自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

モノが無いのに笑顔はあった

2020年03月11日 | なかま道志

歌を忘れたカナリヤではないですが、最近、腹から笑うことが少なくなりました。

こんなにモノが豊富で、いろいろな情報も入るのに・・・です。

テレビを見ても、必要以上の情報(映像)を目にします。

外国の事故の模様や瞬間映像などは、知らなくても(放映しなくても)良いのにと思います。

もっと、身近で起きているポジティブなモノなら良いのですが・・・。

ネガティブな情報が自然と体に沁み込んでいるような気もいたします。

現在も不満は無いのですが、大満足でもない暮らしです。

オヤジが撮ってくれた、井の頭公園で妹とアイスクリームを美味しそうに食べている私です。

きっと65年くらい前の模様です。

あるのはラジオだけ、ましてテレビなどは無い時代です。

しかし、子どもたちは素直な生活をしていました。

遊ぶ道具?は自分で作ったり、そこらの棒切れで刀代わりにしてチャンバラごっこをしていましたね。

想像力や発想力が自然と育っていたのです。

小学校の先生が撮ってくれた写真ですが、笑えと言って撮ったものではありません。

自然と笑顔がこぼれているのです。

なんで、こんな自然な笑顔になるのでしょう?

みなさん良い顔をしています。

おばや姉さまも一緒に遊園地の乗り物に乗っています。

今のような凄いジェットコースターではありません。

でも、心から楽しんでいる様子が伺えます。

私も72歳近くになり、妹も還暦?姉さまは私より6歳上です。

3人もそれなりの年齢になりました。

母も97歳で施設でお世話になっています。

会いたくても、コロナウイルスの関係で面会できないことになっています。

千葉の鋸山の茶屋だと思います。

美味しそうにアイスキャンデーを食べています。

今では、街中には美味しい食べ物屋さんはたくさんありますが、何でこのアイスキャンデーの味を覚えているのか分かりません。

飽食?全てのモノが満ち溢れているせいかも知れません。

何不自由無い生活が、腹から笑うことを無くしてしまったのでしょう。

人付き合いや近所づきあいも少なくなりました。

逆に少なくしようとしている自分がいます。

苦労の連続だったのでしょう。

しかし、そこに喜びもあって、この笑顔になっています。

ほんと心からの表情です。

ごく自然な写真です。

大事に、そして可愛がられた女房の一枚です。

一家団欒とはこのことを言うのでしょう。

三つ子の魂百までもと言うことわざもあります

三歳ごろまでに形成された性格は百「歳まで変わらない、という意味を持つことわざです。

また、「心の有り方は三歳までに決まる」とされています。

お蚕さんの作業(世話)中だと思います。

ご近所での共同作業の一コマです。

決して裕福でない生活だと思いますが、愛情たっぷり育てられて来たのでしょう。

心の優しい人になっています。

こんな写真をアップすると女房に怒られるか知れません。

でも、この自然な笑顔をご紹介したかったのです。

結婚以来、47回お互いの両親にお礼の電報を送っていました。

私の母は施設に入り、女房の母親は突然でしたが昨年他界しました・・・。

もうすぐ結婚48年目が近づいていますが、今年でお礼の電報を終えることにいたしました。

これも時代の流れなのでしょうか?

人って、何も無い方が幸せを感じ、心から笑えるのかも知れませんね。

人類にとっても大変な時代に突入しているのでしょう。

今日の道志は穏やかな日になってます。

草取りを半分終えました。

 

Hiro