やっと、春めいてきましたね。道志は今季は3回ほどの積雪があったのでしょう。
春になれば、笑顔が似合います。
まさに、「怡顔」(いがん)の気持ちになれます。
「怡顔」(いがん)草書体です。
いまの季節ですと、「花ほころぶ 君の怡顔に 春ひら」なのでしょうか?
漢詩風の一句(五言絶句調)では、春風拂面怡顔笑(しゅんぷう めんをなでて いがん えむ)
春の風が頬をなで、にこやかな笑顔がこぼれる・・・。
*我が家の桜と甍です。
友人の内田藍亭(征志)先生は桑原翆邦先生(天皇陛下のご幼少のころ、書道の先生だった方)の門下生です。そうして見ると私はず~っと下流の門流になるのでしょうか?
ある飲み会で、以前いただいた「笑顔」という字を揮毫して欲しいとお願いしていました。
*蹲(つくばい)に桜の花が・・・。
昨日、その作品「怡顔」と「笑顔」が届きました。ありがとうございます。
先ずは「怡顔」(いがん)大意ですが「にこやに楽しむ」です。見る人をふっと和ませる力がある。墨のにじみ、筆の流れ、そのすべてに"やわらかな笑み"が宿っているようで、見ているうちに、こちらの顔までほころんでしまいます。
書とは、まさに「心を映す鏡」なのかもしれません。
「怡(い)」は「心がやわらぐ」「穏やか」「楽しむ」といった意味を持つ漢字です。また、中国古典では、「怡」は心がゆったりとして喜ぶさまを表す語としてよく登場します。
揮毫された出典は、晋・陶潜[帰去来の辞]とありました。
『論語』にも「君子は怡然として楽しむ」というような表現があります。
*梅と桜の紅白に見えます。
「顔(がん)」は言うまでもなく「顔つき」「表情」という意味になります。つまり、「怡顔」とは:心が穏やかで、その心が表情にもあらわれた状態→ 「にこやかな顔」「和やかな笑顔」というイメージなのでしょう。
いまの世相では「怡顔」(いがん)という言葉が見当たりません。
私自身、これからの残り少ない人生を「怡顔」(いがん)の大意のように「にこやかな顔」「和やかな笑顔」で暮らしたいと願っています。
そして、家内へと「笑顔」を短冊用にして揮毫してくださいました。以前もいただきましたが、居間に飾って置きましたので再度お願いしたのです。家内の好きな言葉でまさに読んで字のごとしです。
以前、揮毫していただいた「笑顔」です。
菜の花も咲いています。やっと笑顔で迎えられる春になりましたね。
今週末には道志に入る予定です。
Hiro