樹木希林さん 5月16日放送の『徹子の部屋』の画像 ↓
9月15日、女優・樹木希林さんが逝かれました。
前回ココに書きましたが。ワタクシメが「気分的には喪に服す」原因の一つは希林さんが亡くなられたことであります。
晩年の希林さんは「女優」を超えた・・・いや「人間」を超えた生き物で、素晴らしかったから。
ワタクシメは希林さんが「悠木千帆」と名乗っていたころから知っており、
子どもの頃は「おもしろい人・おかしな人」として楽しませていただき、
大人になってからは「味のある役者だなー」と感心して見ておりました。
亡くなられてから「追悼」を書きたい、せめて一言つぶやきたかったのですが、
「追悼番組」を見て想い出がよみがえるにつれ、その存在の不思議さが増すばかりで、心の内を表現できずにいました。
”死“へのプロモーション
5月頃、映画『モリのいる場所』公開に合わせたプロモーションで、あちこちの「トーク番組」に出演されていた希林さん。
天上人っぽくなった希林さんが、たまに外界へ降りてくると、それだけで「プレミア」でした。
でも「徹子の部屋」だけは、映画のプロモーションに留まりませんでした。
旧知の仲であるお二人だから許される「ブラックトーク」がさく裂(笑)
そして、希林さんがとてもきれいに映っていました。
終活の話題から、
「私が死んだ時は『徹子の部屋』の追悼特集で出してほしい」と珍しくしおらしい希林さんに対し、徹子さんはいつも通りキャンキャンと
「私が先になったらあなたがね、上手に弔事を言えるかしら」
「言えない」とサラリと流す希林さん。
「そうよ、あなた何言うかわかんないから嫌だわ。私はちゃんと送る言葉を言えるけど・・・」
最終的に「徹子さんは10才とし上であるけれど、希林さんより先には死ねない」と、爆笑トークとなるのでした。
「癌が全身に転移して、いつどうなるかわからない」と深刻な状況を話す希林さんも、
それを受け止める徹子さんも、真剣なのですが、浮世離れしていて、ぽわぽわしたトークでした。
お二人とも近い将来「死」が待っていることを承知していて、最後まで互いのキャラは崩さずに、「徹子の部屋」を演じていたようにも思えます。
今にしてみれば、あの日の「徹子の部屋」は、希林さんの“死”へのプロモーションだった気もします。
「精霊」になった希林さん
先に「天上人」と表しましたが、希林さんには「天上人」は似合わないかなーと・・・しっくりハマる言葉を探していましたワタクシメ。
いっとき「妖怪」に思えた時期もありましたが(笑)
神々しさを帯びてきたのは癌を患い命のカウントダウンが始まってからではないでしょうか。
「老女役」もおばあさんを演じるだけでなく、持っているすべてを捨象することによって「老いていく姿」を表現されていました。
「天上人」は下の人を導くわけですが、希林さんは隣人に「そんなもの要らないのよ。捨てたら楽になるわ」と語りかけていた感じです。
人通りの少ない雨上がりの道で、キンモクセイの香りがしたり、雲の切れ間の青空や、鳥が急に羽ばたく様子を見て「精霊」というフレーズが浮かびました。
「捨象しても存在できる・何気なく生業し続ける」って・・・それが生きること。「精霊」の仕業かしら (?_?)
