旧暦の12月24日までには屋敷のウガンをしなければならない。
と、いうのは母の教えだった。
母が生きていたときには、毎年母がウガンをやってくれていた。
保育園の屋敷を守っている神々に感謝の祈りを捧げるのである。
母の後ろから、わたしは、ただお盆に供え物を並べて線香を持って
ついていき、手をあわせていた。
母は一心に手を合わせてブツブツと唱えながら頭をさげていた。
ウチナー口で神様に話しかけて、感謝していたのである。
母が亡くなり、それが途絶えた。
しかし、去年はヒヤッとしたことが幾つもあり、
ウガンをしていなかったからではと、心苦しかった。
そこで今日職員全員で屋敷のウガンをしたのである。
ひまわり組の子らも丁度庭に居て、
小さな手のひらを合わせて「ありがとうございました」
「よろしくおねがいします」と唱えた。
気の持ちようかもしれないが、やっぱり、ウガンを済ませたという
安堵感がいまある。
これだけの子どもたちの安全祈願である。
何をおいても大切なこと。
正月には神社にもいったが、身近な祈願は大切だ。
みどり保育園の屋敷を、見守っている神様ありがとう。
と、いうのは母の教えだった。
母が生きていたときには、毎年母がウガンをやってくれていた。
保育園の屋敷を守っている神々に感謝の祈りを捧げるのである。
母の後ろから、わたしは、ただお盆に供え物を並べて線香を持って
ついていき、手をあわせていた。
母は一心に手を合わせてブツブツと唱えながら頭をさげていた。
ウチナー口で神様に話しかけて、感謝していたのである。
母が亡くなり、それが途絶えた。
しかし、去年はヒヤッとしたことが幾つもあり、
ウガンをしていなかったからではと、心苦しかった。
そこで今日職員全員で屋敷のウガンをしたのである。
ひまわり組の子らも丁度庭に居て、
小さな手のひらを合わせて「ありがとうございました」
「よろしくおねがいします」と唱えた。
気の持ちようかもしれないが、やっぱり、ウガンを済ませたという
安堵感がいまある。
これだけの子どもたちの安全祈願である。
何をおいても大切なこと。
正月には神社にもいったが、身近な祈願は大切だ。
みどり保育園の屋敷を、見守っている神様ありがとう。