俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

痒覚

2016-01-08 10:18:58 | Weblog
 虫に刺されて痒く感じることは好ましい反応だ。もし痒くならなければ刺されることを余り嫌がらなくなって多く刺されることになる。それは感染症の危険性を高める。
 蚊に刺されて痒くなる人とならない人がいた場合、前者は刺されまいとするが、後者は多く刺されて感染症に罹り易い。痒くなることは環境に対する適応だ。
 痒み止めを虫刺されの薬だと思っている人がいるが大間違いだ。痒みは虫刺されに対する警鐘だ。痒みを抑えることなど二の次・三の次だ。感染症に罹らないことこそ大切だ。大の虫と小の虫を取り違えている。
 無痛症という先天的異常がある。生れ付き痛覚が充分に機能しない。痛くなければ便利だなどと思ってはならない。痛みに対する恐怖が無いために無鉄砲になり易く怪我を軽視するために殆んどの人が50歳までに死ぬそうだ。
 痛みも痒みも警鐘だ。痛みや痒みを誤魔化すことが治療ではない。最も重要なことは重篤化させないことであり、不快感に対しては症状ではなく原因に対処せねばならない。警報器の電源を切っても問題は解決しないし目覚まし時計のアラーム音に怒るべきでもない。
 鎮痛剤が怪我の痛みを押さえてもそれで怪我が治る訳ではない。怪我の状態を放置したままで酷使すれば怪我は悪化する。手術時の麻酔のように期間限定で使うべきものだ。鎮痛剤を治療薬だと思っている医師がいるとは全く困ったことだ。
 忠告や諫言は痛みや痒みと似ている。その時は不愉快でもそのことによって問題点を知ることができる。痛覚や痒覚のようなものとして感謝すべきだろう。
 サラリーマン時代、私は「叩かれ台」という言葉を好んで使った。この名称を使うことによって関係者は叩き台よりも叩き易くなり、しばしば袋叩きに会った。しかしそのことによって企画内容は格段に改善され、実現不可能と思われた企画が可能になったこともあった。
 私はマゾヒストではないが、批判されることは楽しい。批判されればされるほど賢くなれる。それまで気付かなかった視点を得ることもできる。打者はヒットを打つことよりも多くのことを凡退することを通じて学ぶものだ。

実験

2016-01-08 09:44:34 | Weblog
 6日に北朝鮮は「水爆の実験に成功した」と発表したがその威力は従来の原爆並みだった。原爆並みの破壊力しか無い水爆を開発したのなら、それもまた優れた技術と言えようが、どうも水爆ではなかったようだ。
 では北朝鮮は例によって嘘をついているのだろうか。「実験に成功した」ということは事実だろう。例えば、金魚を海水で1時間泳がせたとする。金魚が死のうと死ぬまいと、実験は成功だ。死ぬことあるいは死なないということが実験によって確認されるからだ。北朝鮮の場合、この程度の技術力では水爆を作れないことが実験を通じて証明された訳だから成果のある実験だった。
 小中学校で理科の実験をする。しかしこれは厳密には「実験」ではない。結果の分かっていることを「再現」するだけだ。こんなことを実験だと思っているから却って実験の意味を理解できなくなる。実験とは結果の分からないことに対する取り組みであって、どんな結果になっても構わない。もし想定外の結果になれば、正にセレンディピティであり大発見に繋がるかも知れない。
 結果の分かっていることを実験しても意味は無い。結果の分からないことに挑んでこそ実験と言える。受験であれ就職であれ結婚であれ、これらも体を張った実験と言えよう。実験なのだから失敗すればやり直せば良い。一番無駄なのは既に何度も実験されたことを再実験することだ。過去からの蓄積を参考にすれば誤った轍を踏まずに済む。
 「EUは壮大な実験だ」という言葉を時折耳にする。どんな結果になるか誰にも確信が無いからだ。こんな壮大な実験に着手できるのは、ヨーロッパ人が科学的精神を体得しているからだろう。
 片や日本人は実験が苦手だ。前例主義がその典型だ。結果が分かっていることの後追いしかできない。前例がある内は良いが前例が無くなるとハタと困り果ててしまう。そんな時に大切なのが実験精神だ。ゴチャゴチャ言わずにやってみれば良い。分からない時にこそ実験が必要だ。
 救急車の有料化について長く不毛な議論が続けられているが、虚しい議論を重ねるよりもどこか特定の地域で実験すれば済むことだ。実験して初めて分かることは少なくない。
 株の売買など実験の繰り返しのようなものだ。幾ら情報を集めても株価など予想できない。実験精神の乏しい人は確実だが低金利の定期預貯金に頼る。
 分からないことであればまず試してみることだ。結果が良ければ継続し悪ければ早期に撤退する。身軽さこそ重要であり、不退転の決意や背水の陣などは実験の精神に背く。やってみて初めて分かることは決して少なくない。