ワタクシメはどんなモノにも「精霊」は宿っていると信じるタチです。
土地や樹木・草花や石など自然界のモノはもちろんですが、身の回りのモノや、無機質なモノにも・・・「精霊」がいて、
何かシグナルを出してくれていて、それを感じ付いて行けば、行くべき所に辿り着けると思うのです。
希林さんが「精霊」になったのか、「精霊」が希林さんの体を借りたのかわかりませんが、
数々の映画に出演し、スクリーンの中の芝居やセリフに心打たれた人は世界中にいることでしょう。
「精霊」だから肉体は亡くなっても、魂は永遠に残ります。
これからも樹木希林さんが遺した作品に、ワタクシメは励まされるに違いありません。
ありがとうございました。
ゆっくりお休み下さい。
合掌
9月15日、女優・樹木希林さんが逝かれました。
前回ココに書きましたが。ワタクシメが「気分的には喪に服す」原因の一つは希林さんが亡くなられたことであります。
晩年の希林さんは「女優」を超えた・・・いや「人間」を超えた生き物で、素晴らしかったから。
ワタクシメは希林さんが「悠木千帆」と名乗っていたころから知っており、
子どもの頃は「おもしろい人・おかしな人」として楽しませていただき、
大人になってからは「味のある役者だなー」と感心して見ておりました。
亡くなられてから「追悼」を書きたい、せめて一言つぶやきたかったのですが、
「追悼番組」を見て想い出がよみがえるにつれ、その存在の不思議さが増すばかりで、心の内を表現できずにいました。
”死“へのプロモーション
5月頃、映画『モリのいる場所』公開に合わせたプロモーションで、あちこちの「トーク番組」に出演されていた希林さん。
天上人っぽくなった希林さんが、たまに外界へ降りてくると、それだけで「プレミア」でした。
でも「徹子の部屋」だけは、映画のプロモーションに留まりませんでした。
旧知の仲であるお二人だから許される「ブラックトーク」がさく裂(笑)
そして、希林さんがとてもきれいに映っていました。
終活の話題から、
「私が死んだ時は『徹子の部屋』の追悼特集で出してほしい」と珍しくしおらしい希林さんに対し、徹子さんはいつも通りキャンキャンと
「私が先になったらあなたがね、上手に弔事を言えるかしら」
「言えない」とサラリと流す希林さん。
「そうよ、あなた何言うかわかんないから嫌だわ。私はちゃんと送る言葉を言えるけど・・・」
最終的に「徹子さんは10才とし上であるけれど、希林さんより先には死ねない」と、爆笑トークとなるのでした。
「癌が全身に転移して、いつどうなるかわからない」と深刻な状況を話す希林さんも、
それを受け止める徹子さんも、真剣なのですが、浮世離れしていて、ぽわぽわしたトークでした。
お二人とも近い将来「死」が待っていることを承知していて、最後まで互いのキャラは崩さずに、「徹子の部屋」を演じていたようにも思えます。
今にしてみれば、あの日の「徹子の部屋」は、希林さんの“死”へのプロモーションだった気もします。
「精霊」になった希林さん
先に「天上人」と表しましたが、希林さんには「天上人」は似合わないかなーと・・・しっくりハマる言葉を探していましたワタクシメ。
いっとき「妖怪」に思えた時期もありましたが(笑)
神々しさを帯びてきたのは癌を患い命のカウントダウンが始まってからではないでしょうか。
「老女役」もおばあさんを演じるだけでなく、持っているすべてを捨象することによって「老いていく姿」を表現されていました。
「天上人」は下の人を導くわけですが、希林さんは隣人に「そんなもの要らないのよ。捨てたら楽になるわ」と語りかけていた感じです。
人通りの少ない雨上がりの道で、キンモクセイの香りがしたり、雲の切れ間の青空や、鳥が急に羽ばたく様子を見て「精霊」というフレーズが浮かびました。
「捨象しても存在できる・何気なく生業し続ける」って・・・それが生きること。「精霊」の仕業かしら (?_?)
ワタクシメはどんなモノにも「精霊」は宿っていると信じるタチです。
土地や樹木・草花や石など自然界のモノはもちろんですが、身の回りのモノや、無機質なモノにも・・・「精霊」がいて、
何かシグナルを出してくれていて、それを感じ付いて行けば、行くべき所に辿り着けると思うのです。
希林さんが「精霊」になったのか、「精霊」が希林さんの体を借りたのかわかりませんが、
数々の映画に出演し、スクリーンの中の芝居やセリフに心打たれた人は世界中にいることでしょう。
「精霊」だから肉体は亡くなっても、魂は永遠に残ります。
これからも樹木希林さんが遺した作品に、ワタクシメは励まされるに違いありません。
ありがとうございました。
ゆっくりお休み下さい。
合掌