九州から西日本、そして甲信越(東京も含む)で豪雨災害が発生しています。
関係機関は身の安全の確保・早期の避難を出しています。
私自身、何十年もこの地(東京の住まい)で生活していますが、山なし、川なし、地盤も比較的強固(関東ローム層上)ですので、安全な地域だと認識しています。
市のハザードマップで確認しても、水害が起こる地域では無いようです。
先日の大雨で20cmほど庭が冠水していましたが、雨水も直ぐに引けて一時的なものでした。
したがって、安全だと思い安心しています。
きっと、こんな気持ちがまさかと思うような災害を受けるのかも知れません。
今回は「安全と安心の違い」 を雑学ですがご紹介いたします。
これも以前勤めていた企業で社員に配信したものです。
こんな違いは百も承知だと思いますので若い方々に対して、再確認のために配信したものです。
「安全と安心の違い」です。
私たちも現場の作業など機会あるごとに、「安全と安心、そして安定」などと使います。
先ず、「安心」から説明いたします。
安心とは読んで字のごとく、「心が安らぐ」ことです。
心は人間の中にあります。
つまり、主観的なものです。
次に「安全」どはです。
安心が主観的であるのとは反対に客観的な事実を指します。
家庭では「お父さんはいつも安全運転をしているので、安心して乗っていられるな」となります。
つまり、安全な状態であっても人は不安を感じ、安心できても安全では無い場合があります。
安心と安全を混同せずに客観的な事実を確認・検証し「安全と安心」をもう一度考えることが大事です。
安全とゼロリスク(絶対的な安全)
安全は必ずしも絶対的な安全(絶対安全)、危険が全くないゼロリスクを意味しているわ けではありません。
通常は危険が小さいことを意味しています。
安全ではないのに安心と思い込むことは大変危険で、人命や財産に関わる問題となることがあります。
分かり易く言うと、各関係機関から避難するよう指示情報があっても、今まで起こったことが無い。
よくテレビ映像などで見るけど、我が家には起きっこ無い(無関係?)。
これだけの豪雨が続き、裏山も水を含んでいいるのに・・・。
実際には「安全」ではないにもかかわらず、なぜか「安心」と思ってしまうと、危険に巻き込まれてしまうことがあります。
自分は大丈夫、まさか自分の身に危険が及ぶことはない、と「安心」を「安全」と誤解してしまう可能性があります。
コロナ感染拡大も同様だと思います。
自分は小まめに消毒やマスクを付けコロナ対策は十分に行っている。
また最低限の自粛生活をしているから安心だ!
しかし、これだけの感染拡大を考えると、安心だと思っている日常生活は安全ではないと感じるのです。
安心が主観的であるのとは反対に安全は客観的な事実を指します。
「安全と安心の違い」ご紹介をいたしました。
道志へ行く山道も落石や土砂崩れで通行止めになる時もあります。
2年前も豪雨で通行止めになり、道志に入るにも難儀しました。
水源の谷も土砂が崩れて、ワサビ田が壊滅いたしました。
今回の大雨で道志もどうなっているかが心配です。
安全で安心して道志に入れると良いのですがね。
Hiro