス! ですが・・・
「バイト先の店に飾ってあって物を拝借する」とは、恐れ入り谷の鬼子母神(これまた古いか・笑)

お借りするまでのイキサツを聞きましたところ、「バァバにもお花を持って行こう」と言いだしたのは芋助のようです。
脳のMRを撮ったら「スケボー」が写っていそうな芋助ですが、「母の日にはカーネーション」という優しさは残っていたのでした!
ママのためなら入ったことのない「花屋」で、カーネーションのアレンジを買って来たり・・・反抗期がウソのようです。

  芋助にしたら、 <それはソレ> <これはコレ> なのでしょうね^m^

一方メーコですが、パートの立場で、「店内装飾用の造花を貸して下さい」と、よくもまー、頼めたものです。
お店が閉店した後なら、まだしも、「営業中」ですよ~。
まだ「母の日」は終わってないんですよwww

  ワタクシメは気が弱いから、とても出来ませんね(爆)

メーコの「やること」もアメリカンだし、自分のペースに周りを巻き込む魅力(メーコマジック)があるのだと思います。

オヤジ様は口を開けば「あの二人の先行きが、心配だ、心配だ、心配だ」と連呼していますが、
”ヒューマン“を売りにして、生き抜くことでしょう(祈)


「帰国子女」と障がい児は似ている


芋助を通して、ワタクシメも少しだけ「帰国子女の現実」がわかってきました。
日本に戻る半年位前にメーコは芋助が入れそうな「インターナショナルスクール」をいくつか目星を付けていました。
インターナショナルスクールというのは、本来は「その子の母国語で教育する機関・施設」のようですが、
一般的には「英語により授業が行われ、外国人児童生徒を対象とする教育施設」、となっています。
でも近年の「グローバル化」の流れで、外国人や帰国子女に限らず、「インターナショナルスクール」を選ぶ家庭が増えてきている、
つまり「オジュケン校」となっているそうです。

芋助の場合、「中1からの進学」であれば選択肢は多かったのですが、「中2での編入」のため、受け入れ校が少なく、ハードルが高くなりました。
昔は区内の公立校で「帰国子女クラス」を設けていた学校もあったのに、
現在は「比較的帰国子女が多い地域」というだけで、「帰国子女のための配慮はしていない」とのこと。
それで「プータロー生活」が長引いてしまったのです。

芋助の名誉のために記しますが、彼は「英検2級」は取れました(ワタクシメの記憶が正しければw)
編入試験は全敗だったのは、単におバカだったのではなく、「日本流のオジュケン」ができなかったのだと思います。

私立校が受からず、公立校でも「配慮はしない」と言われたので、徒歩圏にある学校に入ることにしました。
近くに公立中学が二校あって、一番近い所は「NG」でしたが(理由は定かではありません)、
小規模校の方は「welcome」で、まったり楽しい中坊に落ち着きました。

障がい児の場合、「インクルーシブ教育」とかなんとか・・・カッコイイ理想を掲げていますが、
「地元の学校に入れなかった」とか、
その逆に「特別支援学校の方が安心」とか、
ケースバイケースで義務教育を受けるのも平坦な道ではありません。

「インクルーシブ教育」といいますのはーー
子どもたち一人ひとりが多様であることを前提に、障害の有無にかかわりなく、誰もが望めば自分に合った配慮を受けながら、
地域の通常学級で学べることを目指す教育理念と実践プロセスのこと。
「一人ひとり丁寧に」と「みんなで一緒に学ぶ」の両方の実現を目指す教育理念であるといえます。
「inclusive」=「包括的な」「包み込む」という意味。すべての子どものための教育という意味で使われています。
  ザックリ、以上です。

しかし、日本の学校教育の現実を考えたら、こんな理念は「理想」のそのまた「理想」であります。
「すべての子ども」ならば、芋助も含まれますから「包み込んで」ほしかったです。

幸い、芋助は「地域の皆々様」に暖かく包み込んでいただき、勉強以外(泣)のことはうまくいっていますが・・・

前々から「インクルーシブ」と聞くと、がチンときてたんです、ワタクシメ。
そこに芋助の学校問題が浮上して、尚更「文科省のウソつき―!」と自信を持って怒っております●~*

次から次へと心配事は勃発しますが、ママとバァバにカーネーションを贈った芋助をほめたたえ、
しばらくは心安らかに過ごしたいだーばぁであります(#^^#)












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「母の日」にはカーネーション

2017年05月16日 | 日記
「大丈夫よ」と言うしかないじゃん.。o○


この前ココに書いた通り、MIAMIからやってきた甥っ子@芋助はチョー反抗期だし、中途半端な「帰国子女」だし、
ノーミソの大半は「スケボーのこと」に支配され、見事なまでに勉強してなさそう~゜・_・゜~
何だかんだとお駄賃をちょろまかしたり、ワタクシメからは「恐喝か?!」ってくらいの勢いで、小遣いをせびったりして(笑)
スケボーにつぎ込んでいるようです。

ーージーちゃんは芋助の将来を考えると、ぞわぞわしてくる。眠れないほど心配しているんだ!

「大丈夫よ。まだ13才だし・・・」とワタクシメが言うと、
「なおこはお父さんを励まそうとして、そう言ってるのだろうけど、
13才という大切な時期に、こんなことしてたら『大丈夫』ではないんだよ・・・泣」。

こういう会話を繰り返してるのでごじゃる。

妹のメーコに関しても同様です。
メーコは子どもの頃から気分にムラがあり、生活も不規則。
食事も十分摂らず、ビールで生きている時もあります(苦笑)
家事全般じょうずなのに、気分がオチルと、部屋がぐちゃぐちゃ(/ω\)

「規則正しく、美しく」のオヤジ様とは、水と油のごとく違うのです。
ワタクシメも若い頃は「掃除しないなら、全部捨ててやるー」と、不自由な体をはった、すさまじいケンカもしました。

でも最近は・・・
餓死しないんだから「大丈夫」よ・・・とか、
部屋は散らかってても身なりはキレイにしてるから「大丈夫」よ・・・と、ワタクシメも寛大になりましたわぁ。
メーコと付き合うためには「寛大になる」しかありません(笑)

たぶんメーコも、同じことを思っていることでしょう(大笑)

まーさ、
メーコにしても、自分で選んだ道とは言え、異国で暮らし出産し育児、そして仕事も、諸々つらかったんじゃないですか?
だから芋助を連れて戻って来たんだから、「リハビリ期間」は必要ですよ・・・と、ココでは物わかりの良い姉に成りすましておきます (*^_^*)

メーコと芋助は「日本人」であって日本人ではありません。
だからひとつ屋根の下で生活すのは、モノスゴークむずかしいです。
だけど「家族だから大丈夫」と信じて見守るしかないのです。

ーー信じる者はすくわれる。    合掌。(^人^)


やっぱり「母の日」にはカーネーションだよね 

母上が人工呼吸器をつけ寝たきり状態になって2年目です。
病院は「私物の持ち込み禁止・特にナマモノは絶対ダメ」となっているため、病室に花を飾ることも許されません。

母の日にワタクシメも見舞いに行きましたが、途中で可愛いカーネーションを見ると、買いたくなって悲しかったです。
母上はチョット反応が悪く、ベッドサイドでオヤジ様と話す事と言えば「メーコと芋助の先行き」ばかり。
詰まる所、ため息 ('ω')

ゆううつな気分になり、ワタクシメが一足早く帰宅すると、芋助の自転車がありました。
ところが家の中はもぬけの殻。
メーコがバイトの日なので、仕事の後で芋助を連れ、病院に行ってくれることがあります。
「母の日だから、行ったのかなーと(行ってくれるといいなー)と思いメールすると、ビンゴ☆彡

ーー今、病院。
  ジーちゃんも帰った後に到着。
  バイト先の店で、飾ってあったカーネーションの造花をわけてもらっていたら遅くなっちゃった。
  買い物しながら、かえりますーーとのこと。

  泣けるぜ、メーコ (ノД`)・゜・。


そして、夜。
母屋に行くと、テーブルの上に可愛いカーネーションのアレンジが載っていました ↓






芋助が花屋に行き、「お母さんにあげる花で一番安いの下さい」と言ったそうです。
でも、そこは「アレンジが売り」の店だったので、安いといっても1500円。
芋助にとっては大金です。
どんな気持ちで買って来たのかしらね(?_?)
その前に、おしゃれな花屋に入っていく芋助を想像すると、だーばぁは涙が出ちゃうよ。

メーコも芋助ももんもんしていて、本当はだーばぁだって「大丈夫」とは思っていないけれどwww
母の日にカーネーションを準備してくれて、ありがとう💛

どんな状態であれ、母上がいてくれるから、家族の絆が結ばれるのかも知れません。

いつか「あの頃は・・・何だったのかね~」と、一緒に笑える日が来ることを、せつに願っています。












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絵本な一日

2017年05月11日 | 日記
ランチをしながら作戦会議 φ(..)。。・・゜・。

ココにも何度か書きましたが、昨年の夏頃から自主制作で「絵本」に取り組んでおります。
エディターをお願いしたハルコさん(師匠)は超ベテランなので、未熟なワタクシメが改稿に悩んでいると、
「お餅をこねるように、ゆっくりこねれば、名案が天から降りてくる」と励ましてくださいます。

ーーここまで生きてきた集大成になるような「絵本」を創りたい!

と、ワタクシメのわがままで、あちらこちらにご迷惑を掛け、お世話になっております。

「私家版」のつもりで始めましたが、ハルコさんに「売り込もう」と背中を押され、「売り込み活動」を開始しました。

今日はその「作戦会議」。
気分を変えてランチを食べながら・・・   

我が家のすぐそばにある「謎の隠れ家@ユウミン・笑」。
先月「おば友」の食事会で使ってから、店主の”ユウミンさん“によくしていただき、すっかり「常連気分」で、
日替わりランチを食べてきました(^O^)

障がいがあるお陰で、「親切なお店・良心的な人たち」はワタクシメのことを気に掛け、
多少の段差や、もろもろ使いにくい所は配慮してくださるので、とても仲良くなれて、楽しい時間を過ごすことができます !(^^)!
感謝です💛


「絵本」って、奥が深いよねー

近頃、こればかりつぶやいてますね、ワタクシメ(笑)
デビュー以来、主に「長編・中編」を描いていたせいだと思いますが、「短編」それも「絵本」となると、ほんとーに組み立て方が違い、
おもしろいけれど、むずかしいです。
他愛のない「日常」を切り取り、シンプルなドラマを創るのって・・・ルービックキューブ並みに難解ですーー例えが古いね・恥 (/ω\)

でも、読み手はきっと、作家の試行錯誤や悪戦苦闘など想像もせず、
作品に触れることで、自分自身が「想像の世界」をふくらませることでしょう。
それが「絵本の魔法」「作品の力」なのだと思います。

「絵本」つながりの出会いもありました(*^_^*)

前回ーー「絵本」に求められるモノは「共有ツール」となる素材で、コミュニケーションに発展する内容なのかも知れませんーーと、
えらそうなことを書いたけど・・・本日はお日柄もよかったようで(?)、それを実践する出来事があったので、記しておきます。

ユウミンさんで原稿などを広げ、
「ここは直そうか・・・そしたら、こっちは?」と師匠と相談していたら、
「なんですか?」とユウミンさん。
「かくかくしかじか 云々」とワタクシメの壮大な企画をお話しすると、
「ニジノ絵本屋ってご存知ですか? すぐそこにある ペケペケペッ」と新たな展開です。
ずいぶん前から我が家の近所にあったそうですが、単独の看板が出ていなかったのか、全然気が付きませんでした、ワタクシメ。
店舗を引っ越しリニューアルオープンしたとユウミンさんからお聞きし、
「ちょっと足を延ばそうか」という話になり、場所の確認をしていたら、ワタクシメたちの隣の席の方が、
「あのー、私、『ニジノ絵本屋』の者ですぅ」。
  ドヒャwww

こういう流れになれば「行くっきゃない」し、「買うっきゃない」ですよね (*^^)v


ちょうど ↓ 「おじさんとつばめ」の原画展が開催されていて、作者の“まつどふみこ”さんもいらして、
おしゃべりしながら、原画を鑑賞してきました。



【日本語&英語】バイリンガル絵本「おじさんとつばめ」
   ~ あなたの住む町に、つばめは 飛んできますか ~
春になると、お父さんつばめとお母さんつばめは、 遠い南の国から子育てをしに、東京下町へやって来ます。
車の整備工場のおじさんは、シャッターに穴をあけてつばめが来るのを待っていました。
都会での子育ては、エサになる虫や巣を作れる場所も減って、とても大変です。
応援するおじさんと、がんばるつばめの家族のお話が始まります。



様々なスタイルの作品、スタンスの違う作り手がいて「正解」はありませんが、
ページを開く小さな動作で、世界が広がるのが「絵本」だと考えております。
ワタクシメの拙なる気持ちが大きくなっていくような作品を創れたら嬉しいです!


ニジノ絵本屋のHP

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